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恵みの葡萄 「オノマトペ」と「アブダクション」  2023年7月20日

 「間違いながら進む人」が評価される。

異常に蒸し暑く寝苦しい夜が続く。
ジャングルのように緑にすっぽりと包まれた小さな庭に葡萄が色づいてきた。
山ブドウとデラウェアの可愛らしい小さな実は鈴なりになっている。
一粒摘まみ口に入れた。 葡萄の香りと甘みがホンワカと広がる。

 ワインが飲みたくなる。

これまでは、「正しい人」が評価される時代が続いた。
これからは、「間違いながら進む人」が評価される時代になる。
なんとなく励みなるコメントではないか。

葡萄棚の下で朝から読書を始めた。先月まで旅行に夢中になったので読み残しの書籍が積み重なっている。

『言語の本質』、『日本語が消滅する』、『大規模言語モデルは新たな知能か』、『戦地の図書館』

この4冊はどうしても7月中に読み終えなければならないと、自分にハッパをかけた。 80歳の衰えた頭脳にとり難解なテーマは避けてきた。マンガやネット記事など短い解説と図解だけにしている。
読む力が無くなった。文章を追う、行間を読むなど読解力は極端に落ち、幼児並みだろう。語彙力も低下してきた。

まず、読み終えたのは、
 『言語の本質』
コトバはどう生まれて、進化したのか。
学術書に匹敵する素晴らしい内容だった。

『言語の本質』は、認知科学者(今井むつみ)と言語学者(秋田喜美)による共著で文庫本なので読みやすい。
人間は、「アブダクション」という、非論理的で誤りを犯すリスクがある推論を続けてきた。 コトバの意味の学習を始めるずっと以前からである。それは本能的な行為といえる。 人間は子どもの頃から、そして成人になっても論理的な過ちを犯し続けている。 ところが、「アブダクション」という臨機応変な曖昧な推論によって言語の習得を可能にしたという。

 「アブダクション」(abduction)
私は意味論で使われていることを思い出した。第三の推論と呼ばれ、論理的には間違う可能性を秘めた推論法である。
これが人間の学習の根本にあって、言語や科学の発展を支えているという。
人間は、間違うことによって進化してきたというのが「アブダクション」。
「正しい人」が評価される時代が続いたが、これからは「間違いながら進む人」が評価される時代になるのか。
正論なのかどうか、一見したところAIに対抗し、負け惜しみのような理屈にも聞こえるが。

    

 「オノマトペ」
私は隣の犬に吠えられて「ワンワン」と呼び、口がまわらなく「ニコニコ」と挨拶するだけだ。 酒を飲むと気持ちが「ホンワカ」としてきて、血液の流れも「サラサラ」になる。いつも腹の虫が「ゴロゴロ」と泣く。
こんな幼稚なコトバを年寄りが使うと認知症の老人と見なされそうだ。
ワンワンやヨチヨチ、ニコニコなど擬音語・擬態語を「オノマトペ」という。
「オノマトペ」は身体の感覚に密接に関係している未開な幼児コトバ。

 「記号接地問題」
「オノマトペ」の研究がにわかに注目されている。それも最先端のAIの研究領域においてなのだから驚く。
AI(人工知能)は頭脳だけを対象にし、身体を持っていないから「オノマトぺ」を発せられるのかという「記号接地問題」。すなわち記号(コトバ)が意味対象の実体を指示しているのかどうか、それを「接地」と比喩した。特に、この「記号接地問題」ではコトバと身体のつながりを問題化する。

  「オノマトペ」は記号として何処へ接地するのか  ?

ChatGPTなど生成AIは、記号を別の記号で表現するだけ、いつまで経ってもコトバの対象について理解していない。 生成されたコトバはレトリックにすぎない。「記号から記号へのメリーゴーランド」という人もいる。

   AIは「知った」と言えるのだろうか ?

コトバの意味を本当に理解するためには、身体的な経験を持たなければならない。
すなわち、「記号接地問題」の解決が必要なのだ。
体験と経験、皮膚感覚のアルゴリズムは、「オノマトペ」と「アブダクション」から暗示される。

     

      (動画   カメの庭 「マンション・ワイナリー物語」2021年7月)  

ところで推論について補足。
推論には二つの方法がある。演繹法帰納法である。
仮説(モデル)を証明するために用いるが演繹法はトップダウンに帰納法はその逆でボトムアップに結論を導く。 最近のデータサイエンスは帰納法を採用している。おそらく生成AIなども帰納法を応用しているだろう。

演繹法は、分類表を例にすると分かりよい、まず上位に大分類がある。分からない事とわかる事を分ける。 さらに分からないことを何とかしてわかる部分と何となく分かった部分とにわけていく。その同じ事を繰り返して分類の水準を下げていく。 細分類の構造が出来上がっていく。演繹法はトップダウンの推論といえる。

帰納法は全く逆である。諸々のデータを集めて類似性を見出し、グループを作り出す。属性の似たものをグループにしても良い。
属性は羽が付いているか、エラがあるか、足が二本あるかなど特性を見出して分類していく。 そしてそのグループ(分類カテゴリー)に名前を付ける。例えば、「鳥」という分類である。帰納法はボトムアップの推論といえる。  

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(妄想した。若い女性がブドウを踏んでいる姿。)
民族衣装で着飾った乙女が素足でブドウを踏み潰す。
大きな風呂桶のような容器の中は、赤ブドウの果汁で真っ赤だ。

これこそ「アブダクション」や「記号接地問題」とはまったく関係ない。

 

 

 

「アブダクション」は第三の推論といわれ、推論というよりは「推理」といえるだろう。人間の個人的な心理的判断を介入させる。
それをヒューリスティックという。つまり人間的な発見的な機転に依存させる。論理的には間違う可能性を秘めた推論法である。
ヒューリスティックに対比されることは、「アルゴリズム」である。こればかりはコンピュータに負けてしまう。
AIは、帰納法によって複雑なアルゴリズムを処理していく。

  「ブドウの恵み」なのか「恵みのブドウ」なのか ?

『言語の本質』でひさびさに知的興奮を感じた。意味論やオントロジーが懐かしい。 読書に夢中になり、夕闇が訪れた。

ランプの灯りを点けて冷やした白ワインを飲んだ。

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