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                  2024年5月11日

  佐藤昇君が亡くなった。

 ゴンサクは、
4月22日は82歳の誕生日だった。
4月24日は「KWVキチ会」に出席してくれた。
三田のファカルティクラブでビールを美味そうに飲んでいた。
5月3日は突然の死だった。病名は「間質性肺炎」である。
もしかして覚悟していた・・。4月24日は仲間に別れを告げに来たようだ。 悔やまれる仲間の昇天。残念無念。

        

  戒名 「真岡昇善信士」 行年82歳  没年2024年5月3日

「寅さん」みたいな人間である。気っぷく良く一本気な人情家。寡黙で照れ屋。そして、へそ曲り。 渥美清の演ずる「寅さん」は、眼が糸のように細い四角い顔であるがゴンサクは目鼻立ちも整いハンサムだった。

2015年5月だったと思う。ゴンサクは軽井沢までギターを抱えて来てくれた。 ローカル列車の止まる小さな御代田駅の改札から一人登場した。まるでギター抱えた「寅さん」のような旅芸人。


ギター以外の荷物は一切ない。歯ブラシも洗面用具も着替えも持っていない。
一泊はするだろうというのが常識であるが、そんなことを考えもしない「フーテンのゴンサク」。
珍しくニコニコと笑いながら喜んでいた。嬉しかったのだろう。
魚も風呂も嫌いという変人。刺身を見て唸っていた。焼き鳥だけ口に入れて日本酒を美味そうに飲む。
あの夜はゴンサク節でみんなで楽しく歌った。音程が狂うと怒りの指南があった。頑固一徹。
「フーテンの寅」は好い加減で喜劇に終わるが、「フーテンのゴンサク」は酔っても厳しかった。 冗談が通じない「フーテンのゴンサク」なのだ。

気難しい「ゴンサク」から憎めない「ゴンサク」に変わった。
そんなゴンサクの性格は、山仲間から愛された。カメも大好きだった。


  ゴンサクというKWVアダナ

越中平野の背中にそびえる立山連峰はカメの故郷の山々である。
雄山、剣岳、大日岳、薬師岳などは日常の山岳景色だった。
カメは山が大好きだった。

カメは慶大に入学してKWVに入部した。

佐藤昇君と出会ったのは1962年だったと思う。
小田急線の経堂近くにゴンサクは下宿していた。
カメの自宅は下高井戸にあり経堂まで歩いて30分程の距離。

赤いコールテンのズボン

下宿先でゴンサクは洗濯していた。赤いコールテンのズボンをはいていた。

あの頃、TV喜劇ドラマが人気だった。

  「オキャーマでデカい城をたてるぜー!! 」

そんな口癖の主人公は、丸顔した岡山弁まるだしの田舎者だった。
ゴンサクも田舎者なのかと早合点した。カメは岡山に行ったことはない。

ゴンサクと仲良くなった。何回となくカメ宅に遊びに来てくれた。
カメの父親も母親も純朴なゴンサクの人柄を大変気に入ったようだ。
カメは、ニックネームを「ゴンサク」と呼ぶようになった。

何故、ゴンサクになったのか今でも良くわからない。
佐藤昇君は、寡黙と朴訥。赤いズボンをはいていた。
こんな岡山から来た田舎者。見下した。

 

    (2022年10月KWVキチ会 三田ファカルティでゴンサクはマイクをかたく握った)

 

「ゴンサク」に決めた

「タゴサク」にするか、それとも「ゴンサク」にするか、迷った。
「タゴサク」では百姓臭い、しかも間抜けのようにも聞こえる。哀れだ。
岡山朝日という名門高出身。もしかして秀才かもしれない。

「ゴンサク」に決めた。直観的判断といえるだろう。
「ゴンサク」は大ヒットした。アダナはKWV内で一気に定着していった。
誰が付けたのか分からない伝説のアダナになった。
カメは内心嬉しくなっていた。

2023年5月になり傘寿記念は蓼科で開催された。
その夜のパーティーでゴンサクは珍しく熱弁だった。
まるで身辺整理し終活できたように、これまでの自分史を披露した。

「ゴンサク」というKWVアダナは、実はカメから付けられた・・。

この告白を聞いてカメは嬉しくなった。

その瞬間、1962年に経堂の下宿で初めて会ったことを懐かしんだ。ギター弾けて、ゴルフとカラオケに明け暮れたナイジェリア生活。ゴンサクは国際人に変身し、もはやオキャーマの田舎者と違う。

しかしカメにとり 赤いコールテンのズボンをはいて洗濯している「ゴンサク」の姿は変わらない。
懐かしい黄金の時間をカメは「ゴンサク」と過ごしたことになる。

    (2024年4月24日、春のキチ会 ゴンサクはみんなに別れを告げに来てくれた)

ゴンサクは、みんなの思い出の中で生きている

下の写真は、左上は新婚のゴンサク宅にベイビーの啓子を連れて行った時のもの。 その下は片瀬山カメ宅でゴンサク夫妻のベイビー薫さんを抱いている恵子さん。その右はKWVの初プランで女子に人気があったゴンサクのハーレム。照れている。その下は片瀬山で久米夫妻と私の母と一緒。右は2024年1月に鵠沼で飲んだ時のもの。 恵子さんは綺麗だ。美人の奥さんと一緒で大変幸福者だったゴンサク。

(1971年カメの娘啓子一歳、ゴンサク宅を訪問した。その下はゴンサクの娘薫さん一歳、片瀬山に来てくれた。)

50余年も共に過ごし、数々の愉快な時間を共有できた。ゴンサクは、みんなの思い出の中でいつまでも生きている。

ご冥福を、心からお祈り申し上げる。

     斉藤孝

    


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