斉藤 孝 の ガーデニング  庭作りと園芸の記録

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    過ぎし日の旅、山の想い

日本に生まれてよかったと私は熱く思う。『故郷』を歌っているうちに日本の山河が浮かんできます。日本の原風景です。こうした景色を 見ながら私も大人になりました。私の大好きな自然は、 「万巻の書を読み、万里の道を往く」という名言を実現する場です。とても万里にも日本100名山登頂にも及ばないが、山々の旅を楽しんできました。

「過ぎし日の旅、山の想い、森に彷徨い、谷を行き、峰に立つ日を忘れえず。」

これは愛する昔の山の歌です。山奥の露天風呂も楽しみですが、最近はお猿さんも楽しんでいます。山登りは、浅間黒斑山、前穂高、岩菅、根子岳、車山など低い山に10数回行きました。
(写真左 八方尾根             (写真右)上高地
     
 
戦後の荒廃と飢餓               
いつも登山で重いリックサックを背負う時、あの引き揚げの破れた小さなリックサックを思い出し、奮い立ちます。苦しくなると独り言をつぶやきます。

「汗水を流そう。頑張ろう。粘ろう。必ずや山頂に行ける。」

体力は衰えていますが、気持ちは若年です。戦後の荒廃と飢餓を耐えましたから。健康な体を与えてくれた98歳になる母親(トミ)に感謝しています。

 

 

 聖地を訪ねました

 ヒンドゥー教のベナレス、仏教のブッタガヤそしてキリスト教、ユダヤ教、イスラム教のエルサレムです。嘆きの壁、黄金のモスク、ベツレヘム・ナザレで敬虔に祈る人々にサラーム・シャローム。年末12月に訪れたエルサレムではヘブライ人もパレスチナ人も平穏にクリスマスを祝っていました。エルサレムは聖地であり世界の人々の国際的な首都なのです。

(写真 左)  志賀高原 地獄谷猿園   (写真右)  南アルプス 北岳(50年前)

 

 

 


海外旅行 紀行集(2000年〜2020年) 年代順に要約しました。

 

 世界中の友とすごせる幸福な時代でした。(クリック) 



ローマカトリックというメディア 

テレビや新聞などメディアは、パレスチナで闘争が激化しているように大騒ぎしてますが、メディアのみなさんには冷静な報道をお願いします。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も共通の祖アブラハムから生まれた兄弟ですから仲良く暮らしてきました。宗教の違いを強調し、 政治に利用してきたのは時の権力者です。

 

十字軍思想

その中でローマカトリックはユダヤ人を虐め、十字軍思想を生み出しイスラム世界と敵対させることを煽り立ててきました。インドの人々はヒンドゥー教こそが宗教の原点であると誇りにしています。一神教の厳しさもなく穏やかで寛大な教えです。それを基にしたジャイナ教そして仏教は素晴らしい。中国西域の敦煌の仏像のお姿。天竺ブッタガヤ・アジャンタな どからガンダーラ・パミールを超えてゴビ・タク ラマカン砂漠を渡り飛鳥天平の日本まで遣ってきたのですね。                                                                                 
 (写真左) 北アルプス を望む スケッチ絵画          (写真右)    南アルプス北沢峠 甲斐駒 (55年前)                          

                                                 Page up ↑

冬山に挑戦

50年前は雪山にも挑戦しました。4月末の南アルプスは積雪が2メートルもあります。稜線は凍結したり雪庇と呼ぶ雪の大きな塊が巨大な屋根のように突き出ています。雪崩の危険もあり ますが、雪山の神々しい美しさはこの時だけしか体験することができません。冬山の装備は足にスノーシューとアイゼンや深い雪ならばワッパを付けて手にピッケルを握りしめ慎重に登っていきました。雪上訓練としてピッケルによるグリセードを行いました。これは急な雪の坂道をピッケル一本を頼りにして滑り落ちるというなかなか難しい技です。

(写真左) 雪の稜線を進む                     (写真右) グリセード  雪上訓練

あの頃の山歌です。
    
カラマツ燃えくる(紅葉の)秋山を
    みんなでみんなでやった(登った)っけ。
    胸まで浸かるラッセル(深い雪)に苦労したことあったっけ。
    今ではみんな遠くに去り、友を偲んで筆をとる。

 

エベレスト街道    2010年11月
卒業してから45周年記念を兼ねる旅でしから、老人の登山です。エベレストに登るわけではなく、その麓の山道をトレッキングするわけで、誰でも行ける安全な山道です。高地に住むチベット人やシェルパ族にとって普段の生活の道ですから、多くの村々が点在し、素敵なホテルやロッジもあります。子供たちは学校に行き、人々はラマ教に帰依する信仰深い穏やかな生活をおくっています。カトマンズなどの低地に住むネワール人やインド系の人々のようなヒンズー教やイスラム教とは違い、日本人にも馴染めるチベット仏教(ラマ教)です。さらに安心できるのは、彼らの顔は日本人とそっくりのモンゴロイドだからでしょうか。
 


ネパールの首都カトマンズから小型飛行機で約40分のルクラ(2840m)まで最初に行きますが、悪天候により小型機は飛ばず待機しました。どうしてもスケジュールをこなしたいので5人乗りのヘリコプターをチャータしました。6人と荷物を載せてルクラの麓の畑になんとか着きました。そこから10日間のトレッキングを開始しました。エベレスト街道はチベット系のシェルパ族が暮らす生活道路です。ただ車は行くことができない、歩行とヤクや馬による輸送だけの街道です。遥かヒマラヤの峰々を超えてチベットまで続いています。

まず、目指す村落はナムチェバザール(3440m)です。初日はパクディン(2652m)で一泊。その渓谷を流れるドオドコシ川はエベレストの氷河を源流とする川で、急流を吊り橋で数回渡りました。酸素が半分となる高山病の対策は重要です。吐き気や食欲不振の症状が現れるようですが私には全く関係なく、毎日夕刻のお酒 を楽しみ、食欲はありました。(写真左上)ヒマラヤの山々

(写真左下)エベレスト街道  (写真右) アマダルマ

 

大名行列
街道は世界中からのトレッカーで大混雑しています。狭い道を行き交う人々とヤクや牛のキャラバンで渋滞していました。山道というよりは昔の東海道を歩く感じです。比較的平坦な起伏もなく、安全な街道です。高度が高いので高山病になる人もいますが、健康な人ならば女性や子供でも大丈夫です。チベット人やネパールの高地人は赤子から子供、老人までも生活している普通の高原といえます。日本人は大げさにポーターやシェルパを多く雇い、遠征隊などと呼んでいるようですが、それに比べると欧米人などは一人のポーターを雇うのが普通です。我々は多くのシェルパを雇い入れて、荷物から三食の食事までの世話を頼みました。まるで大名行列のようで恥ずかしい感じもしました。エベレスト街道の道順は、タンボチェ(3867m)、パンボチェ(3901m)、ペリチェ(4215m)、トゥクラ(4593m)、ロブジェ(4930m)、ゴラクシェブそしてゴールはカラパタール(5545m)です。詳しい「エベレスト街道」をご覧ください。
(写真右)カラバタール

 

 


       KWVキチ会  祝 喜寿合宿   2020年10月

 

   966年 我々はなんとか卒業できた。みなさんは若かった。

      そこには未来があった。

 

   2020年 我々は77歳になり、なんとか喜寿を迎えるだろう。

       そこには懐かしい想い出が残った。 

 

           

        喜寿合宿プロモーション・HomePage を見る。

                             

 

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