斉藤 孝 の ガーデニング  庭作りと園芸の記録

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神は偉大なり(アッラーフ・アクバル)

カタールのドーハやエミレーツのドバイは今や巨大なハブ空港となり、世界中の国々へも飛ぶことのできる便利なゲートウェイとなりました。イスラエルの若者は頭にキッパと呼ぶ小さな帽子を付けていました。「シャローム」と呼びかけると嬉しそうに微笑んでくれました。私が3回もイスラエルに行きましたというと、貴方はユダヤ人ですかと逆に質問してきました。今度は「サッラーム」とアラビア語で、続いて「神は偉大なり(アッラーフ・アクバル)」と答えると大笑いになりました。

オーストラリア シドニー カナダ ケベック マレーシア

海外旅行 紀行集(2000年〜2020年) 年代順に要約しました。

 

 世界中の友とすごせる幸福な時代でした。(クリック) 


 

南半球の常識

南アフリカのケープタウンに行きました。晩秋11月の日本を出発して香港経由で18時間のフライトでした。テーブルマウンテンでは南極から吹き付ける寒い強風、これが南風なのが北半球の常識と異なります。ケープタウンでは北風が暖かで窓も北向きが最適なのです。ケープタウンはサンフランシスコ湾に似ていてそこに浮かぶロベント島は刑務所のアルカトラス島にそっくりです。
 

ギリシア アクロポリス ポルトガル ミコノス島
 

パリ国際大学都市

4月には野生のシクラメンが咲くアルバニア、モンテネグロ、ボスニア、クロアチア、スロベニア のバルカン諸国を回りました。5月〜6月は長年の夢でしたアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアのコーカサス諸国。7月はデンマークのコペンハーゲンからドイツのリューベックまで列車で旅をしてベルリンまで行きました。9月は生まれ故郷の中国山東省。10月はスリランカの仏跡を巡礼。11月はポルトガルとスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラを巡礼。12月はドイツのクリスマス市場でホットワインを楽しみながら警戒厳重なパリまで行きました。初めて美しいパリ国際大学都市を訪れ日本館館長をしている友人に会うことができました。老体に鞭打つ過酷な海外旅行を続けましたが、なんとか達成感を得たようで満足しています。

(写真 左)アルメニア アララット山  

    (写真右)  アゼルバイジャン学生      Page up ↑

                             

「命のビザ」の杉原千畝さん

 世界地図や世界史を毎日のように読みふけっています。今年は3月にフィンランドからエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国とポーランド。リトアニアのカウナスでは「命のビザ」の杉原千畝さんの領事館跡(杉原記念館)を訪ねました。難民ユダヤ人にビザを発給して亡命を助けた杉原さんは日本のシンドラーだったのですね。スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」は素晴らしい名画です。杉原千畝さんの映画も公開されたそうで嬉しくなりました。  (写真左) モスクワの赤の広場とクレムリン

アウシュビッツ強制収容所

極寒の2月にフィンランドのヘルシンキから船でエストニアのタリンに渡り、そこからラトビアとリトアニアを抜けてポーランドに行きました。古都クラコフでは近くにあるアウシュビッツ強制収容所を見てきました。観光地ではありませんが、ナチスドイツのユダヤ人迫害の地として歴史遺産になっています。ナチスの犯罪は数多くあり、それを題材にした映画は多すぎて数知れません。

  (写真左)  ポーランド アウシュビッツ強制収容所       ( 写真右)  コルシカ島 巨大クルーズ船

映画「ハンナ・アーレント」

映画「ハンナ・アーレント」は全く違った視点からナチスのユダヤ人迫害をとらえていました。アイヒマン裁判を題材にした映画です。深く考えさせられたのはアイヒマン裁判を「悪の陳腐」という概念で結論付けたことです。悪とは普通の人間に内在する問題であるという意味です。アイヒマンはナチス親衛隊中尉で600万人のユダヤ人をアウシュビッツなどの強制収容所に送り込んだ特別な人間と思われたが、忠実に命令を実行するだけのどこにでもいる普通の人間だったのです。多くの戦犯とおなじような軍隊官僚組織の犠牲者でした。

   (写真右) ベルリン ブランデブルグ門

 

 

 

聖地を訪ねました 

ヒンドゥー教のベナレス、仏教のブッタガヤそしてキリスト教、ユダヤ教、イスラム教のエルサレムです。嘆きの壁、黄金のモスク、ベツレヘム・ナザレで敬虔に祈る人々にサラーム・シャローム。年末12月に訪れたエルサレムではヘブライ人もパレスチナ人も平穏にクリスマスを祝っていました。エルサレムは聖地であり世界の人々の国際的な首都なのです。

インドの人々はヒンドゥー教こそが宗教の原点であると誇りにしています。一神教の厳しさもなく穏やかで寛大な教えです。それを基にしたジャイナ教そして仏教は素晴らしい。中国西域の敦煌の仏像 のお姿。天竺ブッタガヤ・アジャンタなどからガンダーラ・パミールを超えてゴビ・タクラマカン砂漠を渡り飛鳥天平の日本まで遣ってきたのですね。
2017年の海外旅行は美術館巡りと聖地巡礼が目的でした。アブダビに出来たルーブル美術館ではマネが描いた横笛を吹く少年兵の絵画など名画の数々を身近に鑑賞できました。灼熱の砂漠にあるアブダビにこのようなルーブル美術館が 建設されたことに違和感を感じました。

 

聖地エルサレムを望む 
アブラハムには二人の息子がいた。正妻サラに子供が生まれなかったので、召使ハガルとの間にイシュマエルという子をもうける。しかし、その後正妻との間にイサクという子が生まれた結果、イシュマエルは砂漠の荒野に追い出されてしまう。イサクはヘブライ人の祖となり、イシュマエルはアラブ人の祖となる。アブラハム(イブラヒム)は、ユダヤ人とアラブ人の共通の祖であり、同じセム族に属する兄弟民族といえる。神は、ある時アブラハムはその子を供え物として供えるように命ずる。
旧約聖書はイサクを供えたという。コーランはイシュマエルを供えたという。
兄弟は仲良くなってほしい。エルサレムのゴルゴダの丘、イエス処刑跡には聖墳墓教会が建っている。これは全世界のキリスト教徒の聖地である。ユダヤ教徒の聖地、嘆きの壁の上には、モハメッド昇天の岩とされる金色に輝くドーム(モスク)が建っている。これはイスラム教徒の聖地なのだ。

(写真左) エルサレム 黄金のモスク

 

 

ベドウィンの原点 

アラブ世界の貧富の格差は嘆かわしい。パレスチナ、シリアからのアラブ難民は富める西欧世界を目指しますが、何故、サウジ、カタール、アブダビ、アラブ首長国など富めるアラブ世界を目指さないのか。偉大なムハマドの教えは人々に経済的な施しを説いています。豊かなアラブ諸国はお金だけでなく、同胞アラブ難民を大量に受け入れてください。アブダビの未来都市に投資するお金をアラブ難民と貧しいアラブ諸国に投資すべきです。アブダビにルーブル美術館は不要です。ドバイに巨大な西欧世界を創る必要 もありませ ん。輝けるベドウィンの原点に戻り平和なアラブ世界を復活させてください。
(写真左上) インド人の家族         (写真右) グルジアの子供たち

(写真左下) カザンのレーニン像

 

東欧のエスニックコミュニティ(2001年9月)           Page up ↑

2001年9月にスロヴァキアを中心にチェコとオーストリアを調査旅行しました。この調査旅行は長期に渡り、範囲も広大なものでスロヴァキア以外に周辺のウクライナ、ハンガリ、ユーゴスラビアに及びます。このあたりの中部東ヨーロッパは長らく共産主義国家に組み込まれていましたが、民族、宗教、文化は複雑です。スラブ人といってもロシア人、チェコ人、スロヴァキア人、ポーランド人、ウクライナ人、ベラルーシ人、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人などがいます。そして、ハンガリ人とルーマニア人、ドイツ人もいます。さらにユダヤ人やトルコ人、アルバニア人と放浪のロマ人もいます。

 

Góralu czy ci nie żal

私が大好きになった地元の素朴な民謡です。南ポーランド、北スロヴァキア、タトラ山脈地方の素朴な名曲『Góralu』。Góraluとは『Highlander』、山の民のことです。試しに聴い(mp3)てみる。

 

Góralu czy ci nie żal
Góralu, czy ci nie żal
Odchodzić od stron ojczystych,
Świerkowych lasów i hal            
I tych potoków srebrzystych?

Góralu, czy ci nie żal,
Góralu, wracaj do hal!
Góralu, czy ci nie żal,
Góralu, wracaj do hal!

 

Highlander do you not regret
Highlander, do you not regret
Abandoning your paternal homeland,
Spruce forests and chalets
And the silver streams?

Highlander, do you not regret,
Highlander, return to the chalet!
Highlander, do you not regret,
Highlander, return to the chalet!

                    (写真右上) ブラチスラバのレーニン・カフェ

                          (写真右下) Góraluの子供たち

ロマ人

ロマ人の集落、「オサダ」を初めて目にして、その貧しさにショックをうけました。ロマ人は、多くの国ではジプシーと呼ばれています。スペインではアンダルシア地方のフラメンコの踊り手として有名。フランスでは、その昔は馬車で放浪し、今でも車で移動するジタンがいます。ボヘミアンと呼ぶようにチェコのロマ人は知られています。もともとボヘミアはチェコの地域名称でした。東欧ではハンガリアン・ジプシのバイオリンの哀愁に満ちた音色と伴にロマ人をどこでも見かけます。ロマ人は、私と同じく肌浅黒く、髪の毛も目の色も黒ですから、おそらくインド南部ドラビダ人地方から移動したと思われます。はるばるインド大陸から何千年も前に、このような東欧の山の中にやってきたロマ人の足跡に感慨深くなりました。ロマ人の演奏してくれた名曲は実に素晴らしく、東北スロヴァキアの山中に響き渡っていました。このようなジプシーが奏でるバイオリン名曲を私の誕生日のために弾いてくれました。10年前の紀行をお読みください。

(写真左) ロマ人の子供たち

 

国境の南への旅 (2003年3月)                   Page up ↑
メキシコは、軽快なラテンの曲を奏でるマリアッチ楽団。その昔、トリオロスパンチョスの曲に熱中したものです。 そして、歴史です。コルテスによるアステカ帝国とマヤ帝国の征服。
スペイン植民地文化とアズテックなどインディオ文化が巧みに融合したメキシコは魅力ある歴史を展開してきました。黒い髪と目をしたインディオのサンタ・マリア、1846年の米国との戦いによるテキサスなどの侵略。
1864年のナポレオン三世によるフランスとの戦いと帝政。1876年から35年にも渡る 独裁者ディアスの時代。
そして、それに対する有名な1911年〜21年のメキシコ革命。革命児サパタやパンチョン・ビラの農民革命。美術では、ディエゴ・リベラの壁画。そしてオロスコとシケイロスの絵画。さらに女性のカーロは最近になり映画化され ました。続き「メキシコ紀行」を読む。

アステカ文明とインカ文明

あの広大な国土と、先住民の人口、そして優れたアステカやマヤ文明のもとでは、宣教師や教団による普通の布教活動だけては改宗は易しくありません。
「改宗か死か」という強権だけではとても無理です。
何故、カトリックが急速に普及したのか、かねて疑問でした。
謎が解けました。グアダルーベの奇蹟を作り出して、巧みにインデイオの土俗信仰と整合させたのでした。それが「黒い聖母」です。カトリック教団の巧みな改宗戦略に敬服。

正月に行ったペルーのインカ帝国の遺跡「マチュピチ」もスペインの盗賊、ピサロによってだまし討ちによって征服されました。 続き「ペルー紀行」を読む。

 

 

(写真右上) メキシコ市国立大学    (写真右下)  ペルー  インカ遺跡

                                            

 

 

 なお、さらに詳しい海外の旅の記録は「紀行」をお読みください。

 

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