テレ偲ぶ会    「大河原新太郎君への追悼」

 

       2021年10月17日逝去  享年79歳

 

       


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(5-1)

              「そうかー、もういないのかー」

 まず、動画をクリックして下さい。「新ちゃん」がいつも楽しそうに笑っています。
「そうかー、もういないのかー」、新太郎君はもういないのかーー。
かれこれ20数年、カメにとっては50年もの長き付き合いでした。


   「来てくれるだけで嬉しいよ」

いつかまた会えるだろう。アルスロンガ農園は不滅の仲間なのだ。仲間割れなど、とんでもない。仲良く余生を送ってくれ・・。新太郎君はカメの耳元に囁いてくれました。
 

動画は約4分で数十枚の写真(島田君撮影)を編集し音楽を付けたものです。学生時代の山の写真や若き頃のものからアルスロンガ農園の数々のエピソードを交えてスライドは展開していきます。みなさん若かった。新太郎君も美男子。高貴なお姿だが野良仕事に熱中している。


  「そうかー、もういないのかー」 あの顔とあの声に・・・(約4分の動画)


         

 

  二人は「赤い糸で結ばれていた」

 やがて結ばれるであろう運命。赤い糸とは、結ばれる運命の相手の小指をつないでいるとされる糸。これは新太郎君の妹、淑子さんから入手した写真です。

  "夏休み啓子ちゃんが来て碓氷ダムで飯盒炊さんをした"

淑子さんは啓子さんのお友達。お二人とも小学校の頃で可愛らしい。新ちゃんは、若々しい青年の顔で格好いい。これでは啓子さんもひそかに惚れていたのでは・・・。

 


 新太郎君の 子供の頃の写真 「妹、淑子さん提供」を見てください。


(5-2)

         戒名 『緑樹院守拙誠新居士』

 11月23日に松井田で新太郎君の告別式と納骨式が執り行われました。
新太郎君が永眠する墓は、ご両親「大河原久夫様」と「大河原清子様」と御一緒の墓です。

新太郎君の戒名は、『緑樹院守拙誠新居士』となりました。彼自身によって 自作した戒名。お寺に生前から早い段階で預けていたそうです。

 「緑樹」を入れるという、いかにも新太郎君の大好きな草木を意味しています。 ちなみに、父上の戒名は『樹徳院久嚴慧照居士』で、山野草を大変好まれた父君の「樹徳」に因んでいると思います。父上は物静かで貴重な植物図鑑を収集され、まるで草花の博士のような立派な人でした。新太郎君は、その父上から、さらに曾祖父から草花・樹木についての博学知識を伝授されました。
 

   「緑の地球」を守ろう
「緑樹」は、自然そして地球環境の本来の姿を意味します。「緑樹院守」ということは、「緑の地球」を守ろうという新太郎君の決意(メッセージ)を示しています。アルスロンガ農園の仲間から、こんな偉人を生み出したことは誇りですね。

 

   ふた(カロート)を開ける

 施主の御挨拶の後、僧侶による読経があり、読経に合わせて故人を偲び手を合わせました。石材店の職人が墓石のふた(カロート)を開けました。真っ白な骨壺に収まった遺灰を墓の中に入れました。納骨を終えたら、僧侶が再び読経を始めました。遺族から順番に焼香を行い焼香が一巡したら、僧侶の読経を終え納骨式は終了。

新太郎君は、お墓で御両親と一緒に過ごすことになります。彼は親孝行されると思うが母上の懐で再び厳しく、優しく教育されることでしょう。冥途の世界でも家族愛を受けられて実に幸福者です。
 

 

大河原家の背の高い大きな墓石の右横には墓誌が彫られていました。

   父上 大河原久夫  平成6年9月2日没  行年  85歳

      戒名 「樹徳院久嚴慧照居士」

   母上  大河原清子  昭和58年7月16日没  行年 69歳

      戒名 「華徳院清鏡恵真大姉」

 

カメは 、母上から大変お世話になりました。背の高い面長の美しい方でした。新太郎君とよく似ていますが妹さんの淑子さんとそっくりだと思います。69歳でお亡くなりになったとは・・。

        

 

 

 


(5-3)

      『崇徳寺』 足利尊氏によって建立

 菩提寺は、『崇徳寺』と呼ばれ14世紀室町時代に足利尊氏によって建立された名刹です。墓地内には尊氏の息子の墓もあります。
曹洞宗の大本山は京都の妙心寺。本尊は釈迦如来ですが、鎌倉五山のひとつにも同じ名、妙心寺があります。ただ禅宗の事は詳しくありませんから曖昧。
大河原家は代々檀家総代を務めてきました。

 

『崇徳寺』には大河原家の菩提が二ヶ所ありますが、新太郎君の墓は一番奥のお寺本堂の左側にあります。カメは昨年、間違えて分家の大河原一族の墓に行きました。

思い出すことは、平成6年(1994年)9月2日に逝去された父上「大河原久夫様」の葬儀で『崇徳寺』へ参列したことです。あの年はハンガリーへ新太郎君と一緒に旅行しました。彼にとり初の海外旅行で旅行中は彼は興奮して楽しそうでトカイ白ワインを毎夜がぶ飲みしていました。ブタペストのゲルレート温泉ホテルから国際電話を高輪に毎朝、連絡していました。父上は闘病生活だったのです。啓子さんからあまり遊びまわらずにお父様のことを案じるようにと叱られていました。

父上は新太郎君の帰りを待ったかのように逝去されました。カメは新太郎君をハンガリー旅行に誘った悪友として恨まれています。

 

 


(5-4)    

                『妙義山』の山懐

     

 11月23日、納骨式の日。『妙義山』は最盛期の紅葉も終わり、麓だけが真っ赤に燃えていました。小さな山だが姿は厳しく険しい。穏やかな新太郎君とは違う。新太郎君は家族には妙義山のように厳しかったが、仲間には別の顔を見せてくれ優しかった。

 新太郎君は名峰『妙義山』の麓、松井田で生まれた。そして大好きな『妙義山』の山懐へと帰ってきた。生まれ故郷の松井田でやすらかに永遠の眠りについた。素晴らしい人生を過ごすことができた。人生を思いっきり楽しむ 奴だった。

新太郎君が大好きだった漢詩。ワインにまつわる詩なのでカメも好んで詠んでいた。

 
葡萄の美酒、夜行の杯、
   飲まんと欲すれば、琵琶馬上に催す。
      酔うて砂上に臥すとも
         君笑うことなかれ。 


                  [涼州詞]

 


              「偲ぶ会」 2021年12月12日 松井田・大河原邸 ----> もっと見る


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  「テレ偲ぶ会」について
これはWebサイトで開催される「大河原新太郎君」を偲ぶ会です。オンラインによる進行形の会合ですから何時でも修正・更新が可能です。気楽に出席されて「新太郎君」と過ごされた懐かしい日々をお話しください。短いコメントやお名前だけでも結構です。   

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               saitotac@muse.ocn.ne.jp


 

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