松沢小学校クラス会

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Photo2(思い出)

       菊地先生の思い出      


 

  「 菊地流座禅」   

 松沢小学校は、当時既に設立70周年近くを数え、木造校舎は相当に老朽化していた。特に廊下は、柔らかい部分が経年ですり減り硬い木目の部分が浮き出てデコボコ、言うなれば「洗濯板」状態だった。 

 生徒に罰を与えるとき、菊地先生は、よくこの廊下に正座させ反省させた。ある時などは、自習時間に大勢で騒いだため、連座制でクラス全員がこの座禅をすることに(ただし女子は記憶に無いから、お咎め無しだったかも)。30−40分後に漸くお許しが出たが、全員脚が痺れてまともに歩けない有様だった。そのへっぴり腰を互いに冷やかし笑ったが、痺れの感触は今でもまざまざと思い出せる。お蔭 で、少々のことでは音を上げない、我慢強さが身についた(ような気がする)。 遠藤 真

 

  「ゴム靴がコッペパン」

 6年生の冬だったと思いますが、教室の黒板から少し離れた所、菊地先生の机の脇にだるまストーブが燃えていました。給食時間、先生はだるまストーブの上に炭挟みを置き、その上に給食のコッペパンを置いて温めるのが日常でした。

 ある時誰かがゴム靴の底を真っ赤になったストーブの腹に押し当てゴムが溶けて嫌な匂いがしました。その時、私にはゴム靴がコッペパンに見えました。その後私のコッペパンをストーブの腹に押し当ててみたらパンの表面が部分的に焼け焦げました。それを食べた時の旨さは今でも覚えています。

その時以来男子だけ代わる代わる同じことをしていました。女子は「汚いから」と言ってやらなかったと思います。やがて春になってストーブは焚かなくなり、パン焼きもなくなりました。                        田 禎浩

 

ヴァイオリンを弾くのが趣味

 松沢小学校は確か2年毎だったか、組替えがありました。 少なくとも記憶の限りでは3年と4年、そして5年と6年は組替えが無かったように思います。

1年から6年まで同じクラスだったのは私と森下さんだけだったと思います。このことは森下さんにも確認しましたから間違いではありません。

 菊地先生は確かヴァイオリンを弾くのが趣味だったと記憶しています。そのため音楽に特別な関心があり、 音楽の先生、ユムラ(どういう字だったか覚えていません)先生と仲が良かったようです。

クラスの出し物

 5年か6年の秋の学芸会でクラスの出し物を菊地先生が考えたのは「歌の四季」という題で、模造紙を繋ぎ合わせ、それに春夏秋冬の絵を絵の具で描かせ、更にそれを2本の竹竿に模造紙の両端を留め、巻物状にして、春夏秋冬1曲ずつの歌に合わせて竹竿を廻して巻き取って行くというものでした。アイデアとしては良かったのですが、竹竿と大きな紙の重さは相当なもので、体格に優れた、確か荒川君ともう一人、が竹竿を扱う役目でしたが、イメージ通りには行きませんでした。この出し物のためにユムラ先生に頼んで、我々の歌の特訓があり、放課後暗くなるまで練習させられました。

絵巻物も破れ

 本番当日、壇上の幕が開くと3メートルぐらいの高さの竹竿が壇上の両端に、その間に春の桜の絵が張ってありました。春から夏へ季節が移るとともに、竹竿を廻して春の絵から夏の絵へ転換するのですが、前述のように重いので上手く巻き取れません。挙げ句に竹竿を支えきれずに倒れてしまい、絵巻物も破れてしまいました。

 菊地先生は怒ってクラス全員を教室に戻らせ、さんざん説教しました。我々は失敗したことはわかっていましたが、 元々無理な計画だっただけに黙って聴いているしかありませんでした。講堂に戻った時には学芸会は終了した後でした。他のクラスの先生から慰められたのを覚えています。                  田 禎浩

軍隊ラッパ

 菊地先生はどこから持ってきたのか、軍隊ラッパを 教室に持ち込んでいました。そのラッパの側面には小さな穴があいていて、そのために吹いても鳴りませんでした。弾丸が当たったような大きな穴ではなく、何かの破片が当たったような小さな穴でした。先生は何とかその穴を塞いで鳴らそうと努力していました。私が覚えているのは蝋燭の蝋を垂らして穴を塞いだものの、結局は鳴らなくあきらめきれないような顔でした。    田 禎浩

 

 

 

 

 

 

 


 

 

毎朝漢字のテスト、中学受験生に放課後の補修など、今では考えられないほど、とても熱心に指導してくださいました。 小嶋美智子

 


 

 

 

先生のお言葉の中に、

  "一生懸命運動して「力道山」の様になるのも良いでしょうが"

とある。

力道山は、元大相撲力士のプロレスラーだった。下高井戸駅前の喫茶店でテレビ中継を楽しんだ。もちろん喫茶店は力道山プロレスのため有料だった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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