スロヴァキア共和国は、ヨーロッパ大陸の東中央部に位置します。北はポーランド、東はウクライナ、西はチェコとオーストリア、南はハンガリーとに囲まれています。北から東にかけてタトラ山脈の高い山並みが続きます。今日では、タトラ山脈は万年雪を頂く風光明媚な観光地域となっています。
昔から知られているのは「チェコスロヴァキア」という国名です。これは「チェコ」と「スロヴァキア」とを組み合わせた名前でした。どちらも民族的にはスラブ民族ですから兄弟といえますが、チェコはドイツ・オーストリアと、スロヴァキアはハンガリーと歴史的に深く関係してきました。1918年第1次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国から独立し、正式に「チェコスロヴァキア連邦共和国」は誕生しました。第2次世界大戦の前夜1938年に分裂し、ボヘミア・モラビアとスロヴァキアとなりました。戦後になり独立を回復し1948年に共産党政権となりました。その後は東欧共産主義国家の優等生でありましたが、1989年の「ビロード革命」によって共産党政権が崩壊し、1993年になってチェコスロバキア連邦共和国が分離してスロバキア共和国が成立しました。 望郷の歌 クリック Goralu cy ci neza (ゴラール) 1993年の分離後は、民主スロヴァキア擁護運動(HZDS)と称する政党による民主政権が生まれましたが、メチアル党首の失政もあり、政治抗争が続きました。現状は、どの政党も少数派であることからHZDS、農民党、スロヴァキア労働者同盟、スロヴァキア国民党による連立政権となっています。 スロヴァキアは、双子の兄弟ともいえるチェコが工業国であるのに比べて、農業一本の国でした。豊富な小麦、大麦、エンバク、ジャガイモなどが農作物が生産されます。もともと工業はなく、チェコとの分離は経済構造を根底から揺るがすことでした。市場経済への移行ではマイナス成長を示す結果となりましたが、1994年頃から価格の自由化、民営化、税制改革などの経済改革の成果が現れプラス成長に転じました。
ブラチスラバ(Bratislava) 聖マルチン大聖堂 |
Last Updated on 08/20/2006 Created by Takashi SAITO |