カリフォルニア便り   要約編(その1)      カリフォルニア便りホームに戻る

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 は、2002年4月1日から在外研究のために米国カリフォルニア州に滞在しています。第三の青春を謳歌するためです。この年の9月6日に私は60歳の誕生日を迎えることになり、世間でいう「還暦」です。

 

私は、第二の青春を40歳から楽しみ、大好きな研究と教育への道に進みました。それまでは第一の青春時代であったわけで、大学卒業、大学院そして東芝への就職、そこでは様々な情報処理の先端技術の実践を経験しました。おもに会社生活を中心としたのが第一の青春でした。そして、教育界への転職による第二の青春の探索。たしかに充実した青春でしたから、再び大きな夢を描き、それに向かい猪突猛進しました。そして気がついたら、60歳になっていました。

 
ある日に何か空虚で物足りない自分の姿を鏡に写し愕然としました。これでは、情けなく、悔しい。これまでの第二の青春時代に大いに悔いが残りました。
 

さて、過ぎし過去は幻と思い、忘れ去り、新たに「第三の青春時代」をプログラムすることにしました。自由の天地といわれるカリフォルニアに 来ました。 まさに第三の青春を謳歌しています。なにもかもが明るく、大きなカリフォルニアの空の下で自由に生活、思考、創作、哲学、プログラミング、インターネット、料理、お酒、ドライブしています。もちろん、本業である情報科学の研究も日夜忘れていません。


サクラメントに住む

 

 

住居の場所はサクラメントです。カリフォルニアの州都なのですが、日本ではあまり知られていません。もともとは農業地帯で、その昔はゴールドラッシュで多くの開拓者を魅了した「エルドラード」でした。広大な平野と澄み切った青空が実に素晴らしいところです。

 

近くにはワインで有名な「ナパバレー」があり、数多くのワイナリーでの芳醇な味と香りテイスティングもなかなかのものです。

サクラメントの住まいはアパートです。こちらのアパートは日本とは違いコンクリートの高層な建物、いわゆるマンション風ではありません。木造で

       

二階建がせいぜいの大きさで、一軒屋のようになっています。特徴は、広い敷地の中にアパートが点在していて、その周辺は金網で囲まれ外部からの侵入を防ぐセキュリティーも完備されていることです。

 

私のアパートの名前は、Ashford Parkと呼び、南サクラメントの緑の住宅地にあります。アパートの部屋は日本的にいえば3LDKになり、二つのバスルームと寝室、ダイニング、そしてキッチンがあります。ただ建物はきわめて雑な作りで、バラック小屋を大きくしたようなもので、日本では木造の倉庫といった感じになるでしょう。 

アパートの敷地は緑の芝生と木々に覆われ、一見したところ公園のようです。
二つのプールと温水ジャクジーとテニスコート、バスケットコート、フィットネスルームなど娯楽設備がありますが、この程度の設備では、アメリカではごく普通のアパートらしいです。
自炊生活には大型冷蔵庫が必須で、またオーブンと洗濯機とドライヤーは重要な日常生活の道具です。
こちらの天気は日中は真夏で夜は肌寒いこともあるので、毎日、寝具や着るものの選択も考えることになります。


サクラメント周辺の大自然

        
カリフォルニアには大自然が一杯あります。ヨセミテやレークタホ、そしてシャラネバタの山並み。さらにオーシャンにも素晴らしい景色を見ることができます。そのなかでサクラメントから一時間半の距離にあるレークタホは私の大好きな所です。
また、ワインで有名なナパバレは一時間の距離。どこに行くにも車がなければ行けませんが、フリーウェイを飛ばすと東京から浜松や名古屋の距離に相当する場所へ2時間で行くことができ便利です。

 

冬はスコーバレーでスキー、夏はレークタホの山々をハイキング、秋にはヨセミテで紅葉を楽しむことができます。サクラメント周辺のフリーウェイは、80号が大陸横断のインターステートハイウェイで、5号がカリフォルニアの北部から南部を貫くフリーウェイでシアトル方面からロスアンジェルス方面に行くことができます。

 

レークタホは大きな湖で、エメラルドベイのまさにエメラルド色した湖面は見事です。私は山好きで、もとワンダラーですから、このような雪を頂くシェイラ山脈の姿を見ると、むらむらと熱気を帯び、トレッキング姿になり登山することになります。海抜6000フィートの険しい頂が続きますが、そこは大陸的でおおらかな姿が特徴です。それにしても人が少ないのが魅力で、山々の大自然が満喫できます。それから夜空の星が実に鮮明、澄み切った空気も美いです。

 

 


カリフォルニア大学


  私は、サクラメントから車でフリーウェイを約20分で到着するカリフォルニア大学デービス校に客員教授として行っています。また、同じく客員教授として週一回はフリーウェイ80号を1時間30分飛ばして、カリフォルニア大学バークレイ校にも行っています。
デービス校は農学と酪農学の専門学校からスタートしました。サクラメント周辺はサクラメント川とアメリカン川から豊富な水の供給をうけて、肥沃な土地とまぶしいく強烈な太陽の恵みがありますから、米でも果物でも何でも大きく育ちます。

 

デービス校のキャンパスは広大で、学生が運転するバスが走っています。木立に覆われた緑のキャンパスには大きく高い建物はなく、平屋か二階建てのものが多く、その外壁も木製というナチュラルな雰囲気です。ノンビリと学生は自転車で通学し、キャンパス内を周っています。

バークレイ校は、カリフォルニア大学の本部であり、世界中の研究者の憧れの地です。バークレイに匹敵するのは西部では私立の名門スタンフォード大学、そして東部ではハーバード大学とマサチューセッツ工科大学が有名です。


カリフォルニア大学は、全部で9校から構成される巨大な公立大学です。カリフォルニア州の南部から順番にいくとSAN DIEGO、LOS ANGELES、SANTA BARBARA、SANTA CRUZ、 RIVERSIDE、

SAN FRANCISCO、 BERKELEY、 DAVISです。その中で、BERKELEY校が本部になり、一番格式が高く研究と教育では優れているといわれています。もちろん、その他のカリフォルニア大学もそれぞれ個性的で優秀であることはいうまでもありません。

なお、カリフォルニアには、これらのカリフォルニア大学 ( UCシステム )とは別にカリフォルニア州立大学(CSシステム)というのがあり、サクラメントやサンノゼ、フレスノなど大きな都市に34校あります。州立と公立の違いはなかなか理解できないのですが、日本的に解釈すると、公立が国立(旧制1期校)で、州立が県立(旧制2期校)という感じですか 。
 

バークレイ校は多くのノーベル賞受賞者をだしていることでも有名で、それだけに世界中からの研究者の出入りが頻繁です。バークレイ校の教育プログラムは、学部教育と大学院教育の二つで、これはどこのカリフォルニア大学とも似たもので、デービス校とも同じです。
学生は当たり前のことですが、よく勉強しています。デービス校に比べて、その違いがよく理解できました。
デービスはいかにもカリフォルニア的で大らか、のんびり勉強。バークレイは都会的で、ガリベン、バンカラです。
どちらの大学も入学と卒業は難しく、常に勉強しないとついていけないようです。したがってアルバイトの時間は持てません。どこのカリフォルニア大学でも学費が高く、公立なのに日本の二倍の学費になると思いました。また、バークレイ周辺ではアパートや学生用下宿の費用が900ドル以上もかかり、生活費も高いようです。


私の所属するのは、大学院だけのSIMS (School of Information and Management Systems)で、日本でいう専門大学院になります。学生数は、30人程度で、修士と博士、そして研究者です。わずかな学生と教員ですが、そのための施設は立派なものでとても日本とは比較できません。

 

私の研究室は、1864年建造で今ではバークレイ校で一番古い建物であるサウスホールにあります。その6Aというのがルーム番号で、場所は古風な建物の半地下の部屋です。キャンパスの芝生と私の座る机の位置から外を見る目線が同じなので、キャンパスを行き交う人々の姿が見えてなかなか楽しいです。
 

 


バークレイ校のキャンパスライフ    


カリフォルニア州の人口はニューヨークの次ですが、経済力では米国ナンバーワンの位置にある豊かな州で、その大きさは日本の本州に等しい。バークレイ校のあるバークレイ市はきわめて進歩的な町で、過去にもベトナム反戦では大学と共闘、そして今、アフガニスタン報復爆撃反対を米国で唯一声明しました。このような反骨、米国の良心ともいえる寛大な思想と文化の市民感情は、バークレイ校による影響です。バークレイの町は、汚くホームレスで一杯ですが、山側には素晴らしい住宅が点在し、そこからはベイエリアを見下ろことができ、遠くにゴールデンゲートも見ることができます。バークレイ市では、アカデミックな雰囲気が日常的です。東部のボストンやニユーヨークとは比較できませんが、それなりにエレガントで、展覧会、コンサート、様々な古典的、先端的なイベントが毎日のように演じられています。


バークレイ校の音楽学院は有名で、世界中から優秀な学生が来て、競って勉強しています。金曜日には彼らの演奏会が行われます。アメリカの西部ではクラシック音楽は似つかわしくないようですが、バークレイやサンフランシスコならば、その雰囲気が合うようです。カリフォルニアで聴くチャイコフスキーもなかなか。バークレイ校には世界中から大学院生が留学しに来ます。

 

 

彼らとパーティで知り合い、お互いに何を研究しているかを話すことは実に楽しみです。情報と知識、デジタルライブラリ、社会情報、エージェント、情報行動、電子社会など話題は共通していますから、つい熱中してしまい時間を忘れます。なにしろ、私の住むサクラメントまでは、バークレイから浜松に帰る距離に相当しますので夜道が心配ですから。

こちらのパーティーは簡単なもちよりの品々を食べます。このような手作りの素人料理ですが、お国自慢を持ち寄り 自慢話に花が咲きます。学生も先生もみんな話術に優れて、ソフィストケートされています。


 


デービス校は農業専門学校として誕生

 

デービス校は1908年に農業専門学校として誕生しました。大学のニックネームは、”Aggie”。これは、農業のAgriculture に由来するものです。したがって、在学生と卒業生は誇りをもって、”CAL Aggie” と呼びます。畜産学、獣医学、医学の分野では特に有名で、多くの学生研究者が世界中から来ています。もちろんバイオサイエンスやコンピュータサイエンスという先端領域でも 知られています。

 

とかく農業と畜産は、日本ではダサイというイメージかもしれませんが、米国は世界一の農業国であり農作物の輸出国ですから、米国ではAgricultureはまさに基幹産業なので独特な Cultureを形成しています。


テレビでも毎晩のようにカントリーウェスタン専門の局から、”ド演歌”なみの泥臭い大西部のカントリーソングの数々を流しています。 鼻にかかった西部訛りの歌を聴きながらのバーボン・ウイスキーの味は格別ですね。
キャンパスは広大で、緑に覆われのんびりとした雰囲気。自転車がデービスの町と大学の交通手段です。これは、自動車社会の米国ではめずらしいことです。自然を大切にし、エコロジーにも配慮するというムードが徹底しています。

 

キャンパスにはできるだけ自然にやさしい建物ということでしょうかコンクリート丸出しの大きな校舎はありません。牧場のサイロに似せたカントリー風の木造校舎という感じです。
      
学生も教職員も自然に溶け込んだフランクで気ままな性格。あちこちの芝の上でノンビリと読書とおしゃべりしています。ときどき木陰と芝の広場では、学生たちによるコンサートが開かれます。


CAL Aggie の教育プログラムは、基礎教育のための学部(Colleges)と専門教育のための大学院(Professional Schools)の二つに分かれています。CollegesやSchoolsと呼ぶと日本では、短大か高校のようですが、まったく違った解釈になります。Collegesには、 College of Agricultural and Environmental Sciences、 College of Engineeringそして College of Letters and Sciencesの三つがあります。つまり学部に相当します。

 

ちなみに私の所属するDepartment of Computer Science は、学科に相当し、College of Engineeringに属します。

それから、Professional Schoolsですが、Graduate School of Management (MBA経営大学院)、 School of Law(法学大学院)、 School of Medicine(医学部)、School of Veterinary Medicine(獣医学部)です。学生数は約4万5千人で、人口6万人のデービス市では市民のほとんどが学生、職員、研究者関係といえます。

 
この建物はデービスらしくなく、モダンで私は好きになれません。カントリー風の木造校舎が似合うと思うのですが。内部は、コンピュータや工学実験室など設備は整っています。私の研究室は三階にあるRCT ( Remote Collaboration Tool )研究室の中にあります。専用のワークステーションとクライアント・パソコンを貸してもらい、本来は研究に没頭すべきですが、デービスボケで、のんびりしています。

 


私のスポンサーというべきか、身元保証人ともいえるのがWalters教授です。先生は70歳になり、引退し名誉教授という立場ですが、毎日朝から研究室に来て、忙しそうにパソコンに向かっています。Walters教授の自宅は、キャンパスから自転車で10分の距離。敬虔なピューリタンの子孫で、誰に対しても親切です。Walters教授は、デービス校で最初にコンピュータ学部を立ち上げた人で、ながらく学部長をしておられ、今日のデービス校の発展に寄与された功労者です。私が、最初にWalters教授のお名前を知ったのが1976年で、その時は先生はスタンフォード大学に勤務されていました。


私の研究室は、カラフルで明るいインテリアです。米国の大学はどこでもオフィスのカラーリング・センスは素晴らしい。
RCTの研究員では、Thomas Amsler を紹介します。Tomは体重100キロの巨体で、タンパンとTシャツで毎日仕事をしています。4月にバークレイ校で知り合った彼女とハワイで結婚。彼女はデービスの中学校の先生をしています。

 


Tomは、スイスのチューリッヒ出身で、そこの大学を卒業後にバークレイ校で学び、大学院をデービス校にしたコンピュータ博士です。毎日一人で、5台のサーバを相手にJava、 C++、 XML、CORBA などのプログラミングに励んでいます。
 

 



図書館は情報と知識の宝庫


カリフォルニア大学バークレイ校の図書館 Doe Memorial Library は外観も内部も古風で厳しいので、いかにも学術拠点としての風格があります。
どこの大学も似たようなもので図書館に威厳をもたせていますが、内部は期待に反して貧弱な場合もあります。
ところが、さすがバークレイ校の図書館は建物・施設、そして蔵書、それから書誌的情報に関してはまさに世界指折。

 

 


内部の主閲覧室は、真っ白なドーム天井でまるで中世カトリック教会のようです。レファレンス室には正面壁面に独立戦争の英雄であるジョージ・ワシントンの戦いの姿を描いた大きな絵画があります。そして天井の壁には歴史的な賢人、ソクラテス、ガリレオ、ダビンチ、エラスムス、ボルテール、カントなどの名前が刻まれたプレートがあります。その知的な雰囲気の下で勉強できる研究者と学生の姿が羨ましいです。
 

 
 

地下は巨大な書庫であり、新しく増築したもので地上の建物に比べて、モダンな建築でした。地下4階まであり、膨大な蔵書が分類されて保管されています。どこの書庫も開架式であり、しかも携帯パソコンの持ち込みが可能です。
 

 

 

 

そしてインターネット接続も可能な図書館LANのコンセントが付いていました。アクセスはDHCPによるもので、IPアドレスをダイナミックに付与してくれます。したがって、携帯パソコンはどこでもLANに接続できるわけです。

 

 


デービス校の図書館は比較的小型で、地味な存在ですが、それでも内部に入るとその施設の充実さには驚きます。デービス校の図書館は、6ヶ所にあり、本部はThe University of Library (Shields)です。

その他にAgricultural and Resource Economic Library(農業と経済図書館)、Law Library(法学図書館)、Loren D. Carlson Health Sciences Library(保健医学図書館)、 Physical Sciences & Engineering Library(工学図書館) 、UCDMC Library(医学図書館)です。
 
 

 

本部図書館は、キャンパスの中央に位置していて、Shields Libraryと呼ばれています。その内部はなかなか斬新な設計で、蔵書と閲覧、レファレンス、コンピュータなどライブラリ・リソースの配置もよくできています。地下1階、地上3階の建物で、明るい室内と中庭が印象的です。デジタルライブラリ「MELVYL」のために多くのパソコンが配置されています。
その数は数百台になると思いますが、閲覧室や専用のパソコン室など、また廊下の片隅にもどこにでもパソコンがあるという感じです。そこから図書館蔵書の検索、インターネット閲覧など学生が自由に使っていました。図書館は学生で賑わっていました。

 

どこの学部でも宿題は図書館の蔵書の指定図書を使っての提出が前提のようで、そのための「レファレンス」と「リザーブブック」のコーナーはいつも満員です。蔵書構成では、地下に東アジア関係の図書室があり、日本のものも数多く見つけることができました。日本の研究のために、日本に行かないでデービスに行くというのも本当かもしれません。
このような国際的な情報と知識の集積が米国の大学の素晴らしい点です。

 

 


Commencement  卒業式は6月に行われます   
 
バークレイ校とデービス校では卒業式を5月末から6月始めにかけて行います。

卒業式は、Graduation ではなく、Commencement と呼び、もともとの意味は「開始」となります。社会に出る門出を意味するようです。学位授与の式典でもあるわけですから、「卒業」という Graduation よりも Commencement のほうが的確です。


 

 

デービス校エンジニアリング学部のCommencement は、300名の学士と50名の修士、そして10名の博士に対して厳かに、かつ明るく愉快に学位授与が行われました。6割の卒業生はアジア系で、その多くが中国からの留学生と中国系アメリカ人です。日本人は1名、そして日系と思われる学生はわずか2名でした。ちなみに黒人は1人しかいません。また、韓国からの留学生も近年、増加しているようです。


アメリカの大学の多くは、このようにアジアと世界中の留学生のための教育システムに変身したようで、アメリカ人の中でも白人層の大学生が減少しているようです。アメリカの次世代を担うのはアジア系の人々になるのでしょうか。

                                

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