斉藤 孝 の プロフィール        Tac  Takashi  SAITO


Takashi's Profileは、斉藤孝と申します。古い人間です。生まれは、恥ずかしながら1942年で、場所はおとなり中国山東省 の青島(ちんとう)です。青島ビ−ルで有名な町ですが、1919年まではドイツの租借地でした。その青島には5歳までいましたが、思い出はほとんど残っていません。愛犬シェパ−ドと一緒に彼のセンメンキに入った餌をガツガツと食べたこと、中国人の反日デモ隊を赤煉瓦の壁の裏から、恐ろしそうに眺めたこと、我が日本が負け、冷たい煉瓦作りの収容所の入れられ不安な毎日を過ごしたことなど惨めなことばかりです。ただ、楽しいことは自宅の隣に住んでいた白系ロシヤ人からラスクと呼ぶ美味しいお菓子をもらったことや、親切な私の子守り役のク−ニャンのお乳が大きく、なま暖かだったこと、これらが私の中国での幼児期体験です。はなはだ植民地的なので、反動分子として三角帽子を被せられそうです。そんな真面目な紅衛兵の姿は今ではまったく見られません。人民服の似合うあの中共はどこにいったのでしようか。願いは是非とも、青島に行き、生まれた家やドイツの砲台、青島神社の跡、日本の栄光とも思える真っ白な日本の病院船。それが沖に泊まっていた、あの真っ青な青島の海を眺めてみたいものです。初老のノスタルジ−でしようか。

左上の写真は、私の誕生の地である青島における1944年、3歳の時の写真です。軍国幼児の姿で日本軍の戦闘帽をかぶり、手にはライカ製カメラを持っています。そして、 右の写真は2005年に写してもらいました。好物のギネスを前にしてご機嫌ですが、63歳になり、変わり果てた枯れ木のようなボケ老人の顔です。その前年の2003年4月からカリフォルニア大学バークレイ校で客員教授として迎えてもらえることになり、空威張りするために髭を付けました。この髭面に対して私の義兄Jim Hummel は、漫画を描いてくれました。ラスト・サムライを真似て鎧を付けて、趣味のテニスとガーデニングの道具を持っています。 (漫画は、クリックすると拡大します)

真夏の青空に浮かぶ入道雲、その姿を求めて一年を過ごしています。私の住む片瀬海岸でも素晴らしい入道雲があります。それからワインと太陽の輝く米国カリフォルニアで見たものも雄大でした。ガーデニングと農業、お酒と音楽、映画、スポーツを楽しんでいます。もちろん、本職である記録情報学の研究も楽しんでいます。それが熟成されたワインのような芳醇で、濃厚な味のある研究成果となることを夢見ています。私は、つねに「未来志向」がモットーです。ただし、残り少ない未来ですが・・・・・・。 近況では、2008年7月にインタービューを受けました。 65歳の心境です。(PDF)

年頭の御挨拶をご覧ください。 : 2010年 | 2009年 | 2008年 |2007年 | 2006年  | 2005年 | 2004年 | 2003年


Interview(RealPlayer) |  ガーデニング| メキシコ | モロッコ | 東欧 | 南米 | エルサレム巡礼 | カリフォルニア大学

ご挨拶(音声) (動画mpg) |  English | 中央大学 | 青春(PDF) | 経歴(PDF) | 著作 | 記録情報学
[元勤務・慶応義塾大学]  [元勤務・(株)東芝] 
[元勤務・愛知淑徳大学]


 

 

inserted by FC2 system