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  いつもダブルのストレートウィスキー
             「オコゼ」を心底知る親友として       

                野添篤毅

 カメさんからの裏田君、オコゼへの追悼文そして写真に私の思い出のすべてが語られています。法師温泉の集合写真なつかしい!津田さんが囲炉裏に座って酒を飲んでいた!。

 私が彼に出会ったのは三田のJLSではなく津田御大(津田良成先生)が香港シャツで毎日檄を飛ばしていた信濃町の北里記念医学図書館でした。

人生の師となる津田先生
 当時、大学で化学を学んでいた私は、その頃、話題になってきた「量子力学」がこれからの化学分野に必須と思い始めたが、私にはもっぱら苦手な量子力学は諦めて方向転換を考え始めました。そして興味のあった専門図書館活動について色々な人に聞いるうち4年の秋、その後の人生の師となる津田先生を先輩から紹介された。

裏田君との出会

 その時、津田さんは北里の階段下の狭い部屋で「いかに医学図書館の活動が重要で楽しいものか」をあの調子!で白版に書きながら説明してくれ、最後に再来年にJLSの大学院ができるのでそこに来なさいと、そしてそれまでの間、北里でアルバイトをしなさいと勧められ、私はその場でなぜか即座にOKしました。それが津田さんの魅力だったのですね。 その後大学院に進学し、私の医学情報分野での人生が始まり、 裏田君にも出会うこととなりました。

オコゼは貸出
 北里では私は津田さんの創設した「文献分析」係に配属、 周りにはJLSの美女軍団に囲まれて仕事をしていました。 大学は100人のクラスで女性は3人というむさくるしい所から来た野郎にとってはこの図書館は私にとっては真っ赤なネールに囲まれた夢のような? 文献分析の仕事部屋でした。
オコゼは貸出、受け入れなど図書館のキーとなる部署を担当、貸出ではJLSの大先輩のM女史と大喧嘩をしたりと大活躍でした。

オコゼが慈恵に移って
 彼と一緒に活動をしたのはオコゼが慈恵に移ってからでしょう。 カメさんも書いているように慈恵では国内の大学医学図書館では初めての図書館員でありながら教員職、助教授の肩書を得ていました。しかし図書館の日常実務、人事管理と教員職との二つの業務は相容れないものがあり当初から苦労していたようです。そして歴史ある単科医科大学はやはり「医者」が全権を握っており彼の活動範囲は意思に関わらず限られ歯ぎしりすることが多いことを飲むたびに語っていました。 私はその後、つくばや名古屋の大学に教員として移り教育研究に専念することになりました。

日本医学図書館協会JMLAの役員
 医学図書館活動では彼の兄貴、裏田武夫先生が東大医学図書館長そして本館館長などを務めるという大先輩が常に頭の上にいることは大変だったことでしょう。しかし日本医学図書館協会JMLAの役員となって長い間、医学図書館の質の向上に努力していました。

 私も何度か彼に誘われて協会の研修会での講師を勤めました。また彼の兄貴が中心となって進めていた東南アジア各国の医学図書館活動の情報センターSEAMICについても参加し、私も誘い込まれました。そして彼の体調が悪いため、私が東南アジア各国での医学図書館員のトレーニングを現地で行なうことになり、数年に渡って10回近くの研修会を実地しました。それまではアメリカを中心とした医学図書館先進国の調査研究ばかりだったのが、この東南アジアでの経験は通常の旅では得られない貴重なものでした。

 厚生科学研究の研究班では医学情報サービスを中心としたグループで医学図書館員を集めて彼と一緒に10年近く研究を進め、その中でEBM(エビデンスを基礎とした医療)の医学図書館での導入についての米国の現地調査も行いましたが、彼は残念ながら参加できませんでした。 その他、医学図書館活動、情報サービス活動の先進的な米国での状況についてのレポートの翻訳を共同で行って協会の出版物として刊行し、医学図書館員の研修材料としました。

新橋駅近くの居酒屋
 こう長々と書いてくると私の人生の後半の大部分を裏田君との共同作業を沢山してきました。慈恵の図書館の事務室の彼の席に夕刻に訪ねて、仕事がいつも終わると歩いてすぐの新橋駅近くの居酒屋へ直行です。
 彼の行く店はいつも決まっていました。そして彼はあまりつまみを食べずに酒一本で身体にはよくなかったでしょう。そのあと二軒目のカウンターバーではいつもダブルのストレートウィスキーだった。
酒がめっぽ強かったが、これも昼間の大学での医者との色々な戦いがあった反応かも。また図書館実務でも葛藤があったのでしょう。そんなことをいつも飲みながらこぼしていた。

 裏田君との付き合いも本当に長くなり、彼が体調を崩してからも「調子がよくなったら家の近く御嶽山駅前の居酒屋でちょっと昼にビールでも」とよくメールに書いてきました。本当に優しい男だった。私が50数年前に津田さんから命じられてNLM(米国国立医学図書館)へ一年近くのMEDLARS研修に行っていた時も時々手紙(メールは未だです)で信濃町の近況を知らせてくれた。

 私ももうすぐそちらに行って津田さんを誘ってビール、熱燗、やっぱりジントニックかな、を飲もう!しかしつまみも忘れずに!いい店を案内するよ!
 see you very sooooon,                 

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「医学文献の探し方かた

  ―医学研究者のための分かりやすいガイド」

 原田さんが紹介してくれた本「医学文献の探し方かた―医学研究者のための分かりやすいガイド」は半世紀近くの裏田君との懐かしい思い出ある仕事の一つです。

このガイドブックはここにも書かれているように1979年!東京で開かれた第20回日本医学会総会の記念出版として編集・出版された。医学会総会は日本の医師、医学研究者が4年に一堂に会するオリンピックのような学術集会で、都内数十か所の会場で最新の医学知見が発表されるシンポ、パネルなどが開かれます。毎回4月の初めには日本中の医者が総会に参加するため
病院でその期間は急伸の張り紙が出ていますね(その期間は病気に掛からないことをお勧め!)

    

(「医学文献の探しかた」の表紙。 執筆者は、井上良邦、裏田和夫、大沢充、野添篤毅、菅利信と明記されている。)

 原田さんの叔父上田泰教授が総会の委員長で、内科学の大ボスであり裏田君のボス上田先生から彼へ総会展示会の企画、そして記念のガイドブックの編集の依頼が来ました。展示では初めて医学図書館の活動、特に文献機械検索のデモを企画しました。
 一年前以上から裏田君を中心に5人での本の企画会議を慈恵図書館で行なって総会の半年前の夏には毎週集まって議論したことを想い出します。本の骨子はオコゼが考えて内容のほとんどは彼と私で書き、1979年4月の総会にスレスレに出版にこぎつけました。(総会はなんとあの電通!が仕切ったです、それくらいの規模の大イベントということですね)
内容は少し硬かったのですが類書がまだなかったのでしょう、
結構評判がよく3刷も出ました。そしてなんとなんと4年後の1983年の第21回総会では改訂版を編集して刊行したのでした!

   

(これは若き頃の原田智子さんの横顔です。JOISなどのオンライン検索が始まり、コンピュータ検索操作を実演しています。原田智子さんが大切にしている想い出の写真)

 JICSTでのMEDLARSの機械検索が始まったばかりの頃でNLMで私が習得したMeSHシソーラスを使い方なども書かれています。JOIS端末の前に座る原田さんの写真が初々しいものです。
(マル秘ですが、本の売り上げは発行所の医書出版協会という零細団体に行き、彼らは結構喜んでいましたね)

 我々まだ40界隈のころエネルギーもいっぱいある若造がこんな大行事で医者と対等にやり合って、また短時間で本を完成することができたのでした。それも裏田君が慈恵の図書館を運営し同時に教員職であったことが幸いしたのでしょう。 (いろいろ想い出し長々と書きました。。)

           オコゼ ありがとう!

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