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ある家族の昔々の写真館
プライベートな家族の写真や動画などを掲載しています。誠におはずかしい一族の姿をさらけ出すようで見苦しくて恐縮です。
栄子の雙葉第二学園幼稚園から高等学校まで
栄子が過ごした1950年代からの雙葉第二学園時代の想い出。幼稚園から高等学校まで過ごしました。こんな可愛い姿はまるで妖精のようだ。それが60年も過ぎるとなぜ妖怪になるのか。
「あれから60年 彼女の顔は物語」 2021年11月
老夫婦が波際を歩いていた。しばしば砂に足を取られよろよろとつまずいた。
互いに手を差し伸べ硬く握りしめていた。二人の会話が微かに聞こえた。
"しっかりしなさい。もたもたしないこと。ダメなひとね。"
80歳近くの老夫婦はお互いに顔を見合わせた。
あの時は、柔らかな白い手を握り締めてくれたのに・・。
さざ波が幾重にも二人の足元を濡らした。
"冷たくないかい。スカートが波で濡れてしまうよ。素足だから大丈夫なの。"
あれから60年。
こんなにも会話は変わるものなのか。
お顔はまるで妖女百面相のように変わってきた。
彼女の顔は物語になると思った。
孝の誕生 中国山東省青島の想い出
1942年9月6日に青島赤十字病院で生まれました。1946年になり敗戦後の焼土と化した日本に引き揚げてきました。小さな私の手は母親にしっかりと握られて、破れたリックサックを背に担いで歩いていました。辿りついた母の実家の富山市はB29の空襲で全市まる焼けでした。
2015年9月、私は栄子を連れて75年振りに青島を訪れた。出来ることならば母親トミも是非とも同伴したがったが、95歳の高齢になる体では無理だった。懐かしい。涙がこぼれた。75年前にここで生まれて大切に育てられた。心から両親に感謝した。父親トムジは青島で一生懸命に働き私の成長を楽しみにしていた。青島神社や日本人町は残っていなかったがドイツ砲台跡は青島が一望にできる美しい公園になっていた。そこからドイツ風の赤い屋根の家屋が見えた。私の誕生日9月6日にタイミングを合わせた75年振りの青島だった。こんなにも綺麗な町で生まれ育ったのか。まるでフランスのコートダジュールのようだ。嬉しかった。秋晴れで紺碧の空の下、ドイツ教会の広場は婚約記念のポートレイトを撮る素敵な衣装を着たカップル達で賑わっていた。
孝の青島時代の話(pdf)は下記をクリック
http://saitotac.jp/Archive/Travel/china.pdf
★自分史 想い出や懐かしい人々
●『激動の時代に生まれた』(pdf) 自分史 中国・青島 2019年執筆
●『カメのファミリーヒストリー』(pdf) 何所からやってきたのか
●『カメのアイデンティティー』(pdf) カメとは誰なのか
●『津田先生の想い出』(pdf)
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亡き母に捧げるオマージュ
薔薇のような麗人だった。白薔薇と白百合が大好きだった。亡き母を懐かしく偲ぶ。2019年10月24日に永遠の眠りについた。98歳という高齢、天寿をまっとうした。
約2分の動画です。
----> トミと壽 (介護ホームで幸福に過ごすお二人の動画)
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