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             月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。』 

                                                                                                             芭蕉『 おくのほそ道 』 

       老年を迎える者は、日々が旅であって、

                                旅そのものを常のすみかとしている。

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  2023年     日本の旅  

 


日本の旅  「火の国」 温泉と地獄  2023年3月14日〜16日

九州は「火の国」なのだ。温泉と湯煙に包まれた温泉池「地獄」が各地に見られる。 60数年前に修学旅行で初めて、長崎、島原から熊本に行ったことがある。
1946年に中国・青島から引き上げ船に乗り、佐世保に上陸したこともあった。
まるで覚えていないがLSTと呼ぶ米軍の上陸舟艇だった。貴重な戦後体験。

福岡、佐賀、鹿児島、宮崎など何回とも訪れたが、阿蘇と別府そして高千穂は行ったことがなかった。それから湯布院も見たことがない。九州は広い。


今回は西九州の旅と題するツアーに参加した。
3月14日は国東半島にある大分空港に飛び降りた。そこから由布岳の麓にある湯布院に向かった。 韓国やタイなどアジアからの観光客で賑わっていた。
別府の透き通るような温泉に泊まり、翌日は九重高原を進み阿蘇の大カルデラ大地を進み、高千穂を観光した。 コバルトブルーの高千穂峡は神話の故郷である。

3日目は熊本城を見物して有明海をフェリーで横断し島原半島の雲仙温泉で疲れを癒した。さらに諫早から西九州新幹線に乗り武雄温泉に行き、吉野ケ里遺跡までも見学した。

吉野ケ里遺跡は「邪馬台国」の出現かと騒がれたもので弥生時代後期の墳丘墓。弥生時代後期とは、西暦紀元前1000年から紀元前901年までの100年間を指す。その頃は紀元前993年にダヴィデ王がヘブロンからエルサレムに遷都。紀元前991年頃にはエジプト第21王朝の王プスセンネス1世が死去した。極東アジアの日本は有史以前の未開の地だった。あらためて歴史を学ぶ旅となった。

  大変欲張った老夫婦の九州修学旅行だった。

 


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日本の旅 有明海  「カモメの水兵さんに襲われる」   2023年3月16日

まるでヒッチコック映画『鳥』を思わせるような無数の水鳥が襲ってきた。
近づくと優しいカモメの姿だった。
エビセンを餌にしたところ飛びついてきたのだ。

可愛いカモメの水兵さんのようにも見える。
真っ白なセーラー服が実に良く似合う。
優雅な飛行姿はとても美しい。

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翼を広げる、空中に一瞬たたずむ、餌を摘まむ、
両足を出して着地する、様々なポーズを形作ってくれた。
船のまわりは、カモメの水兵さんの演芸会の海になった。

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(恐る恐る、エビセン餌を差し出すとカモメ水兵さんは摘まんでくれた。手乗りカモメの名演技だ。)

島原半島・普賢岳の向こうに夕日は輝きながら沈んでいった。
九州・有明海でカモメに歓迎された船旅を楽しんだ。

 


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日本の旅  水戸 「偕楽園で水戸黄門様と出会う」   2023年3月20日

三大名庭園のひとつ、水戸の偕楽園で水戸黄門様に出会った。
天下の副将軍といわれる歴史的有名人である。
紫の頭巾をかぶり、黄色の衣装に身を包み、紫の羽織を着ておられた。
御一緒に写真をお願いしますと、語りかけたところ快く承諾してくださった。

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葵の三つ葉を記された印籠まで貸していただけた。

「これが見えぬか、無礼者」

「天下の副将軍の実印である」

と助さん、格さんは懲らしめで唸る。
水戸光圀は大変畏れ多いが、黄門様は気さくな人柄だった。
晴天に恵まれた暖かな偕楽園の梅は満開。広々とした梅園は梅の香りに満ちていた。
三人の若き生身の梅美女に取り囲まれて、まるで天女と過ごすような極楽梅園を楽しんだ。


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日本の旅 東京  国賓「赤坂離宮と浜離宮」 2023年3月3日

3月3日はひな祭り、女雛人形は80歳の老婆になる。
その日を記念して赤坂離宮と浜離宮を貸し切った。
国賓になった気分。

儀仗兵も誰からも歓迎されない正門広場で老婆は寂しげにたたずんでいた。
貧そなジーパン姿は国賓として日本の威厳を損なう。素泊まり国賓なのでドレスコード無視。
改装された内部は豪華で、まるでベルサイユ宮殿のようなフランス様式で煌びやかだった。

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赤坂離宮は西洋趣味に完全に染まったイミテーション宮殿であった。
何処にも日本的な御殿の雰囲気を感じ取ることができなかった。
さらに内部は西洋かぶれで「和」の様式はまったく無い。悲しくなった。
裏に周ると、立派な黒松が数本植えられていた。
よかった。黒松は「Cool Japan」を特徴付けてくれた。

園遊会は浜離宮で厳かに執り行われた。来賓は、「菜の花」と「黒松」、そして「梅の花」だった。
浜離宮は周囲を摩天楼に取り囲まれていて、「和」の雰囲気を感じ取ることができない。 しかし、木造の和式茶屋と黒松は、「Cool Japan」を特徴付けてくれた。

赤坂離宮と浜離宮を貸し切り独占できたことは「国賓」になった気分で愉快だった。

赤坂離宮は、図書館だった。
戦後の昭和23年(1948)〜昭和36年(1961)まで、
「国立国会図書館赤坂本館」と呼ばれていた。隠れた歴史といえる。

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「本を読む人」と題する貴重な写真がある。
女性達の姿はスリムで素敵だ。昭和レトロの良き時代。
男性は蝶ネクタイを付けて読書している。

晩餐会が催される「花鳥の間」に書棚が置かれて、
閲覧室になっていた。レファレンスブックも並べられている。
こんな豪華なシャンデリアの輝く宮廷図書館は世界では非常に珍しい。

 


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日本の旅 伊豆・河津町 「河津桜や、いちめん菜の花」 2023年3月1日

  伊豆の河津町で「河津桜」のトンネルを楽しんできた。
河津川にそって「河津桜」の並木が約3kmも続く。
「河津桜」の樹の下は、いちめん「菜の花」のお花畑だった。

  

黄色い可憐な「菜の花」は、「河津桜」の咲き誇るピンクの花を温かく包み込む。
真っ青な空と白い雲を背景に、満開となった淡いピンクの「河津桜」。
その下に黄色のジュータンを敷き詰めたように広がる「菜の花」。

   「河津桜や、いちめん菜の花」

幹から顔を出した花びらに濃厚接触してみた。
一重咲きで4cmから5cmの小さな花、花弁の色は紫紅だった。


「もうすぐ春本番だよ」と告げられた。

   

 イチゴ、食べ放題

もちろん制限時間付、わずか30分勝負だった。
真っ赤で大きなもの、いかにも美味そう。
手荒くもぎ取り、ガムシャラに食べる。意地汚い。
中ぐらいで姿形がシッカリしたイチゴを狙う。
これが実に身が締まって甘い。まるで夢の中の女性のようだ。

ストロベリーと生クリーム。子供の頃の憧れだった。
唸るような触感、ショートケーキが食べたくなった。

グリーンハウスを管理しているベトナム女性に感謝した。

品行の悪い日本人老夫婦に、呆れていた。

 


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日本の旅  会津磐梯山 「あしなが爺さんと婆さん」 2023年2月17日

オーストラリアやタイなど外国人スキーヤーでにぎわっている磐梯山のスキー場。
真っ白なゲレンデに黒い巨大なシルエットが浮かび上がった。
あしなが爺さんと婆さんの影だった。

     ストックも握らず呆然と立ち止まっている姿。

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老夫妻はスキーも付けずヨタヨタとゲレンデを徘徊していた。
「あしなが育英会」からお世話されている介護人だろうか・・・?
雪景色の美しい会津鉄道に乗り、ハートマークと赤いリボンを頂戴してご機嫌な老女。
春まだ遠い会津で雪と温泉を楽しんだ旅だった。

関連する記事

信州菅平 「雪上ハイキング」 2023年2月14日

 


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日本の旅  菅平 「雪上ハイキング」  2023年2月14日

  「雪女のゾンビ」 ??

     両手を上げて恐ろしげな妖怪姿だった。

    「雪上ハイキング」の途中に出会い、怖かった。

雪上ハイキングは、その名前のとおり雪の中を散策することである。ハイキングとは少し誇張している。目的もなく雪中を彷徨うという遊びに過ぎない。スキーやスノシューなど専門的な冬道具は一切身に着けない。ゴム長の雪靴で十分である。

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老夫婦は仲良く二人だけで菅平で雪上ハイキングを楽しんだ。菅平は氷点下10度の白銀の世界。その日は吹雪もあり天候は最悪だった。

無人の雪原は一面灰色。色彩はモノクロ、水墨画のような和風の雪世界。晴天の雪山と違い、灰色一色で落ち着いた厳しい冬山の姿を見せてくれた。雪原はどこまでも灰色、白樺の樹氷も灰色、空も灰色だった。
80歳になった老夫婦でも、こんな厳冬期の冬山を手軽に楽しむことができた。もちろん車はスタッドレスタイヤで冬道装備。

  菅平の「雪上ハイキング」、 「雪女のゾンビ」との出会い、

   新しい発見だった。

関連する記事
美ヶ原 「白銀のビーナスの丘」   2023年1月27日

https://saitotac.jp/YTutsuKushi.html


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日本の旅  伊豆大島 『アンコ椿は恋の花』  2023年2月2日

伊豆大島を鵠沼海岸から江ノ島沖に眺めていた。
一度は行ってみたいものだ。
「三原山」がそびえる大きな火山島である。

  『アンコ椿は恋の花』は好きな演歌だ。
アンコ椿の舞台となった情念の島とは、どんな場所なのか。
アンコ美人に会ってみたい。
アンコの意味がよく分からなかった。
アンコとは伊豆大島の方言で、「お姉さん」のことであると知った。

江ノ島から臨時便がでるというニュースを手に入れた。
近所のヨットハーバーから伊豆大島に簡単に行ける。
便利な時代になったものだ。
湘南江ノ島港からジェット船に乗り、
僅か50分で伊豆大島の岡田港に到着した。
憧れのアンコ美人と御対面できることになった。

    

      (出典 ジェット船の模型  東海汽船のホームページから転載)

ジェット船は、ジェットフォイル (Jetfoil)と呼ばれている。
当初は軍事用船舶として開発され 、1977年 に旅客船として採用された。
もともと海兵隊を運ぶ上陸用高速艇として設計されたものだった。

似たような高速艇としてホバークラフトを見たことがある。これは海面から浮上する。

  

     (出典 ジェット船の原理  東海汽船のホームページから転載)

ジェット船は、海面をのんびりと進む船ではなく、飛ぶように進む。
ジェット機のような姿で波間を飛んでいく。まるで飛び魚のようだ。

   伊豆大島の椿は満開だった。
初めて知ったのは「椿」の文字の云われ。
木に春と書くという椿の文字は日本製の漢字である。
椿の美しい花は冬になっても葉を落とさず青々と茂る。
神秘の椿は日本人にとり、工芸や文化に不可欠なアイテムとなった。
アンコ椿の可憐な花びらと香りに酔った幸せな一日を過ごした。

 


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  美ヶ原 「白銀のビーナスの丘」   2023年1月27日

   「八甲田の雪中行軍」
初日は雪雲に深く包まれ、強い寒風もあり粉雪もチラついていた。
分厚い手袋の中でも手先は冷たく、感覚がなくなった。
凍傷寸前のような痛み、ストックは上手く握れない。

   "冬山はやめよう !!"

これでは、死の雪中行軍になる。あきらめの境地になった。

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    「白銀のビーナスの丘」
二日目早朝、朝日が美しい。中央アルプスの彼方に燃えるような太陽の輝き。 興奮して小屋を飛び出した。吹雪も終わり、快晴になるだろう。

美ヶ原から霧ヶ峰を通り蓼科に続く道は「ビーナスライン」と呼ばれる。
「ビーナスライン」の名は、蓼科山の山容を「ビーナス」に例えたことに由来する。

やや無理がある愛称と思えるが、穏やかな山並みが少しずつ高くなる。
標高2000mまでに広がりを見せてくれる。優雅な美しい山と高原の曲線。
横たわるビーナスラインだろうか・・・。妄想する。

    

蓼科辺りは「美の女神」のお顔のようにも見える。
ボッティチェリの名画『ビーナスの誕生』を想う。美しさを追求している。
真っ白な雪原となった美ヶ原は、「白銀のビーナスの丘」ではないのか・・・。

   女神のために頑張ろう !!!

「白銀のビーナスの丘」をスノーシューで徘徊した。

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美ヶ原は王ヶ頭(2034m)を中心とした標高約2000mの溶岩台地である。 晴れると富士山、八ヶ岳、北アルプスなど360度の大パノラマが楽しめる。二人の80歳の老登山家は寒さに震えながら「白銀の ビーナスの丘」のベリーボタン(おへそ)まで到達した。これで十分満足できた。

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「白銀のビーナスの丘」は広大である。遥か右前方に、二人の老人の姿は米粒のように見える。迷ってリングワンデリングしている。快晴になり雲と雪原が交わっていた。標高2000mの高原は夏には牧場になる。

  天と地が一体になった。
真っ青な空が見えた。雪原を進むと雲海まで続けて歩いて行ける。 天国までスノーシューで登れそうだ。亡き母や友人など故人にも会えるだろう。

      女神に感謝した。

続編 完結版「白銀のビーナスの丘」(2023年1月27日〜28日)
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-52.html


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名古屋城  「本丸御殿の襖絵」とテクノレディ   2023年1月16日

久々の名古屋、28年もご無沙汰だった。
名古屋駅は激変し高層ビルの谷間になっていた。

お洒落な若者ばかりが綺麗な駅中央通りを歩いていた。
そこを老夫婦は滑らないようにヨチヨチ、フラフラしていた。
大発展し別世界に来たようだ。人混みが怖い。

(本丸御殿は、慶長20年(1615年)に徳川家康の命によって建てられた。その復元は平成30年に完成した。書院造は13棟から構成される。花鳥風月を画題にした障壁画など絢爛豪華。400年の時をこえて、築城当時のままで蘇った。 )

名古屋に来ることを「来名」という。
駅は何度も来たのだが市内は28年振りの「来名」となった。
学務で約7年間も過ごした懐かしい思い出の名古屋。
1984年〜1991年まで大学に勤めて多くの学生を育てた。
コンピュータは大型でIBMが世界を制覇していたが、ミニコンDECも登場して
そろそろダウンサイジングという声も聞こえていた。

パソコンの誕生とArpanetというUNIXネットワークの黎明期が始まった。
名古屋の女子大で「テクノレディ」と呼ぶ女性の情報教育を始めた。
そして42歳の教授として活躍を開始した。

 (「テクノレディ」の同窓会は、昔の情報技術を忘れたお淑やかな愛知淑女の集いになった。)

名古屋城に本丸御殿が復元されていた。
28年前は鉄筋コンクリートの天守閣だけがあった。
輝く「金の鯱」は名古屋の誇りであると自慢していたが、田舎臭い趣味。
ところが、「書院造」を忠実に再現した本丸御殿。
「金の鯱」と違って豪勢な匠の技を見せつけてくれる。

「表書院」「上洛殿」「黒木書院」「対面所」「湯殿書院」など
部屋の格式や用途によって、天井や欄間、飾金具、障壁図の
つくりや意匠が様々に変化していく。
これが本物の武家風書院造りなのかと感激した。

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      (42歳の私は80歳の今とは別人だった。 30年前の淑女達もまるで人魚姫のようだった。)

1月17日夕刻は、本丸御殿の襖絵の美女を想いながら同窓会に出席した。
30年昔の淑女の顔ぶれを確認しながら、にぎやかに懐かしい想い出を語りあった。

襖絵美女よりもリアルな淑女達との触れ合いこそ、私の老後にとり大切と出席者に挨拶した。

「テクノレディ」

   「テクノレディ」とは上手く名付けたと、我ながら感心している。
  情報感覚をもつテクノレディの育成がキャッチフレーズ。
  パソコン100台を設置、LANで相互に結ぶ実習室を新設した。

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     (COBOLからORACLE、MUMPS、SQL、Prologなど懐かしいプログラム言語の名前。
      ワープロこそ普及していたがパソコンはまだ少ない。時代を先取りしたIT教育だった。
      開設された1985年に125名の新入生を迎えることができた。)

  インターネット登場以前であったがプロトコルはTC/IPを採用した。
  そしてホストはUNIXミニコン2台。C言語なども学ばせた。
  1985年、女子大として初めての本格的な情報処理教育だった。


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 江ノ島  『80歳の忘年会』   2023年1月1日 (2022年12月31日)

江ノ島で夕焼けを眺めた。
12月30日なので大晦日前日の日没。
伊豆半島の天城山近くに、真っ赤に燃える太陽が沈む。
左に江ノ島とタワーが黒いシルエットを描く。
右にピンク色に染まる富士山と箱根の山並みが見える。
丹沢山系を包み込む雲はピンク色に変わった。

暗闇になると江ノ島のタワーがライトアップされた。
夕焼けの余韻が残っていて、相模湾の空はまだ赤い。
まるで富士山をバックから照らしているようだ。
こんな美しい富士山の影絵は見たことがない。

    

小田原から茅ケ崎まで続く町明かりが点灯している。
江ノ島のタワーは、真っ白なドレスを着飾った美女のようだ。
柔肌を黒のショールで少し隠し、夜会服の優雅な立ち姿。
是非ともワルツを一緒に踊りたい。

   江ノ島で「80歳の忘年会」を家族で祝った。
   80歳になれば、歳を忘れたい。
   そんな願いを込めて、赤ワインで乾杯。
   みなさんの無病息災と幸福を祈った。

2022年は世紀末のような混沌とした世界だった。
人類とは今だ野蛮な存在であると、厳しく審判を受けた。
文明は後退している。21世紀から18世紀まで逆戻りした。

コロナ禍は、まだ終わらない。
3年前に中国・武漢で発生したパンデミック。
3年を経て、生まれ故郷の中国に戻った。
コロナ禍を政治的に操ることは許されないだろう。

ロシアとウクライナの兄弟喧嘩は、まだ終わりが見えない。
19世紀末の塹壕戦によって骨肉の戦は続く。
憎しみを増幅するだけだ。二人のコメディアンは誰を楽しませたいのか。

人類は歴史を十分に学んではいない。都合よく忘れ去る。
平和と健康こそが人類共通の願いではないのか・・・。

江ノ島の美しい夕焼けとライトアップされたタワーは、
『80歳の忘年会』を祝ってくれた。

      

  

     


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