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アッサム 「グルカのドライバー」 2024年9月18日
4輪駆動車(4WD)は軍用車ジープに似たトヨタ改造車だった。屋根にはトランクなど荷物を載せてシートで包んでいる。
道路はカーブと急坂の連続でしかもぬかるみも多い。崖から岩も度々落ちるという危険な山道だった。
こんな細い道でもトラックやタンクローリーなど大型車両は行き交う。シッキムに通ずる幹線道路なのだ。
濁流の谷川側にはガードレールもカーブミラーもないから怖い。
勇猛なグルカ族の若者が4WDのドライバーになっている。ハンドル操作は慣れたものである。
グルカとはネパール人を総称するが民族名ではない。一般にネパール山岳民を呼ぶらしい。
その昔、香港でグルカ警備兵を見たことや英国のグルカ大隊を思い出した。
ドライバー「ジキット」は日本人に似た人相であるから気楽に道中、雑談を交わしていった。
西ベンガル・シリングを出発してシッキムに入り、州都ガントクに到着した。
さらにカンチェンジュンガ霊峰を眺めるためにアッサム高原にあるダージリンまで登った。
そして西ベンガルに戻り熱帯の紅茶畑を見ながらブータン国境町プンツォリンまで走破した。
道筋は始点シリグリ(西ベンガル州)からガントック(シッキム州)、
そしてダージリンに行きアッサム州を通りプンツォリン(ブータン国境)に到着。
まる3日間の4WDの山岳ドライブ旅だった。元グルカ兵ドライバーに深く感謝した。
シッキム王国
「え?どこ??」
インドから少し出っ張った場所がシッキム州。州都はガントクである。
シッキム地方はインドの北東、ネパールとブータンに挟まれた中国とバングラデシュにも隣接する地域。
中国(チベット)との国境線が不明確なので争っている。インド軍の精鋭が警備していた。
観光には適さない危険地帯と言えるだろう。
シッキムは以前、インド領土ではなく1900年代までは1つの独立したシッキム王国だった。
1975年に正式にインドに併合された。住民はモンゴロイド系のグルカ人が多く住む。
ダージリン
カンチェンジュンガは「偉大な雪の5つの宝庫」を意味する。アッサムの深い谷間で猿が迎えてくれた。
深い谷底から山頂まで人々は暮らしていた。こんな山奥に約100万人も住んでいるという。
ダージリンは英国の植民地時代から避暑地として、そして紅茶栽培の地として栄えてきた。
有名な英国女優「ヴィヴィアン・リー」はダージリンで生まれた。「風と共に去りぬ」(1939年)でアカデミー賞を受賞していた。
彼女の父親は駐印英軍の将校だった。こんな僻地で生まれた彼女は努力家だったのだろう。
英国の作家「ジョージ・オウエル」は1903年にダージリン近郊で生まれた。
オウエルは全体主義国家の本質や残酷さを細かく描いた傑作『1984年』の作者である。
彼のスペイン内戦の経験をもとにした「カタロニア讃歌」を読んだことがある。左翼思想に熱中したこともあった。
泊まったホテルの廊下には、「タゴール」(インド詩人)「マーク・トウェイン」(米国作家)「テムジン」(エベレス征服シェルパ)など多くの著名人の名前が誇らしげに表示されていた。ダージリンの偉人達のプロフィールを興味深く楽しんだ。
ダージリン・ヒマラヤ鉄道(DHR)
ダージリン・ヒマラヤ鉄道(Darjeeling Himalayan Railway)は遊園地にあるミニ鉄道だった。
最高点は標高 2143 mまで達する世界最古の山岳鉄道である。軌道幅610mmなので揺れる。
路線の建設が開始された1879年当時はインドはイギリス(大英帝国)の植民地であった。
ダージリン紅茶の輸送と避暑客の便宜を図るために建設が開始されたという。
ヴィヴィアン・リーも美少女の時代に、このDHRに乗り演劇の世界を夢見たに違いない。
ホテルでカンチェンジュンガを遠望しながらダージリン紅茶を嗜み優雅な時間を過ごした。
(ブータン・シッキム・アッサム インド北東辺境の記録 約4分動画)
(続き)
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