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  偉大なメキシコ文明  テオティワカン、アステカ、マヤの文明遺跡


  Teotihuacan was the most important city in AD 200-500.

It had a population of about 200,000 and spread over an area larger than ancient Rome.

There is no historical record of this people.

The name of Teotihuacan was given to the site by the Aztecs.

When Aztecs visited around the year 1200, the city had already been abandoned for hundreds of years.

There are many Pyramids, such as the Pyramid of the Sun and that of the Moon.

 Pyramid of the Sun is the highest point of the temple.


   テオティワカン  Teotihuacan

西暦350年〜650年頃に栄えたと推定されるTeotihuacanは、メキシコシティーの郊外に点在するピラミッド遺跡です。

エジプトのカイロ郊外のギゼーのピラミッドに似た感じですが、その建設の意味が全く違うことに気がつきました。

 

   太陽のピラミッド Piramide del Sol

エジプトの場合は、ファラオのお墓ですが、アステカやテオティワカンのピラミッドは神殿です。太陽神を拝む神制政権であることはエジプトに似ていますが、「太陽と月の神殿」としてピラミッドを作り、そこに生贄を捧げる儀式のためでした。したがって内部には皇帝ミイラなどは埋葬されていません。年2回、太陽がピラミッドの頂上にさしかかる後光の下で、厳かに生贄の儀式が行われたそうです。

太陽のピラミッドの大きさは、高さ65メートル、底辺の一辺が255メートルある巨大なものです。その階段を登るとなると、もともと高原にあることも加わり、息切れと高山病に似た頭痛がしてきました。灼熱の太陽の輝き、巨大なサボテンしか育たない砂漠の気候も影響しています。


   月のピラミッド Piramide de la Luna

名前は、月なので闇夜に輝く姿を想像します。死者の道と呼ぶ巨大な広場のような道の北側に位置しています。

これらのピラミッド群は町に点在していたのかどうか不明です。ある専門家は人口20万人の都会であり、そこでは神官を頂点とする

貴族、軍人、商人、市民などが階層的に分かれた社会を構成し、それぞれの地域に住んでいたのではないかと推測されています。

 


   ケツァールコアトルの神殿  Temple de Quezalcoatl

発音が難しいですが、ケツァールコアトルとは羽毛の蛇と水と農耕の神のことです。そのレリーフが不気味な感じがします。

エジプトの偶像やヒンディーの神々の偶像にも奇怪なものが多いですが、ケツァールコアトルのものはさらにグロテスクでした。

 

 


  国立人類学博物館 Muse Nacional de Antropologia

メキシコシティー市内にあるメキシコの遺跡から発掘された貴重な歴史遺産が保存されています。なかでも「太陽の石」は別名、アステカ・カレンダーと呼ばれるもので、直径3.6メートルの巨大な石に彫り込まれたアステカの暦を示す太陽のカレンダーです。

中心に太陽神を置き、その周りには宇宙の歴史として4つの時代を示しています。20日を1ヵ月として1年18ヶ月から構成。空の5日間を用意しておき、1年を365日として調整していました。太陽の石は、過去、現在、未来、永遠につながるアステカ人の宇宙観や哲学を示しているようです。

 


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