松沢小学校クラス会

              テレ・クラス会 

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Photo4(その頃)

       小学校の頃   


 

4-1)     みんなの思い出話

 


 

 

   懐かしいボロ校舎

 

 

 

 

 

 

 

  懐かしい校舎や学内、下高井戸商店街の写真を待っています。

 


 「 ゾッとする思い出」     

 課外活動は化学部(いや理科部といったか?)を選んだ。7歳上の兄の参考書を借りて来ては、そこに記された化学実験を楽しんだ。実験用ガラス器具で消化器もどきを作り、実際に焚き火を消したりして、喜んでいた。 

 ある日、水素ガスを作り小爆発させる実験を試みた。既に普段の授業でも、試験管に水素ガスを貯めてマッチで点火、ポンっと小爆発させる実験は経験済みだった。同じことではつまらないと、細い試験管ではなく太く容量の大きなビーカーを使い、たっぷりと水素を貯めてちょっと派手に爆発させようという魂胆。ところが、どういう訳か、マッチを近づけても爆発は起こらなかったのだ。どうやら、広口のため、ガスが逃げてしまったらしい。その時は、少々落胆したのだが・・・。

(当時指導監督の先生は決まっていないか、不在だった) 遠藤 真


  おめでたトリオ 「富、松、亀」の誕生

 

 大富昭雄君と松野祐三君は大変仲が良かった。二人とも赤堤に住んでいて近所だった。松野君は4人兄弟の三男坊。大富君にはお姉さんが一人いた。お母さまは大坂出身なので上品な関西弁を喋っておられた。亀谷孝は5年生の後期、19XX年に富山から転校し松小3組に入ることができた。担任は菊池先生。

 

 

大都会の小学校なので田舎者カメにとりクラスメートと馴染むことは容易でなかった。訛りは少ないものの富山弁はすぐ判る。"あんた、ダラクくさいガネー" など富山方言を口に出すと母からつよく叱られた。

 19XX年の暮れになり、大富君と松野君の二人と言葉を交わし仲間に入れてもらった。嬉しかった。これで都会の小学生になれたから。

"トミ、マツ、カメ"と三人で呼び合い互いの家までも遊びに行くような親友になった。「富、松、亀」というおめでたトリオが誕生した。

 

 

   

 

                            

     大富昭雄君      松野祐三君          亀谷孝君 

 

夜明けの行灯のような坊ちゃんトミ、食いしん坊で酢まで漁るマツ。物資の乏しい時代であったがみんな一生懸命過ごして明るい未来が来ることを信じていた。

「富、松、亀」のトリオは70数年を経ても親友の付き合いを続けている。結婚式にも出席しお互いのつれあいのお顔も拝見した。

おめでたトリオ「富、松、亀」の話は尽きない。  亀谷 孝


 

 

 

 

 

 

 

 


4-2)    その頃の世の中は

 


 

   昭和30年ごろの玉川上水の眺め

  高度成長期に埋め立てられ、今は見ることができない風景。このほとりに亀井(旧姓西垣)さん、宮坂(上妻)さん、クラスは違うが運動神経抜群の人気者片山勝彦君、遠藤が住んでいた。村岡君も永福町から上水を越えて通学。みんな越境組。
 

 

 

1枚は、ミシュク(美宿?)橋から上流方向。桜の季節。両岸はコンクリート護岸。この近くに、かっちゃんや小生が住んでいた。
もう1枚は、同じ橋から下流方向。季節は冬か? 遠景の小菊橋の近くに禮子ちゃん、少し下流に西垣さんの家があった。コンクリート護岸は無く、江戸時代からの武蔵野の風情を残していて、しばしば映画のロケに利用されていた。遠藤 真

 


      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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