KWV41年キチ会

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2-1) 子連れ合宿

   みなさんのお子様たちは成人され、親父のように憎たらしく、母親にそっくりの聖母になっています。

小学校1年の長女啓子を連れて参加した。啓子は小屋のボットン・トイレの穴が怖くて悩んでいた。その啓子が50歳になり厳しい口調で孫を育てている。(Kame)

 

キチ会20周年記念合宿  浅貝三国山荘  1986年9月

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2-2) 卒業後25年 新穂高シャングリア合宿  1991年9月15日

卒業して25年、このころは会社や家庭で元気一杯で活躍していた。写真の皆の顔が自信に満ち溢れている。

あれから30年、老化との闘いに疲れ、それに勝てない事を悟った今、これからは自分が年老いた事をしっかりと自覚して老化を敵ではなく友として受け入れて共に仲良く生きていくしかない。

皆が残りの人生を笑顔でゆったりと過ごしていける事を願うばかり。(中村公保君 チュン) 2020年1月30日

 

キチ会 卒業25周年 新穂高シャングリラ合宿  '91(H3).9.14〜16 「内に外に、上に下に、日夜の重圧に耐える50前の中間管理職。まだ残ってるか〜? まだ大丈夫のよぉ〜だ! 頭髪在庫比べ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥方のみなさま    

 

『「集合日9/14は台風の影響でどしゃ降り、こんな悪天候でみんな集まるか? と思いきや、マイカーや高速バスや電車で続々と新穂「シャングリラ」に集合。上高地から西穂越えを断念したドラ夫婦・相川・浅輪・トンベが先陣で、東海からダチョウ・島田・井上、後藤夫妻・コブキが、豪雨の中央道をダルマ一家、ミドリ、チュン・高木、炭竈夫婦、グーシー、新ちゃん、電車で関西勢小山・手塚、北陸経由でカメ夫婦、高岡から吉岡も到着して賑やかになった。アレッと思い自宅に電話してみたら、ヤッパリ居ましたドシとゴンサク。翌朝着で全員集合。

 

翌日の天気はまずまず。おにぎり二個持って山行。@ 大半が参加したRWでの独標組。RWの途中で雲が切れ、広がる展望に思わず拍手。西穂山荘迄は辿り着いたが雲行きが怪しく勇気ある撤退。A ドラ夫婦・相川島田の焼岳組はRW終点で独標組と別れ、梓川を見下す稜線を焼岳ピークへ。中尾峠から無事下山。夜は松永夫婦も加わり、前夜にも増して賑やかな宴。「髪淋しい会」「ワカメ会」「白髪会」が発足、記念撮影で盛り上がり、髪淋しい会ミドリ会長から「会員が増え喜ばしい限りです。この日が来るのを15年間待っていた。」との感動的なスピーチに抱腹絶倒。満天の星がないのが残念だったが、浅輪・炭竈の素晴らしいファイヤーを囲み、夜の更けるまで愉しいミーティングが続きました。』(コブキ発行「キチ会通信」から抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2-3)  キチ会・古希立山合宿 ’13.10.06〜10 ペンション愛花夢

 

 

 

 

 

 

 

「あいかむ」と呼ぶお洒落なペンションだった。夫婦同伴で多数の参加があった。翌日は貸し切りバスで弥陀ヶ原を行き、一の越から立山雄山に登った。快晴で南に雲ノ平から槍が岳、穂高そして乗鞍まで実によく見えた。一の越の東には薬師岳、その先は加賀の白山だ。

 

 

 

 

 

東側には遠く富士山も見えた。そして甲斐駒と八つが岳の山々。浅間もよく見えた。眼前には黒部渓谷と黒部ダムを挟み針ノ木、鹿島槍など後立山の山並。懐かしい山旅を思い出すことができた。今晩の宴会が楽しみだった。

古希合宿の後は能登半島氷見で新鮮な海鮮料理と温泉を堪能した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

快晴の中、弥陀ヶ原そして雄山に向かう。ダルマは捻挫し、姫ダルマから説教されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みくりが池と後ろは立山雄山。その昔の地獄谷で硫黄ガス中毒になった。

 

 


2-4)  キチ会・50周年白馬合宿 ’16.10.02〜05 ホテル白馬対岳荘

 

 

 

 

 

 

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2-5)  新年会 ’18.01 銀座資生堂パーラー

 

 

 

 

 

 

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2-6) 30周年記念  信州上村しらびそ高原 1996年9月14日〜16日

 

 

 

 

 

 

 

「神戸の大地震、サリン、円高株安、リストラ、50肩、ギックリ腰、〜 50台も半ばの働き盛り、取り巻く厳しい現実から暫し逃れて鋭気を養う。ひときわ大林の笑顔が目を引く。これが仲間に見せた彼の最後の笑顔とは誰も思いもしなかった。3ヶ月後1/15からの 逝ってしまった。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2-7) 35周年記念  静岡寸又峡  2001年10月6日〜8日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『寸又峡の金嬉老の宿は狭くて使えず、諦めた調査行の帰りに偶然見つけた「森のコテージ」。蒸気機関車の大井川鉄道、千頭からのトロッコ電車、湖上を渡る長い「夢の釣り橋」、慌ただしい日常を離れ子供に戻った。あの釣り橋で、あの土志田が真剣な顔でビビッて尻込みし渡れず、高所恐怖症なのを初めて知った。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トロッコ列車の左に立っているのはどこの美女なのか。JPH(ハカリ)夫人である。

 


2-8) 37周年記念  還暦合宿  浅貝   2003年10月11日〜13日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ第2の人生を考える面々、昔取った杵柄で稲包まで登るまだまだ元気組と、ドラゴンドラで苗場の紅葉を愛でる風流組の二手に別れたが、二夜の宴会は相変わらず飲んで唄って騒いで〜! 小屋でのファイヤーと福島屋でのS44卒組との合同宴会。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2-9) KWV75周年記念  銀座倶楽部  2005年4月11日〜12日

銀座倶楽部というのは帝国ホテル地下にあったレストランだろう。立派な場所である。清水のトコヤさんは場違いのオレンジ色の姿だった。メガチョン(松永君)は頭も金髪、衣服もオレンジ色でいつも同じ姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2-10) 卒業45周年記念 田代平七時雨山荘  2011年8月

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「50年近い時の経過で田代平は上品な草原に変わっていた。遙か昔のおぼろげな記憶とは大きくかけ離れている。生憎の雨の中を想い出求めて七時雨に登る面々、はたまた現世の極楽を追い求める温泉組。日が暮れるとそんな愁傷な気は吹っ飛んでいつものパターンの大宴会。雨上がりの草原の打上げ花火や誕生祝いのケーキカットなど色んなハプニングで盛り上がった45周年でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陛下、突然姿を消す

安藤君(昭和陛下)による花火仕掛けのお仕事は見事だった。そして余興まであった。暗闇の舞台からまるでマジシャンのように突然姿を消した。素晴らしい演出に驚いて盛大な拍手。ところが陛下は舞台から足を踏み外し落下。額や腕にかすり傷。軽傷でよかった。その夜は寝床に横たわる陛下を囲み、御臨終のシミュレーションを楽しんだ。Kame

 

 

 

 

 

 

 

 


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