スロヴァキア共和国は、ヨーロッパ大陸の東中央部に位置します。北はポーランド、東はウクライナ、西はチェコとオーストリア、南はハンガリーとに囲まれています。北から東にかけてタトラ山脈の高い山並みが続きます。今日では、タトラ山脈は万年雪を頂く風光明媚な観光地域となっています。

  • 首都:ブラチスラバ
  • 国土面積:4万9,035km2
  • 総人口(2002年):540万9,000人
    民族構成:スロバキア人(86%)、ハンガリー人(11%)
    主要都市とその人口(2001年):ブラチスラバ(44万8,000人)、コシツェ(24万2,000人)、プレショフ(9万4,000人)、二トラ(8万8,000人)
    言語:スロバキア語

昔から知られているのは「チェコスロヴァキア」という国名です。これは「チェコ」と「スロヴァキア」とを組み合わせた名前でした。どちらも民族的にはスラブ民族ですから兄弟といえますが、チェコはドイツ・オーストリアと、スロヴァキアはハンガリーと歴史的に深く関係してきました。1918年第1次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国から独立し、正式に「チェコスロヴァキア連邦共和国」は誕生しました。第2次世界大戦の前夜1938年に分裂し、ボヘミア・モラビアとスロヴァキアとなりました。戦後になり独立を回復し1948年に共産党政権となりました。その後は東欧共産主義国家の優等生でありましたが、1989年の「ビロード革命」によって共産党政権が崩壊し、1993年になってチェコスロバキア連邦共和国が分離してスロバキア共和国が成立しました。

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1993年の分離後は、民主スロヴァキア擁護運動(HZDS)と称する政党による民主政権が生まれましたが、メチアル党首の失政もあり、政治抗争が続きました。現状は、どの政党も少数派であることからHZDS、農民党、スロヴァキア労働者同盟、スロヴァキア国民党による連立政権となっています。

スロヴァキアは、双子の兄弟ともいえるチェコが工業国であるのに比べて、農業一本の国でした。豊富な小麦、大麦、エンバク、ジャガイモなどが農作物が生産されます。もともと工業はなく、チェコとの分離は経済構造を根底から揺るがすことでした。市場経済への移行ではマイナス成長を示す結果となりましたが、1994年頃から価格の自由化、民営化、税制改革などの経済改革の成果が現れプラス成長に転じました。

 

ブラチスラバ(Bratislava)
ドイツ語では、Pressburgそしてハンガリー語では、Pozsonyと呼ばれた町で、ドナウ川に面した古都です。 ウィーンから車で約1時間、ブタペストから車で約2時間の距離ですから、昔からオーストリアとハンガリーの王国にとっても中心地であったわけです。18世紀にはマリア・テレサ女王がプレスブルグ城で戴冠式をあげています。ブラチスラバは長らくハンガリー王国の首都として繁栄しました。16世紀のオスマントルコによる侵入でブタペストが占領されたこともあり、多くのハンガリー貴族がこのブラチスラバに移り住んだようです。このような歴史では、スロヴァキア人は登場しませんが1803年のナポレオンによるアウステルリッツの三帝会戦の結果、ハンガリー貴族は再びブタペストに戻り、ブラチスラバはオーストリア帝国のものになりました。しかしながらスロヴァキア人とその言葉は主流ではなく、市民の多くはドイツ語とハンガリー語を喋っていたそうです。ブラスチスラバというスロヴァキア語で呼ばれるのは、第一次大戦後1919年のチェコスロヴァキア共和国の誕生になってからです。

聖マルチン大聖堂
ゴシック様式の大聖堂で、13世紀に造られて、16世紀からは戴冠式に使われてきました。聖マルチンと乞食の像が有名。聖マルチン音楽祭では1834年にモーツァルトのレクイエムが演奏されました。



Last Updated on 08/20/2006 Created by Takashi SAITO
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