2000年3月のモロッコ旅行


Morocco has a fascination. The snows of Africa, the High Atlas, the great range of mountains


2000年3月 私はスペインのグラナダからジブラルタル海峡を渡りモロッコを旅しました。

コロンブスがアメリカに到達した同じ年、1492年にイベリア半島最後の回教王国であるグラナダが陥落します。
スペインのカトリック王国イザベルとフェルナンドが成し遂げた最後のレコンキスタでした。
それまで約800年間のアンダルシアはキリスト教徒と回教徒、そしてユダヤ教徒が平和に暮らす土地でした。
スペインを追われた回教徒とユダヤ人はジブラルタル海峡を渡りモロッコに安住の地を見つけました。

これはライブ映像です人工衛星が捕らえたアフリカ大陸

左の写真はグラナダのアルハンブラ宮殿。アラベスクの壁面とパティオに差し込む月の光。背景には雪を頂くシェラネバータ山脈。コルトバを追われた回教王国ナスル朝の栄華を伝えています。
ワシントン・アービング著『アランブラ物語』の中でアルハンブラにまつわる伝説と恋物語を読んだ 記憶があります。


Gibraltar ヘラクレスの柱世界の果てと考えられた天然の要害。
大西洋と地中海の間、ジブラルタル海峡。そびえ立つ岩山が
英領ジブラルタです。1713年のスペイン王位継承戦争の際に英軍が占領。

小岸昭氏の名著『スペインを追われたユダヤ人』(人文書院)で述べられているスペインを追われたユダヤ人の足跡をたどりたいと思っていました。
タンジール、カサブランカ、マラケシュにはユダヤ教会もマラーノと呼ばれた改宗ユダヤ人の墓もありました。


イスラム・モザイク

ジブラルタルの対岸のAlgeciras(アルヘシラス)から2時間半のフェリーの船旅
でジブラルタル海峡を渡るとモロッコのタンジェ(タンジール)に到着します。
カトリック世界から回教世界になり、教会の塔からモスクのミナレットに変わります。

モスクでは、「アラー・アクバル」と思わず口に出す。
偶像崇拝を禁じた回教は素晴らしい。



マラケシュを舞台にした映画は、『グッバイモロッコ』があります。

白い家がカサブランカならば、赤い町がマラケシュ

大好きな映画の舞台となったタンジールのカスバ、フェズ、カサブランカ
マラケッシュのメディナ、アトラス山脈、サハラ砂漠などこの眼で確かめたいと思いました。

神秘のベールに隠されたアラブの女性
マラケシュのジャマ・エル・フナ広場では
アトラスから来たベルベル人や遠くセネガルから来た黒人の大道芸人
多様な民族が見られます。


モロッコはアラブ世界というエキゾチックな舞台です。画家のマティスやドラクロワなど多くの芸術家を魅了しました。映画では、マリーネデトリッヒの『モロッコ』、そしてハンフリード・ボガードとイングリッド・バーグマンの『カサブランカ』が有名ですが、現代のカサブランカは人口三百万の大都会です。Real

作家ではポール・ボウルズがいます。ボウルスの作品ではサハラ砂漠を舞台にした『シェルタリング・スカイ』が有名。1990年にベルトリッチ監督によって映画化されました。

ラバトのカスバ
昔の映画『外人部隊』を思い出す

アトラス山脈の裏からサハラ砂漠が始まります
オートアトラスは海抜四千メートルを越す山脈。
アフリカで雪を頂くのはアトラスと赤道直下のキリマンジャロだけです。



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