論 評                   
   『Don’t cry for me Japanese』      2021年  元旦
 

2021年 1月元旦 明けましておめでとうございます。

   Don’t cry for me Japanese
   The hope is I never left you
   All through my wild days, my mad existence


   
泣かないで 日本のみなさま
   希望はいつもあなたのそばに居ます
   嵐のような日々、コロナ禍の中でも

これは替歌の一節で本物は以下の文句です。

         Don’t cry for me Argentina
         The truth is I never left you
         All through my wild days, my mad existence

        泣かないで アルゼンチン
        私はいつもあなたのそばに居ます
        嵐のような日々、逆境の中でも


私の大好きな歌です。
この詩はミュージカル『エビータ』の「Don’t cry for me Argentina」の一節で1996年に映画化されてMadonnaが歌った名曲です。
エヴィータは実在の女性で、貧民街の生まれアルゼンチン大統領夫人に上り詰めた美女でした。


   I kept my promise, Don’t keep your distance
   And as for fortune and as for fame I never invited them in
   Though it seemed to the world they were all I desired


   
約束を守り続けました だからそばにいて

   富や名声など求めたことはありません
   世の人たちは、私がそれを望んだと思ったようだけれど



2020年3月はアルゼンチンのパタゴニアに行きました。パタゴニアは乾燥が激しく砂漠が広がっていますがアンデス側には多くの氷河があります。氷河の数は大小50以上あるといわれています。その規模は、南極、グリーンランドに次ぐ量。氷河の左の頂上が左に折れた山をモレノ山(1,670m)と呼びます。
アンデスの山々に太平洋の湿気を含んだ風がぶつかり、大量の雪を降らせ、
積もった雪が圧力で氷結し氷河を形成するのです。


   They are illusions.
   They’re not the solutions
   They promise to be the answer was here all the time
   I love you and hope you love me


   それは幻想
   解決にはならない
   追い求めていた答えはずっとここにあったのです
   あなたへの愛 そしてあなたも私を愛してほしい



みなさまのご多幸を念じます。

      斉藤 孝

 

 


     草刈り十字軍                  2020年9月

養蜂家のような姿
猛暑8月のアルスロンガ農園カメガーデンに一人の老人が現れた。
まるで養蜂家のような姿だ。顔面を蜜蜂の攻撃から守るネット付き麦わら帽子をかぶっていた。
群がり襲ってくる蚊やアブなど害虫を防ぐためだ。
腰に携帯用蚊取り線香をぶら下げた。肌に防虫スプレーをたっぷりと塗った。
身の丈まで伸びた雑草とひたすら戦う。武器はカマとシャベルや鋭い植木ハサミ。

雑草の緑の海
猫じゃらしやススキ、名の知れない雑草の緑の海になったカメガーデン。
薔薇やトマトなどの姿は見えない。これでは雑草に埋もれて窒息しているだろう。
どこが花壇で畑なのか、遊歩道はどこまであったのか、密林の中に飲み込まれていた。
2019年春に開いたカメガーデン披露の園遊会で愛でた薔薇や夕すげの姿は消え去った。

   「草刈り十字軍」という言葉をつぶやいた。

そして英国の“獅子心王”(the Lion-hearted)リチャード1世を思い出した。
ジハードを叫ぶサラディンとわたりあった12世紀のクルセーダ(Crusader)だった。
十字軍戦士の気分になり雑草刈をやっていこうと奮起した。

もともと十字軍とは、「十字架をつけた集団」という意味で「社会活動家」のことだった。
「草刈り十字軍」は2015年頃の富山県の環境保護活動の話である。
植林した苗木が雑草で衰退しないように、定期的に草刈りをする必要がある。
草刈りは夏場の作業で非常に苦しいことから除草剤が使用された。その結果、山林の環境破壊をまねいた。
全国の学生にボランティア活動を呼びかけ、1974年の夏から手作業で草刈りを行った。
参加した学生は環境保護の重要性を意識した。里山を愛する活動にもつながった。


老いた草刈り十字軍戦士は、へっぴり腰でよろよろとスコップを振るった。
真っ赤な「バンタナ」と呼ぶ頭に巻くスカーフとTシャツ姿は炎の人のようで暑苦しい。
早朝4時から8時まで老いた十字軍戦士は頑張った。古家のテラスまで草刈りは出来た。
冷えたビールを飲み朝食後は“獅子心王”の夢を見ながら爆睡した。

 


  本当のアルスロンガ 『無言館』を訪れた 

                                                                               2020年8月

アルスロンガはアルスロンガ農園の名前として使ってきた。
アルスロンガとはラテン語で、

ARS LONGA VITA BREVIS
アルスロンガ、ウィータブレウィス

その意味は、

「芸術家の命は短く、その作品は永遠に残る。」

さて今回は、本当のアルスロンガを訪れた。
真夏8月の蒸し暑い午後だった。2020年8月5日の信州上田。
そこには『無言館』と呼ぶ小さな美術館がある。
上田市の森の丘にひっそりと建っていた。

第二次世界大戦で戦没した画学生の慰霊のために作られた美術館である。
そこで展示されている作品は全て彼等の遺作ばかりである。

「画学生は戦没したが、その作品は永遠に残る。」

本当のアルスロンガといえるだろう。

若者達が戦没するまでに残された貴重な生きる時間。
画学生という才能があったからこそ最後まで絵筆を取ることができた。
ある画学生は妹の姿を描く。あるものは最愛の妻の裸婦像を描く。
妻といつまでも抱き合って生きていきたかった。
乳房は生々しい、さぞかし無念だったろう。
絵画は物語として永遠に語ってくれる。


下記をクリック願います。プログ(Blog)です。

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   「夕方が一番いい時間なんだ」

                                            2020年5月1日

ノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロ氏の『
日の名残り』は素晴らしい内容だった。
その映画化で名優A.ホプキンスが演ずる老執事は一日を一生懸命働いて、

   「夕方が一番いい時間なんだ」という。

カメの場合は、ガーデニングの後でワインが伴う。

新型コロナ・ウィルスのため外出自粛の毎日が続く。5月の薔薇のオープンガーデンはあきらめた。
皮肉なことに今年の薔薇は力ずよく咲き誇るだろう。残念だが、花々はカメの独り占めになる。

自然に時を経てきたものは美しい。使い込まれたベンチ、アンチーク調の手造りした飾り棚。
花と緑を育て、それを飾り、収穫したハーブや野菜を食する。
そして飲むギネス・ビールと赤ワインの美味さ。
ガーデンにベンチはつきものである。読書したり、ただボーとしたり、時には哲学。

「空間」とは実体なのか。それとも人間が宇宙を理解する中で生まれた概念なのか。
その解明にデモクリトス、エピキュロス、ピタゴラス、プラトンなどの古代の哲学者は生涯を捧げた。
アリストテレスからアインシュタインまで数 千年にわたり「空間と時間」は人間
の思考の枠組みを与える概念であった。

カメの概念論である。お経のような独り言を繰り返す。
薔薇の手入れで雑草と害虫との闘いには効果的である。

アウテリアは自分で設計した。どちらかといえば、セピアカラーの渋い色合い。そして「モネの絵」のような緑。
まるでアマゾンの密林のよう。雑草と雑木の森のよう。悪評もあるが、これが私の自然に対する哲学である。
緑と花に囲まれる、それだけで私は幸せな気分になれる。

 

 

 


   薔薇のつぼみ    「屋形船で濃厚接触」

                2020年5月 
 

不要不急の外出自粛。ネットばかり読んでいる。不健康である。
テレビから聞こえるのはコロナの雑談ばかりだ。しかし楽しんでいる。情けない。
薔薇のつぼみ」は大きくなり咲きだした。今年の薔薇は誰もみてくれない。無念だ。
薔薇のつぼみ」か・・・この語句は響きが良いや と独り言。

   この言葉は誰か言っていたぞ・・・・?

そうだ。思い出した。
薔薇のつぼみ」という謎の言葉を残して臨終するシーン。
1941年の米国映画
『市民ケーン』である。
懐かしい思い出を残してくれた名作だった。
新聞王ハーストを演ずるのは名優オーソン・ウェルズ。 
カメに似た憎たらしい顔。
『第三の男』のツィター演奏も聴いてみよう。
時間はいくらでもある。雑念は続く・・・・・。


   
『日本語が亡びるとき』に到達したようだ。
日本語で知的な議論ができる時代はいつまで続くのだろうか。

コロナ、パンデミック、ロックダウン、
オーバーシュート、クラスター、ソーシャル・ディスタンス

どうしてカタカナ用語ばかりなのか。あやしい英語をカタカナで表したものばかりだ。
新しいカタカナ用語の誕生は新しい情報を獲得したという満足感を与えてくれるのか・・・。
商品コマーシャルのキャッチ・コピーと同じやり方である。
情報は増えたようであるが知識は豊かになった訳でない。
知識とは概念化する能力、つまり抽象化すること。
それは分類という知の体系を築く知性である。

カタカナ用語は、一見斬新であるから知識を得たように考える。
しかし知識となっていない。
ビック・データの一つに過ぎない。
強引にデータマイニングしても知の体系は生まれない。
その骨組みは「概念理論」による。
これはカメの専門だった。

コロナ
コロナは「武漢病毒」と表して何故いけないのか。歴史的に伝染病などは発生地の名前を付けている。スペイン風邪など。コロナという名前は、昔のトヨタ自動車のセダンの名前だった。私も使った国産車の商品名。メキシコの不味いコロナ・ビールもある。コロナ・ビールは売れないだろう。可哀そうだ。

ロックダウン
ロックダウンはニューヨーク州のマリオ・クオモ州知事が唱えると自然に聞こえるが、小池都知事が「ロックダウンを要請したいと思います」と言うと気障である。「都市封鎖」や軍事用語の「戒厳令」は迫力あり老人にもよく理解できるが・・・。
もとは、セキュリティ強化のためにソフトの機能を制限するというIT用語。なんとなく理解できる。PCの電源停止を「シャットダウン」という。似た概念である。

オーバーシュート
これは感染爆発の重大局面という意味だが、「感染爆発」で十分わかる。「目標を上回る」など度を越したりする為替相場で使うそうだ。

クラスター
「集団」と訳せば良い。統計屋さんが好む用語「クラスター分析」で使う。これから統計学で「感染症患者塊」という概念になると困る。

ソーシャル・ディスタンス
これはあまりにも酷い。しかたなくSocial Distanceをカタカナにした。辞書訳すれば「社会的距離」になる。いかにも貧富の差や差別を連想させる。適当ではないからそのままカタカナにしたのだろう。むしろ「濃厚接触」の方が似た意味になるが・・・・・。
「濃厚接触」は傑作な語彙である。つい最近、「屋形船で濃厚接触」というニュースがあった。隅田川での出来事。江戸の昔、元禄時代の艶やかな逢引き場面を妄想し、興奮した。コロナも知らない太平の世だった。

パンデミック
最も分からなかったのは「パンデミック」というカタカナ。
こんな言葉は知らなかった。これは感染症の世界的流行をいう。Pandemicと書き「Pan」が付いているからラテン語で「汎」に当たる。昔の米国航空会社「PanAmerican」のように使われていた。
PAのロゴ入りのフライトジャケットが懐かしい。

日本語が亡びるとき』は水村美苗の著作タイトル(2008年)ちくま文庫である。力作である。

 


 コロナ・パンデミック元年   「カメのテレワーク」

   あらゆるものが「初期化(Initialization)」される。

                2020年4月

   戦争には終わりがあるが、コロナとの戦いは終わりがない。

生活スタイルを変えることを強いられている。
あらゆるものが「初期化(Initialization)」される。
国家、経済、社会、制度、文化、宗教、思想などInitializationされそうだ。
平等に再スタートできる時代を期待したい。
「コロナ・パンデミック元年」の幕開けである。

「カメのテレワーク」  
オンライン帰省、オンライン墓参り、オンライン飲み会、オンライン同窓会、オンライン診察
こんな言葉が聞こえてくる。
「第四の波」が鵠沼海岸までやっと到達したようだ。


『第三の波』は1980年に湧きあがった。米国未来学者アルビン・トフラー(Alvin Toffler)の著作タイトル。農業革命、産業革命に続く、第三の波で「情報革命」が起きるという。情報革命による脱産業社会、つまり情報化社会である。

オフィスワークはテレワークになると予言した。

日本の1980年代後半、OA(Office Automation)による仕事の新しい形が提唱された。SOHO(Small Office Home Office)というテレワークも誕生した。

2020年の日本、毎日のように混雑する通勤電車に乗り、都心のオフィスに通いデスクワークを続けている。Face to Face、ヒューマン・コミュニケーションなど濃厚接触が大好き。仕事は効率よくなる。これが日本を発展させたビジネスのやり方だったというが・・・。精神主義による日本仕事病。

コロナ・パンデミック元年は「第四の波」を誘発した。

カメはテレワークを40年前から続けてきた。
今朝も晴天。薔薇の香りも素晴らしい。昼はブルゴーニュ赤ワイン・ピノノワールを飲もう。

 

 


 

パンデミックとインフォデミック

                        2020年4月

パンデミック
 これは感染症の世界的流行をいう。こんな言葉は知りませんでした。Pandemicと書き「Pan」が付いていますからラテン語の「汎」に当たります。PanAmericaのように使われていました。語源にこだわればギリシア語のPandemia(ラテン文字表記)となります。14世紀のペストや19世紀のコレラ、さらに20世紀のインフルエンザはパンデミックになります。スペイン・インフルエンザは一億人の死者をだしたそう。国名まで付けられたスペインは大変迷惑なことになりました。「武漢病毒」や「中国コロナ肺炎」と呼ばれたくない習近平主席の焦りにも同情します。一党独裁で頑強な中国共産党政権も揺さぶられています。
感染症と人類との関係は一万年前からだそうです。人間が野生動物を家畜としたことに始る。ウシからは天然痘、アヒルからインフルエンザなど野生動物のウィルスが人間に持ち込まれた。そして人から人へとウィルスは感染し天然痘やペストになる。
都会に人々が密集し、地球の隅々まで交通網が発達。人々が移動し交流しています。パンデミック感染拡大に最適な時代です。

インフォデミック
 パンデミック感染者の発見をまるで中世の魔女狩りのように日夜報じています。朝からテレビで感染爆発の重大局面(Overshoot)を叫んでいます。Overshootという用語は医学辞書にも載っていません。小池都知事は都市封鎖(Lockdown)を要請したいと叫んでいます。Lockdownという用語は、セキュリティ強化のためにソフトの機能を制限するというIT用語なのでなんとなく理解できます。もともと両方とも怪しげな英語なので意味は曖昧ですから無暗に使うべきでないと思います。世界のメディアは言葉だけで過激に人々を煽り立ています。どうやらパンデミックよりもインフォデミック(Infodemic)という情報感染症との戦いも必要です。SNSなどでデジタル世界に拡散するフェイクニュース。緊急事態を煽りパニック的な買い占め、これを機会に封鎖社会を作りだす。インフォデミックによるものです。

こんな典型的デマ情報の手法があります。まず誰もが知る病院や実在する医師の名前などを書き込み、信憑性を高める。それを受け取った人が自分はこういう情報も知っていると付け加え、転送する。人に信じてもらうために、転送内容はどんどんオーバーになっていく。デマ情報は不況や災害などで人々が共通した不安を抱えるときに広がりやすい。身近な人、大切な人の予防に少しでも役立てばいいと思って、Lineなど手軽なSNSで拡散してしまう。まさにインフォデミック(Infodemic)という情報感染症です。
 

地球環境を見つめなおす
 悪いのは人類自身です。人類は様々なウイルスに感染してきました。気象変動を起こし、人類が地球のあらゆる場所へ進出し、野生動物とウイルスが調和していたところに侵入しその調和を壊しました。いかにウイルスと共存していくか。ウイルスは自分の一部という多様性を理解すべきです。また人類は一丸となり地球環境を見つめなおすべきです。

なお、詳しくは2020年 4月『カメの絵画と音楽の旅』「ブログ」をお読みください。


テレワークの効果を実証する

    パンデミックは社会変革を促すだろうか ?                                   

                              2020年3月

ペスト汚染
 コロナ・パンデミックは14世紀のペスト汚染に似た恐怖を人類に与えています。ペストは西欧に限定されたものでしたが、ドイツの人口は半減。感染爆発の結果です。ペストの影響は歴史的大変革を誘発したのです。農奴人口の半減によって人材の奪い合いにどう対応すべきか。人材確保のためには賃金を払う必要がある。それが貨幣経済の誕生となりました。ペストという死に至る病は神に祈るだけでは救済されなかった。カトリック教会に対する不信感となり宗教改革へと発展しました。生活における衛生意識も変わりました。下水を整備して町を清潔にするようになりました。ペストは西欧世界の姿を大変革しました。

『第三の波』  1980年に米国の未来学者アルビン・トフラー(Alvin Toffler)は『第三の波』と題する著作を出版しました。「第三の波」で農業革命、産業革命に続く、「情報革命」が起きるという。この本はインターネットが普及する約20年前に、情報化社会の到来を予見しました。人類はこれまで大変革の波を二度経験してきており、第一の波は農業革命(農耕を開始した新石器革命)、第二の波は産業革命と呼ばれるものです。第三の波は情報革命による脱産業社会(情報化社会)であるという。

テレワーク  その頃1984年はカメ(斉藤孝)にとり記念すべき年でした。それまで大学院を出てある大手総合電機メーカーに勤務し、18年間も大型計算機のソフトウェア開発の仕事に没頭していました。1984年、そこでのシステム・エンジニアとしての仕事を退職し、大学に職を変えました。当時はパソコンが誕生し、カナ漢字変換を可能にした日本語ワープロも誕生していました。その価格は一台600万円もし高級ベンツ一台相当の高価なものでした。

OA革命    流行したコトバはOA(Office Automation)です。やがてネットワークによるオンラインサービスも本格化しました。事務系の仕事はOAとテレワークによって歴史的に変貌するというOA革命が唱えられていました。アルビン・トフラーの著作『第三の波』は実に的を得た予言本だったわけです。SOHO(Small Office Home Office)という考え方も生まれ、自宅や僻地でテレワークを実験することもありました。2000年代になりネット社会は当たり前になり「情報革命」は実現されたかのようです。ところが実際のオフィスワークはあまり変わっていません。毎日のように混雑する通勤電車に乗り、都心のオフィスに通いデスクワークを続けています。テレワークはあまり使われていませんでした。 日本のビジネスは対面密着による人間関係を重視する傾向があります。

クラスター  2020年のコロナ・パンデミックは人と人との接触で感染拡大しています。その予防には隔離しかありません。学校クラスター、職場クラスターなど集団化による感染の予防には自宅勤務とそのために利用されるテレワークの効果を実証してくれました。これで仕事の形、暮らしの形、教育の形など社会の形を変え本当の情報化社会が実現されそうです。パンデミックは歴史的変革を促すでしょうか。


輪廻転生と鳥葬儀式  

                2020年3月

 

 チベット・アミニズム宗教の信仰形態として特徴的なものは、マニ車、タルチョー(経旗)、鳥葬などが残っている。鳥葬は古代ペルシャ・ゾロアスター教徒と同じものだ。違うのはゾロアスター教では死体は悪魔の住処。それを火を使い火葬するなど火を崇拝するゾロアスター教徒にとりタブーである。死体は放置されてハゲワシの餌になる。インドへ逃げたパーシー教徒は「沈黙の塔」に置きハゲワシに食わせる。
チベットの鳥葬の考え方は全く異なる。貰った命を還元する。魂が抜け出た肉体を他の生命ハゲワシに布施として与えることで、 前世の罪を洗い流し天に還る。ハゲワシは魂が去った後の肉体を天へと届ける。鳥葬師により細かく裁断され、骨も石で細かく砕く。これぞ天空チベットの信仰「輪廻転生」である。宗教よりもチベット哲学と呼ぶべきもの。全てを無に戻し再生を願う。戒名や墓地に葬るなどは欲望の証。鳥葬という思想は、私がこれまで抱いてきた世俗邪念を圧倒した。こんな思想とGAFA(IT概念)が戦ってもIT側に勝ち目はない。物凄い 真理の力をもつチベット信仰に心酔する。まさに「鳥葬」は思想なのだ。ここで関係ないがインカの歌『コンドルは飛んでいく』の一節を変えたものから。日本のボケ老人(ハゲワシ)よ大志を抱け。
 
    飛べ飛べハゲワシ飛べよ
      果てしない空を
    ヒマラヤのやまに
       影を落として
    裏切られたチベットの
       笛の音かなし
    自由のため死ねと

2020年1月 チベット・ラサ紀行から。詳細は「ブログ」をお読みください。


幸福な監視国家  自由からの逃走

人は監視されてこそ自由を得られる。未来社会は自由から逃走を促す監視社会によって完成する。
人間にとり自由は憧れであるが、自由があり過ぎると不自由を感じる。権威という枠組みがあるからこそ幸福なのだ。下記の二冊の著書から考えてみた。

『自由からの逃走』 E・フロム著 日高六郎訳  創元社 1951年
『幸福な監視国家・中国』  梶谷懐・高口悠太著  NHK出版新書 2019年

1941年に出版された心理学者E・フロムの名著『自由からの逃走』は、権威主義に憧れることを人間の自由からの「逃走のメカニズム」として分析した。個人が自由を尊ぶ自由主義というものが皮肉なことに第一次大戦後のドイツでナチズムを生み出す結果になった。自由を束縛するナチズムは権威主義の典型と思える。権威の象徴といえる軍服がよく似合うのはドイツ人である。ドイツ人にとり権威主義に憧れることは、古代ゲルマン民族から受け継がれてきたDNAだった。農民は農民、労働者は労働者、商人は商人という階級などが決まっていると意外に楽に暮らせる。思想の自由があり過ぎると様々な考え方や生き方が生れ、やがて秩序が乱れ社会は混乱する。自由ほど不自由なことはない。独裁でも全体主義的でも安全に暮らしていけ、富みを与えてくれる国家に生きていることが幸福なのだ。国家は人民を監視して欲しい。
21世紀の現在、中国には街中に約2億台の監視カメラがある。ネットでの書き込みなど個人情報も全て監視している。監視カメラは中国から交通事故を減らし、治安を改善した。中国人はテクノロジーに対する信仰が非常に強い。中国共産党政権はITを巧みに操り人民を幸福に導いていく。 5G通信を握るHUAWEIスマフォはそのまま個人を捉える監視カメラになる。人が人を密告するのではなくスマフォとAIによって幸福な監視国家は繁栄していく。自由からの逃走する社会が現実になったのだろうか。
 

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『日本語が亡びるとき』
水村美苗(2008年) ちくま文庫

著者は、言語を現地語、普遍語、国語の三つに分けた。現地語とは各地で使用される言語であり、普遍語とはラテン語や漢文のことであり現在の英語も世界的な規模で使われているから普遍語といえる。国語は、現地語から発展して普遍語に等しい表現力をもたらしたものである。
日本語は明治以来、西洋の文化的圧力にも負けずに西洋と異なる文字と表記法をもちながら日本の国語となった。
日本語は何度も滅亡の危機にさらされた。例えば1866年に漢字廃止論まであった。
日本語と日本文学は日本語の特性を生かしながら魅力的な作品を次々と生み出してきた。
しかしながら日本社会は日本語を軽視して、表音文字言語の勢いが増している。
日本語で知的な議論ができる時代はいつまで続くのだろうか。
素晴らしい名著である。

日本のメディア、大学そしてネット世界では『日本語が亡びるとき』に到達したようだ。

 

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オノマトベ(雪国コトバ)

9月20日に関越を飛ばし軽井沢に向かっていた途中、上里PAで見つけた『雪と旅』(2019年秋)という冊子。「YUKIpedia」雪国コトバ図鑑を特集していました。なかなか興味深い内容で素晴らしい編集です。
その冒頭の文章をそのまま引用しました。

世界には5000以上の言語があると言われていますが、日本語ほどオノマトベが発達している言語は他に見当たらないと言わています。オノマトベとはフランス語で擬音語・擬声語・擬態語のこと。
川が「さらさら」流れたり、水が「じゃぶじゃぶ」あふれたり、「ミーン、ミーン」と蝉が鳴いたり・・・というような表現。
自然に関する表現が多いのは一万年以上も自然と共生して暮らした縄文時代の影響かもしれません。
雪国に暮らす私たちにとって「
」を表す言葉や表現が多いのは当たり前。
そんな言葉を「雪国コトバ図鑑==ユキペディア」としてまとめました。
言葉から雪国を巡る旅にでかけましょう。


しみわたり(凍み渡り)  凍った雪の上を歩くこと
しんしん  雪が絶え間なく降る様子
はっこい 「冷たい」
どかゆき  一度に大量の雪が降ること
ゆきんこ(雪ん子)  子どもの姿の雪の精

この冊子を編集した十日町、みなかみ町、津南町、栄村秋山郷などから集まったみなさんが若々しく知的で魅力的ですね。日本の雪国の魅力を世界に発信して下さい。

雪国観光圏ホームページ
http://snow-country.jp/

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定常型社会

「馬鹿でも暮らしやすい社会」を築いた。日本人は自分の荷物を席に置いたままトイレに立つ。周囲の人を信じている 「まるで馬鹿」です。 しかし、これはいかにも日本人らしくて素晴らしいことです。規則を重んじ、他人を尊重するからこそ、自分の目先の利益だけを求めることをしない。小賢しく立ち振る舞わねばやっていけない日本ではないはずです。品格で頑張りましょう。
不便をこよなく愛したいのですが、日本は何処にいても自動販売機が並ぶという奇跡の国。人口減で不便でもアルカディアを夢見ています。感銘を受けたのは広井良典が提唱する「定常型社会」という構想。定常型社会とは人口と経済の成長が限界に達した社会のことです。一切の成長を断念してあえて生産の膨張をこれ以上求めない社会でもあります。これまでの経済の持続可能成長論では資源枯渇と環境破壊、そして貧富の差が拡大するだけ です。日本は豊かな田園が広がりますから、そこに大きな家と庭や畑を持ち、最先端のITを活用できる定常型社会も可能です。

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