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評論 78回目の終戦記念日 2023年8月15日
私も戦災孤児になっていたかもしれない。
焼け野原をさまよっていた戦災孤児たちは、戦争で家族を失ったり、生き別れたりした。
1947年夏の富山、母の実家のある北陸の町は焼け野原だった。
1945年8月15日に中国・山東省の青島で日本の敗戦の知らせを聞かされた。3歳の幼児なので何も分からなかった。私は、1942年9月6日に青島で生まれた。
そして戦中戦後の激動の時代をまさに裸一貫で生き延びてきた。
1946年の秋だったと思う。日本から引き上げ船が来るという嬉しいニュースが広まった。 天津の収容所から港のある「塘涸(タンクー)」まで移動させられた。長い行列を作り、手荷物を大切に持ち、私は小さなリックサックを背負い歩いた。迷子にならないように母トミは私の小さな手を固く握っていた。迎えに来た船はアメリカ軍から借りたもので「LST」と呼んでいた。それは人間を運ぶ船ではない。戦車を敵前上陸させるものだった。
戦争は二度と御免だ。 不戦を誓う夏が来た。
(続き) 戦乱の時代に生まれた
https://saitotac.jp/Archive/Travel/china.pdf
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