スロヴァキア共和国旅行 (その2) 2001年8月29日〜9月12日
調査旅行は、大型のマイクロバスと乗用車の二台によって行われました。ウクライナの悪路からスロヴァキアの田舎道、高速道路まで膨大な距離を走破したことになります。その運転は、Luboとサッチャンのお二人の教授が担当されました。お二人のバイタリティには驚きました。パパロッティかヘミングウェイに似た巨体のLubo、それに比べ小柄でダニーケイに似たサッチャン。
Lubo教授、天野先生、香坂君 川崎先生、天野先生、石川先生 サッチン先生ご夫妻
この調査旅行は長期に渡り、範囲も広大なものでスロヴァキア以外に周辺のウクライナ、ハンガリ、ユーゴスラビアに及びます。このあたりの中部東ヨーロッパは長らく共産主義国家に組み込まれていましたが、民族、宗教、文化は複雑です。スラブ人といってもロシア人、チェコ人、スロヴァキア人、ポーランド人、ウクライナ人、ベラルーシ人、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人などがいます。そして、ハンガリ人とルーマニア人、ドイツ人もいます。さらにユダヤ人やトルコ人、アルバニア人と放浪のロマ人もいます。
Beloveza村の子供たち ルテニア人の親子 奥さんは幼稚園の先生
仲良く暮らしていれば問題ないのですが、ひとたび宗教や民族でトラブルが発生するとユーゴスラビアの崩壊にみるような国家分裂になり、過酷な民族闘争に発展していきコソボやボスニアの悲劇のようになるわけです。
私が参加した調査旅行は、スロヴァキア国内の平和な村々でした。実に素朴で、親切、微笑みの素晴らしい村人が生活していました。人口が800人に満たないような小さな東スロヴァキアの寒村であっても、スロヴァキア人、ハンガリ人、ドイツ人、ルテニア人、ロマ人は仲良く暮らしていました。彼らから大歓迎をうけました。どこでもウオッカの酒盛りに始まり、歌と踊りで終わりました。
ルテニア人には興味ありました。彼らは、ウクライナ語を喋るのですが、宗教がロシア正教とカトリックの二つを受け入れたものでグリーク・カトリックと呼ぶ宗派に属します。ロシア帝国とソビエット時代には迫害を受けて、スロヴァキアやチェコ、そして東ドイツの山中に隠れ住んでいました。
仮装芝居の若者 ウオッカの銘酒 「スターリンの涙」 ピルゼン味のビール(タトラ)
なお、下記に写真集及び私の誕生日(9月6日)でもあったその日にKlenovec村で大歓迎を受けた様子をマルチメディアで提供しました。ご覧になるには、RealPlayerが必要です。
歓迎会でジプシが奏でる名曲(RealPlayer)