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カンボジア・アンコールワット
「紅のカンボジア(クメールルージュ)」
2025年2月20日
静かに東の空が明けていく。
暗かったアンコールワットの遺跡群のシルエットが浮かんできた。
太陽が昇り始め、太陽に照らされてアンコールワットは目覚めた。
5本の尖塔が姿を現す。
時間とともに空の色は変わり始めた。
「聖池」に逆さアンコールワットが映る。
壮大な遺跡群の全貌がハッキリ現れた。
朝焼けのアンコールワットは光り輝いていた。
空も遺跡群も瑠璃色一色である。
紅のカンボジア(クメールルージュ) !!
これこそが「クメールルージュ」ではないか ?
「聖池」の横に立たずむ白髪の老人は「ポルポト」なのか ?
悪い冗談をつぶやいた。
「クメールルージュ」(1970?1975)は原始共産主義社会を本気で実験した悪名高き集団。 その指導者は「ポルポト」だった。約300万人のクメール人を虐殺(ジェノサイド)した。
老夫婦は午前3時に起床し、足元を懐中電灯で照らしながら用心深く歩いた。
60年振りのアンコールワットだった。センチメンタルジャーニーといえるだろう。
1969年(大学院)を修めた春に東南アジアを放浪したことがあった。
あの頃のインドシナ半島はベトナム戦争の最中であったがカンボジアだけが平和だった。
アンコールワットのサンライズとサンセット (
動画約3分)
https://youtu.be/0ww2iAQ7kpY
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「キリングフィールド」を生き抜いた兄弟
2025年2月22日
キリングフィールド(Killing Fields)を生き抜いた二人の兄弟に会った。
兄弟は強制収容所跡にあるジェノサイド記念館で書籍を売っていた。
それは彼らの過酷な実体験談に基づく物語である。
当時、兄は7歳で弟は5歳だった。
約500万人のクメール人は虐殺され、拷問や密告が普通だった時代を生き抜いたサバイバー。
幼い兄弟は3年間も収容されて生き残ったのである。彼らは6人兄弟だった。生き残ったのは二人だけ。
兄の名前は「Chanphal」、1967年1月12日に生まれた。
弟の名前は「Chanly」、1970年10月1日に生まれた。
映画『Killing Fields』そのものを感じ取ることが出来た。
狂信的なISやタリバン、毛沢東による文化大革命、ガザ紛争やウクライナ内戦など似たようなものだろう。
政治や宗教は時として滅茶苦茶な混乱をもたらすようだ。
兄弟お二人の柔和なお顔と落ち着いた口調にクメール遺跡の微笑みを重ねた。
書籍にお二人の直筆のサインを書いてもらい、固く握手した。
お二人の長寿を心から祈った。生きていることは美しい。
映画で印象に残った場面は、クメールルージュ幹部の言葉と行動である。
「カンボジアを愛しているが、クメールルージュのやり方は間違っている」
「自分に万一のことがあったときは、自分の子供をつれて外国に逃亡してほしい」と地図と金を渡す。
その幹部は、クメールルージュの銃殺をやめさせようとしたために殺される。
クメールルージュの敵は実際は仲間なのだ。暴走してしまうと疑心暗鬼になり自ら滅びていく。
アウシュビッツと同じ悲劇は30年前にも存在していたことになる。人類は何を歴史から学んだのだろうか。
カンボジアがアンコールワットやアンコールトムのように平和な国になる事を願いたい。
(続き)
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