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  歴史・民族・言語

世界は生き生きとした姿を示してくれます。私の海外旅行の楽しみは、「歴史・民族・言語」の3点セットです。歴史的場所で土地の素朴な人々に会い、彼らが喋る言葉を聞くことです。買い物と食べ物にはあまり興味がありませんから、厳冬の観光客が少ない時期が私の好みに適しています。

 
イスラエル 嘆きの壁 エジプト アスワン・アブシンベル  

 

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毎月のように海外に

77歳の老体にとりまして極めてアクティブな一年でした。毎月のように海外に出かけました。やや焦っているようではずかしいですが、確かなことは体力と知力の衰えを日々実感したからです。物覚え、筋力不足、眼精疲労、言語障害など他人事ではなくなりました。外国語が思うように出てきません。上ずった声で喋るらしく相手に聴き取れなく大変ご迷惑をかけています。このままでは大好きな海外旅行も後3年もすれば難しいと判断しました。

  

アメリカ グランドキャニオン ウクライナ 新婚さん ウズベキスタン
 

 

ペルガマの遺跡

エフェソスの古代図書館跡とペルガマの遺跡を訪れるためにアナトリア(トルコ)に行きました。ペルガマは羊皮紙 (parchment)の名前となりました。古代ローマのプリニゥスの格言、「文明も人間の歴史も、パピルス(パーチメント)の上に存在する。」をつぶやきました。

  (写真左) 中国 山東省泰山

 

                 

 

寛容と和解
海外旅行が大変危険になりました。昨年末のベルリンのテロ。シリア内戦による アレッポの廃墟。20年前に見物したパルミラ遺跡も再びイスラム国に奪われたよ うです。 世界を放浪している二人にとり不安な年明けとなりました。 皇帝になったKGB工作員や米国の美徳である多様性を否定して分断をあおる不動 産王、こんな狂人達が人々を扇動することによって世界秩序の崩壊が進むようです。 寛容と和解、そして不戦の誓い。お願いします。               
   

 (写真左) シチリア タオルミーナ エトナ山を望む                                                                                                                               

      (写真右)     トルコ エフェソスの遺跡


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    「カメの旅物語」 海外への憧れ 
               
小さい頃から海外に憧れました。それは地図だけの世界でした。
2022年9月6日は、私の80歳の誕生日でした。
1942年9月6日に中国・山東省の青島で生まれました。

初めての海外は、1969年3月に観光した東南アジア旅行でした。
もっとも青島は中国なので、今では海外になりますが・・・。

私の海外旅行の楽しみは、「歴史・民族・言語」の3点セットです。
歴史的場所で土地の素朴な人々に会い、彼らが喋る言葉を聞くことです。
そんな世界は生き生きとした姿を示してくれます。

私の半世紀にわたる「海外への憧れ」を物語ることにしました。
5部作から構成された雑文付き写真アルバムです。

その1  初めての海外旅行
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-39.html

その2  ヨーロッパ医療情報視察団 
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-40.html

その3  学術研究と国際学会
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-41.html

その4  エベレスト街道とクルージング
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-42.html

その5  南アメリカと南アフリカ
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-43.html


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ユビキタスとカトリシズム
イスラエル国歌、ハティクバ(希望)には、次の詩がある。
「ユダヤの魂が脈打つ限りシオンに向かって、・・・自由の民となって、エルサレムに住むことである。」
紀元70年8月、ティトゥスが率いるローマ軍はエルサレムを攻略し神殿に火を放った。こうして第二神殿の破壊とともにユダヤ人はパレスチナから追放されて、紀元135年の反乱を経て2000年のディアスポラ(離散)が始まった。言葉(ヘブライ語)と律法(タルムード)と最小限のものだけを携え離散する。旧約聖書はユダヤ教の聖書として、イスラエル民族の歴史を伝えたものである。イスラエル民族の起源は、モーセに率いられてエジブトを脱出した出来事、出エジプト(エクソダス)にあるという。エクソダスの一団は荒れ野の旅を経て、パレスティナの農耕地に定着し、紀元前10紀にはダビデ王とソロモン王の王国として繁栄する。まもなくこの王国は北のイスラエルと南のユダとに分裂した。エジプトとアッシリアとパビロニアの圧迫を受けて、イスラエル王国は紀元前722年に、ユダ王国は紀元前586年に滅された。イスラエル民族は、バビロンにおける捕囚として連れ去られる。紀元前540年のペルシアによって解放されて、パレスチナに戻ることができ、エルサレムに神殿を再建する。現在の嘆きの壁(ソロモンの神殿跡)の場所である。その後のローマによる支配の時代にイエスは誕生した。ローマ支配からの解放者イエス、同時にユダヤ教を普遍化する救世主でもあった。ユビキタス(神は普遍的存在)とはラテン語であるが、このような普遍化(カトリシズム)と密接に関係するようだ。(写真右)インド ミニタージマハール                                   

                                           


死海文書、マサダ、サファド イスラエル回顧録    2006年4月

私は、情報学の視点から三大宗教の聖典(旧約聖書)、タルムード、バイブル、コーランについて研究することを思い立った。旧約聖書はユダヤ教の聖書として、イスラエル民族の歴史を刻んで伝えられてきた。いかにして神の言葉を記録し、伝えるかという布教(情報活動)を行ったのだろうか。

マサダは海面下の死海(マイナス600m)から450mの高さにある要塞(アラム語)。紀元前25年にヘロデ王によって造られた。紀元66年にユダヤ教原理主義集団(シカリイ派)がマサダに立て篭もって、ローマ帝国に反乱を起こす。ほぼ3年間も耐え忍び、紀元73年にローマ軍によって征服された。960人は、自決したと ヨセフスの名著『ユダヤ戦記』は伝える。現代のイスラエル軍の新兵は、マサダに連れてこられて、「マサダの誓い」を歌う。悲痛な存亡の叫びと思える。

ガリラヤの高原にサファドの町がある。そこには、セファルディ系のユダヤ人が多く住んでいる。
1492年、コロンブスがアメリカ大陸探検に旅立つ同じ年にアンダルース最後のイスラム王都グラナダが陥落する。アンダルースは、三大宗教が融合し、「寛容の文化」が花開く世界であった。続きは「
イスラエルへの旅」をお読みください。
  (写真)マサダの要害遺跡


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カリフォルニア大学デービス校

“Hi Takashi !” 、”How are you doing ?” 昨日会ったばかりの若き女性職員からそう呼ばれると自分の歳も忘れ、気持ちが若くなる。

オープンで自由平等のお国柄であるから、地位、年齢、仕事、性別、人種など 気にしない。 このように、なにもかもが明るく、大きなカリフォルニアの澄み切った青空の下、広大な自然に囲まれた米国カリフォルニア大 学デービス校 UCD(University of California Davis)で、私は世界中から集ま った人々と 2002 年度の在外研究生活を送 ることができた。 ところで、カリフォルニア大学の名前はあまりにも有名であり、いまさら説明するまでもないのだが、意外に知られていないことがある。それが複数の巨大な大学群から構成された総合名称であるということである。


 CAL Aggie

カリフォルニア大学は、全部で 10 校か ら構成される公立大学である。その所在地は、州南部から順番にいくとメキシコ国境 に隣接する San Diego にはじまり、Irvin、 Los Angeles、 Santa Barbara、 Merced、 Santa Cruz、Riverside、San Francisco、 Berkeley、そして中部にある Davis(UCD) となる。これらのカリフォルニア大学(UC システム)とは別にカリフォルニア州立大 学(CS システム)というのがあり、サクラメ ントやサンノゼ、フレスノなど州内の大きな都市に34校ある。この州立と公立の違いは、日本的に解釈すると、公立が国立(旧制1期校)で、州立が県立(旧制2期校) ということになるだろう。UCD のあ るデービス市とその周辺は、シェイラネバタ山脈に源をもつサクラメント河とアメリカン河から豊富な水の供給をうけて、肥沃な土地と強烈な太陽の恵みに満ちていることから、あらゆる農作物と酪農に適している。その豊潤 な地において UCD は、1908 年に農業専門 学校として誕生した。大学のニックネーム は、” Aggie”であり、農業の Agriculture に由来するものである。在学生と卒業生は誇りをもって、その前にカリフォルニアの 略称を付けて”CAL Aggie”と呼ぶ。 続くを読む
 


Elvis Presley没25年

アメリカ合衆国の母なる河は、Mississippi River。その真ん中に位置する都会がSt. Louis です。道中にはカントリーとロックの故郷、Memphis があり、そこには、エルビス・プレスリーのGrace Landがあります。遥か河口は、あのデキシーランドで有名なNew Orleans。 私は、Mississippi River に沿って、Memphis からアーカンソー州、
ミズーリー州のSt. Louis まで上ることにしました。 まず、インディアナ州 Indianapolis で飛行機を降りて、そこでレンターカーを借り、ケンタッキー州に向いました。そして、テネシー州に入り、Nashville を観光。 この地方は、東部と西部の中間に位置しますが、中西部よりは中東部と呼び、 むしろテネシーやアーカーソーは南部に属します。Elvis Presleyの誕生日は1935年1月8日 、そして1977年8月16日に亡くなりました。 2002年は没25年になる記念すべき年です。まるで巡礼者のように世界中から Grace Landに人々が集まってくるようです。プレスリーの旅を読む


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 海外旅行の写真集(2000年〜2020年)

 YouTube(静止画)

    https://youtu.be/bVp-dFY8YLY

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   国内の旅


 日本の山河

日本に生まれてよかったと私は熱く思う。『故郷』を歌っているうちに日本の山河が浮かんでくる。日本の原風景である。こうした景色を見ながら私も大人になった。緑豊かな里山に恵まれているのは日本だけである。確かなことではないが、日本は緑化された地域、すなわち森林と野山の領域は森と湖の国といわれる北欧フィンランドに次いで世界第二位であるという。広大なロシアでもなく、豊かな森の続くカナダでもない。アメリカ合衆国ではロッキー山脈、アパラチア山脈などに沿って緑が続くが、残りの多くは荒野に過ぎない。中国となると砂漠化が進んでいる。

カナリアクルーズのマジシャン 巨人のアイダホ医者 アルメニア人 新婚さん

   万巻の書を読み、万里の道を行く

日本の素晴らしい里山からの恩恵に感謝しているが、一方では地震や津波、台風などにみる自然に対する畏怖の念も抱いてきた。私の大好きな自然は、「万巻の書を読み、万里の道を行く」という名人の言葉を実現する場である。とても万里にも日本100名山登頂にも及ばないが、山々の旅を楽しんできた。

ペルー インカ遺跡 マチュピチ レンブラント 夜警 エベレスト トレッキング
 

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  里山に学び 

日本の原点である里山に学び、山野草の小さな庭をつくりたい。できるだけナチュラルな雰囲気のものそんな庭をわざわざつくらなくとも軽井沢の野山には山野草の宝庫をどこにでも見つけることができます。実に物好き変人です。どうしても自作の山野草の秘密の庭つくりがしたい。そこで時間を忘れて、お酒を飲みたい。浅間山麓の溶岩石を集めてロックガーデンにして苔を付けて、日陰の野草を育てました

 

スレミ  世界に400種類あるといわています。日本では40種類で私の庭には5種類あります。タチツボスミレ、ニオイスミレ、コスミレ、マルバスミレなどです。どれもが野生で、種が飛んで増えています。


アマドコロとナルコユリ
弓状に伸びる茎に葉を付けて、白い小さな花を付けました。葉には白い斑があります。ナルコユリも似た姿をしていました。野生のギボウシとオニツダを大量に植えて、野草の群落を演出しました。たしかに野草の配置は大切で、それによってナチュラルに見えるようになります。近くの森で採取したギボウシ、スミレ、シダ類を岩の周りに植え付けました。さらにイカリソウ、ツボサンゴ、ヘビイチゴ、ホタルブクロ、ヒトリシズカなどを次々と植えて、雑然としています。 

 

ヤブラン 真夏から初秋に紫の花が開きました。
 

ホタルブクロ
赤や白の花を数輪下向きに咲かせます。風に揺らぐ風情はなかなか優雅です。
多くの採取は、軽井沢だけではなく、木曽や黒姫山、菅平、蓼科などの山林で春夏に行いました。もちろん各地の野草園でも購入しました。

 


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         山 旅        旅行 山旅 ----> [  読む   ]
 

    過ぎし日の旅、山の想い

日本に生まれてよかったと私は熱く思う。『故郷』を歌っているうちに日本の山河が浮かんできます。日本の原風景です。こうした景色を 見ながら私も大人になりました。私の大好きな自然は、 「万巻の書を読み、万里の道を往く」という名言を実現する場です。とても万里にも日本100名山登頂にも及ばないが、山々の旅を楽しんできました。

「過ぎし日の旅、山の想い、森に彷徨い、谷を行き、峰に立つ日を忘れえず。」

これは愛する昔の山の歌です。山奥の露天風呂も楽しみですが、最近はお猿さんも楽しんでいます。山登りは、浅間黒斑山、前穂高、岩菅、根子岳、車山など低い山に10数回行きました。
(写真左 八方尾根             (写真右)上高地
     



 
戦後の荒廃と飢餓               
いつも登山で重いリックサックを背負う時、あの引き揚げの破れた小さなリックサックを思い出し、奮い立ちます。苦しくなると独り言をつぶやきます。

「汗水を流そう。頑張ろう。粘ろう。必ずや山頂に行ける。」

体力は衰えていますが、気持ちは若年です。戦後の荒廃と飢餓を耐えましたから。健康な体を与えてくれた98歳になる母親(トミ)に感謝しています。

 

 

 聖地を訪ねました

 ヒンドゥー教のベナレス、仏教のブッタガヤそしてキリスト教、ユダヤ教、イスラム教のエルサレムです。嘆きの壁、黄金のモスク、ベツレヘム・ナザレで敬虔に祈る人々にサラーム・シャローム。年末12月に訪れたエルサレムではヘブライ人もパレスチナ人も平穏にクリスマスを祝っていました。エルサレムは聖地であり世界の人々の国際的な首都なのです。

(写真 左)  志賀高原 地獄谷猿園 

  (写真右)  南アルプス 北岳(50年前)



ローマカトリックというメディア 

テレビや新聞などメディアは、パレスチナで闘争が激化しているように大騒ぎしてますが、メディアのみなさんには冷静な報道をお願いします。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も共通の祖アブラハムから生まれた兄弟ですから仲良く暮らしてきました。宗教の違いを強調し、 政治に利用してきたのは時の権力者です。

 

十字軍思想

その中でローマカトリックはユダヤ人を虐め、十字軍思想を生み出しイスラム世界と敵対させることを煽り立ててきました。インドの人々はヒンドゥー教こそが宗教の原点であると誇りにしています。一神教の厳しさもなく穏やかで寛大な教えです。それを基にしたジャイナ教そして仏教は素晴らしい。中国西域の敦煌の仏像のお姿。天竺ブッタガヤ・アジャンタな どからガンダーラ・パミールを超えてゴビ・タク ラマカン砂漠を渡り飛鳥天平の日本まで遣ってきたのですね。                                                                                 
 (写真左) 北アルプス を望む スケッチ絵画          (写真右)    南アルプス北沢峠 甲斐駒 (55年前) 

 

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神は偉大なり(アッラーフ・アクバル)

カタールのドーハやエミレーツのドバイは今や巨大なハブ空港となり、世界中の国々へも飛ぶことのできる便利なゲートウェイとなりました。イスラエルの若者は頭にキッパと呼ぶ小さな帽子を付けていました。「シャローム」と呼びかけると嬉しそうに微笑んでくれました。私が3回もイスラエルに行きましたというと、貴方はユダヤ人ですかと逆に質問してきました。今度は「サッラーム」とアラビア語で、続いて「神は偉大なり(アッラーフ・アクバル)」と答えると大笑いになりました。

オーストラリア シドニー カナダ ケベック マレーシア

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南半球の常識

南アフリカのケープタウンに行きました。晩秋11月の日本を出発して香港経由で18時間のフライトでした。テーブルマウンテンでは南極から吹き付ける寒い強風、これが南風なのが北半球の常識と異なります。ケープタウンでは北風が暖かで窓も北向きが最適なのです。ケープタウンはサンフランシスコ湾に似ていてそこに浮かぶロベント島は刑務所のアルカトラス島にそっくりです。
 

ギリシア アクロポリス ポルトガル ミコノス島
 

 

パリ国際大学都市

4月には野生のシクラメンが咲くアルバニア、モンテネグロ、ボスニア、クロアチア、スロベニア のバルカン諸国を回りました。5月〜6月は長年の夢でしたアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアのコーカサス諸国。7月はデンマークのコペンハーゲンからドイツのリューベックまで列車で旅をしてベルリンまで行きました。9月は生まれ故郷の中国山東省。10月はスリランカの仏跡を巡礼。11月はポルトガルとスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラを巡礼。12月はドイツのクリスマス市場でホットワインを楽しみながら警戒厳重なパリまで行きました。初めて美しいパリ国際大学都市を訪れ日本館館長をしている友人に会うことができました。老体に鞭打つ過酷な海外旅行を続けましたが、なんとか達成感を得たようで満足しています。

(写真 左)アルメニア アララット山  

    (写真右)  アゼルバイジャン学生     

                             

「命のビザ」の杉原千畝さん

 世界地図や世界史を毎日のように読みふけっています。今年は3月にフィンランドからエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国とポーランド。リトアニアのカウナスでは「命のビザ」の杉原千畝さんの領事館跡(杉原記念館)を訪ねました。難民ユダヤ人にビザを発給して亡命を助けた杉原さんは日本のシンドラーだったのですね。スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」は素晴らしい名画です。杉原千畝さんの映画も公開されたそうで嬉しくなりました。  (写真左) モスクワの赤の広場とクレムリン

アウシュビッツ強制収容所

極寒の2月にフィンランドのヘルシンキから船でエストニアのタリンに渡り、そこからラトビアとリトアニアを抜けてポーランドに行きました。古都クラコフでは近くにあるアウシュビッツ強制収容所を見てきました。観光地ではありませんが、ナチスドイツのユダヤ人迫害の地として歴史遺産になっています。ナチスの犯罪は数多くあり、それを題材にした映画は多すぎて数知れません。

  (写真左) ポーランド アウシュビッツ強制収容所  

  ( 写真右)  コルシカ島 巨大クルーズ船

 


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映画「ハンナ・アーレント」

映画「ハンナ・アーレント」は全く違った視点からナチスのユダヤ人迫害をとらえていました。アイヒマン裁判を題材にした映画です。深く考えさせられたのはアイヒマン裁判を「悪の陳腐」という概念で結論付けたことです。悪とは普通の人間に内在する問題であるという意味です。アイヒマンはナチス親衛隊中尉で600万人のユダヤ人をアウシュビッツなどの強制収容所に送り込んだ特別な人間と思われたが、忠実に命令を実行するだけのどこにでもいる普通の人間だったのです。多くの戦犯とおなじような軍隊官僚組織の犠牲者でした。

   (写真右) ベルリン ブランデブルグ門

 

 

聖地を訪ねました 

ヒンドゥー教のベナレス、仏教のブッタガヤそしてキリスト教、ユダヤ教、イスラム教のエルサレムです。嘆きの壁、黄金のモスク、ベツレヘム・ナザレで敬虔に祈る人々にサラーム・シャローム。年末12月に訪れたエルサレムではヘブライ人もパレスチナ人も平穏にクリスマスを祝っていました。エルサレムは聖地であり世界の人々の国際的な首都なのです。

インドの人々はヒンドゥー教こそが宗教の原点であると誇りにしています。一神教の厳しさもなく穏やかで寛大な教えです。それを基にしたジャイナ教そして仏教は素晴らしい。中国西域の敦煌の仏像 のお姿。天竺ブッタガヤ・アジャンタなどからガンダーラ・パミールを超えてゴビ・タクラマカン砂漠を渡り飛鳥天平の日本まで遣ってきたのですね。
2017年の海外旅行は美術館巡りと聖地巡礼が目的でした。アブダビに出来たルーブル美術館ではマネが描いた横笛を吹く少年兵の絵画など名画の数々を身近に鑑賞できました。灼熱の砂漠にあるアブダビにこのようなルーブル美術館が 建設されたことに違和感を感じました。


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 聖地エルサレムを望む 


アブラハムには二人の息子がいた。正妻サラに子供が生まれなかったので、召使ハガルとの間にイシュマエルという子をもうける。しかし、その後正妻との間にイサクという子が生まれた結果、イシュマエルは砂漠の荒野に追い出されてしまう。イサクはヘブライ人の祖となり、イシュマエルはアラブ人の祖となる。アブラハム(イブラヒム)は、ユダヤ人とアラブ人の共通の祖であり、同じセム族に属する兄弟民族といえる。神は、ある時アブラハムはその子を供え物として供えるように命ずる。
旧約聖書はイサクを供えたという。
コーランはイシュマエルを供えたという。
兄弟は仲良くなってほしい。エルサレムのゴルゴダの丘、イエス処刑跡には聖墳墓教会が建っている。これは全世界のキリスト教徒の聖地である。ユダヤ教徒の聖地、嘆きの壁の上には、モハメッド昇天の岩とされる金色に輝くドーム(モスク)が建っている。これはイスラム教徒の聖地なのだ。

(写真左) エルサレム 黄金のモスク


ベドウィンの原点 

アラブ世界の貧富の格差は嘆かわしい。パレスチナ、シリアからのアラブ難民は富める西欧世界を目指しますが、何故、サウジ、カタール、アブダビ、アラブ首長国など富めるアラブ世界を目指さないのか。偉大なムハマドの教えは人々に経済的な施しを説いています。豊かなアラブ諸国はお金だけでなく、同胞アラブ難民を大量に受け入れてください。アブダビの未来都市に投資するお金をアラブ難民と貧しいアラブ諸国に投資すべきです。アブダビにルーブル美術館は不要です。ドバイに巨大な西欧世界を創る必要 もありませ ん。輝けるベドウィンの原点に戻り平和なアラブ世界を復活させてください。
(写真左上) インド人の家族         (写真右) グルジアの子供たち

(写真左下) カザンのレーニン像


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東欧のエスニックコミュニティ(2001年9月)          

2001年9月にスロヴァキアを中心にチェコとオーストリアを調査旅行しました。この調査旅行は長期に渡り、範囲も広大なものでスロヴァキア以外に周辺のウクライナ、ハンガリ、ユーゴスラビアに及びます。このあたりの中部東ヨーロッパは長らく共産主義国家に組み込まれていましたが、民族、宗教、文化は複雑です。スラブ人といってもロシア人、チェコ人、スロヴァキア人、ポーランド人、ウクライナ人、ベラルーシ人、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人などがいます。そして、ハンガリ人とルーマニア人、ドイツ人もいます。さらにユダヤ人やトルコ人、アルバニア人と放浪のロマ人もいます。

 

Góralu czy ci nie żal

私が大好きになった地元の素朴な民謡です。南ポーランド、北スロヴァキア、タトラ山脈地方の素朴な名曲『Góralu』。Góraluとは『Highlander』、山の民のことです。試しに聴い(mp3)てみる。

 

Góralu czy ci nie żal
Góralu, czy ci nie żal
Odchodzić od stron ojczystych,
Świerkowych lasów i hal            
I tych potoków srebrzystych?

Góralu, czy ci nie żal,
Góralu, wracaj do hal!
Góralu, czy ci nie żal,
Góralu, wracaj do hal!

 

Highlander do you not regret
Highlander, do you not regret
Abandoning your paternal homeland,
Spruce forests and chalets
And the silver streams?

Highlander, do you not regret,
Highlander, return to the chalet!
Highlander, do you not regret,
Highlander, return to the chalet!

                    (写真右上) ブラチスラバのレーニン・カフェ

                          (写真右下) Góraluの子供たち


ロマ人

ロマ人の集落、「オサダ」を初めて目にして、その貧しさにショックをうけました。ロマ人は、多くの国ではジプシーと呼ばれています。スペインではアンダルシア地方のフラメンコの踊り手として有名。フランスでは、その昔は馬車で放浪し、今でも車で移動するジタンがいます。ボヘミアンと呼ぶようにチェコのロマ人は知られています。もともとボヘミアはチェコの地域名称でした。東欧ではハンガリアン・ジプシのバイオリンの哀愁に満ちた音色と伴にロマ人をどこでも見かけます。ロマ人は、私と同じく肌浅黒く、髪の毛も目の色も黒ですから、おそらくインド南部ドラビダ人地方から移動したと思われます。はるばるインド大陸から何千年も前に、このような東欧の山の中にやってきたロマ人の足跡に感慨深くなりました。ロマ人の演奏してくれた名曲は実に素晴らしく、東北スロヴァキアの山中に響き渡っていました。このようなジプシーが奏でるバイオリン名曲を私の誕生日のために弾いてくれました。10年前の紀行をお読みください。

(写真左) ロマ人の子供たち


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国境の南への旅 (2003年3月)                 
メキシコは、軽快なラテンの曲を奏でるマリアッチ楽団。その昔、トリオロスパンチョスの曲に熱中したものです。 そして、歴史です。コルテスによるアステカ帝国とマヤ帝国の征服。
スペイン植民地文化とアズテックなどインディオ文化が巧みに融合したメキシコは魅力ある歴史を展開してきました。黒い髪と目をしたインディオのサンタ・マリア、1846年の米国との戦いによるテキサスなどの侵略。
1864年のナポレオン三世によるフランスとの戦いと帝政。1876年から35年にも渡る 独裁者ディアスの時代。
そして、それに対する有名な1911年〜21年のメキシコ革命。革命児サパタやパンチョン・ビラの農民革命。美術では、ディエゴ・リベラの壁画。そしてオロスコとシケイロスの絵画。さらに女性のカーロは最近になり映画化され ました。続き「メキシコ紀行」を読む。

 


アステカ文明とインカ文明

あの広大な国土と、先住民の人口、そして優れたアステカやマヤ文明のもとでは、宣教師や教団による普通の布教活動だけては改宗は易しくありません。
「改宗か死か」という強権だけではとても無理です。
何故、カトリックが急速に普及したのか、かねて疑問でした。
謎が解けました。グアダルーベの奇蹟を作り出して、巧みにインデイオの土俗信仰と整合させたのでした。それが「黒い聖母」です。カトリック教団の巧みな改宗戦略に敬服。

正月に行ったペルーのインカ帝国の遺跡「マチュピチ」もスペインの盗賊、ピサロによってだまし討ちによって征服されました。 続き「ペルー紀行」を読む。

(写真右上) メキシコ市国立大学    (写真右下)  ペルー  インカ遺跡

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