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   メキシコ共和国   国境の南への旅   2003年3月


     South of the border down to the Mexico way

Mexico City is located on  2,286m above sea level and has inhabited since 10,000 BC. The Aztecs were latecomers to the valley and by the time of their arrival in the 12th century the nearby metropolis of Teotihuacan with its pyramids had been abandoned for hundreds of years.

 

私にとってメキシコは、軽快なラテンの曲を奏でるマリアッチ楽団。その昔、トリオロスパンチョスの曲に熱中したものです。 そして、歴史です。コルテスによるアステカ帝国マヤ帝国の征服。

スペイン植民地文化とアズテックなどインディオ文化が巧みに融合したメキシコは魅力ある歴史を展開してきました。黒い髪と目をしたインディオのサンタ・マリア、1846年の米国との戦いによるテキサスなどの侵略。

1864年のナポレオン三世によるフランスとの戦いと帝政。1876年から35年にも渡る 独裁者ディアスの時代。

そして、それに対する有名な1911年〜21年のメキシコ革命

革命児サパタやパンチョン・ビラの農民革命。美術では、ディエゴ・リベラの壁画。そしてオロスコとシケイロスの絵画。さらに女性のカーロは最近になり映画化され ました。


Basilica de Guadalupe

グアダルーペ寺院は、メキシコ人の聖母が祭 られている大教会です。その聖母は、黒い髪と目、褐色の肌をしています。

16世紀にメキシコのインディオ(アステカ人)であるファン・ディエゴの前に、この黒い聖母が現れた奇蹟に因みグアダルーペ寺院が建てられたそうです。

どうやら先住民を早く、大量に改宗させる戦略があったと思いました。なかなか当時のカトリック教団も巧妙にインディオの人心を探ったわけです。邪教、異教徒を厳しく成敗するカトリックとしては例外といえそうです。

今日では、この黒いサンタマリアはメキシコだけでなく、ラテンアメリカでも多くの巡礼者を集める対象になっています。

 

あの広大な国土と、先住民の人口、そして優れたアステカやマヤ文明のもとでは、宣教師や教団による普通の布教活動だけては改宗は易しくありません。

「改宗か死か」という強権だけではとても無理です。

何故、カトリックが急速に普及したのか、かねて疑問でした。

謎が解けました。グアダルーベの奇蹟を作り出して、巧みにインデイオの土俗信仰と整合させたのでした。それが「黒い聖母」です。

カトリック教団の巧みな改宗戦略に敬服。

 

 


ガリバルディ広場  ガリバルディという名前はイタリア統一の英雄と同じ名前ですが、彼 の名前に因んだ広場の名前かどうか確認できませんでした。この広場は、チャロと呼ぶ牧童貴族の衣装を着たマリアッチ楽団が軽快なメキシコ民謡を奏でることで有名です。

私は、二曲リクエストしました。シェリト・リンドと「Las golondrinas」、これは北に帰るツバメを歌ったもので私の大好きな曲です。

 

 


革命児サパタの名前をとり「サパチスタ」と呼ぶ解放軍が今でも南部メキシコでゲリラ活動をしています。

サパチスタは貧しい先住民に人気があり、政府軍と戦闘しています。

それもあり、メキシコではどこでも警官、軍隊、私設ガードの姿を多数眼にします。彼らはカービン銃、軽機関銃を携帯して建物を警備しています。

 

 

メキシコ人はソンプレロをかぶり、ポンチョ姿が有名ですが、今でも騎馬警官はソンブレロをかぶり颯爽と

メキシコシテーの通りをパトロールしています。

 

 

 


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