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    『はじめにUNIXありき』  

春がやって来た。小さな庭でラベンダーは咲き誇っている。

  
『はじめにコトバありき』
 
In the beginning was the Word


オントロジ、恰好の主題になった。  

  

          ギリシア語は「λογος」(ロゴス)。

         
『はじめにロゴスありき』
         
εν αρχη ην ο λογος、


 
『はじめにUNIXありき』

神業のようなUNIX
UNIXは、マルチユーザとマルチタスクを処理する。
「マルチユーザ」は、数名(ユーザ)の要求を一斉にサービス。
「マルチタスク」は、異なるタスク(注文)を同時処理。

OSという「頭脳」
アンドロイド(Android) は、今やスマホ世界で有名である。
GoogleやGalaxyなどスマホ社に搭載されているOS。
パソコン向けOSには、WindowsやMacOSなどが知られている。

全てはUNIXから始まった。
OSは、Operating Systemの略で車のエンジンのようにコンピュータを動かす。

OSの中核はUNIXに基づいている。

プロトコルとインターネット
UNIXは、インターネットの基本であるプロトコルを与えてくれた。ネット(LAN)の連合網、その規約を「プロトコル」と呼ぶ。インターネットのプロトコルは、「TCP/IP」である。

  インターネットの生みの親 UNIXは『バベルの塔』を実現した。
      インターネットはデジタル世界を統一できた。

  
デジタル世界に「ロゴス」は存在できるのか。
ラベンダー畑でオントロジをつぶやいた。 


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  お酒だけでも本物を
尿酸値高騰の警告を受けて、酒種制限に悩みました。中でもギネス黒ビールは厳禁ですが、こればかりはどうも。とても発泡酒やリキュールなどの代用品では我慢できません。あれは、古い革袋(麦酒という概念)に偽物の新しい酒を注ぎ込むという詐欺です。
この不気味な世界では、お酒だけでも本物を楽しみたいものです。本物とされた新聞、放送、出版そして大学など伝統業界の未来は危うい。

 

  元発泡酒教授
本物が忘れ去られて偽物が、それに取って代わるのが無法なIT時代です。発泡酒のような大学と教授が増えてきました。私もその一員の元発泡酒教授かもしれません。年金という捨扶持が支給されますが、大学勤務時代は携帯脳学生を厳しく一喝教育しました。テニスもお酒も弱くなり、涙もろくなりました。 まさに愛情乞食であることを自覚しています。

 

2012年に退職し、現在は中央大学名誉教授として余生を過ごしています。最終講義では「概念理論への回帰」と題して記念講演を行いました。詳しくは下記をお読みください。(PDF)

     ---->   概念理論への回帰  ある記録情報学者の足跡


   研究教育の足跡

私は、1964年に初めてコンピュータに触れて、プログラム言語に陶酔し、その進化に夢をふくらませて企業に就職した。そこで情報システムの開発を経験した後に大学教員として教育研究を始めた。教員を始めた当初、大学の使命は、教育と研究にあることを十分に認識していたのであるが、研究について軽く考えて、教育だけに熱中していた。当時の私は、ICT企業のシステム・エンジニアとしての現場経験、それに基づく情報教育を大学から求められたことに有頂天になっていた。それまでの私の教育は、企業経験という過去の物語を切り売りしていただけだった。まさに元発泡酒教授で終わるべきだったが光栄なことに名誉教授という称号を頂戴できた。

1989年に執筆した「ハイパーテキスト」の本。日本で初めてのデジタル書籍の到来を告げるものであった。(写真左)ハイパーテキストの表紙 

研究教育の内容を読む -> 日本語版 | 英語版  


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   透明化される情報システム
ユビキタスは、自分のもっている情報のみで判断を行うのではなく、どこにでも埋め込まれて、眼に見えないコンピュ−タ群がネットワークで相互に結びつき、人間・機械系の高度な協調・調和を実現する。ユビキタスの重要なことは、人間がもう1つの脳をもち、人々の能力を増幅させることである。これは、情報からの解放につながる。これまで人間が苦しんできた情報と情報処理をユビキタスに肩代わりさせ、その分だけ身軽になり新たな創造的な時間を得られるからだ。電卓によって計算という情報処理から解放され、算法の知識がなくても誰でもが平等に複雑な計算ができるようになった。人はアルゴリズムを忘れたのだから、退化したというが、今では暗算の能力や、計算の能力で人を差別するということはなくなった。ユビキタスの現実的な解釈は、世のあらゆるものが情報システム化され、それらがネットワークで相互に結ばれて人間の生活を支援するIT社会のことだろう。情報システムは、世の中のあらゆる仕組みを対象にし、それをユビキタスに組み込んでいくにちがいない。情報システムは、アルゴリズムの集合体でもある。ユビキタス社会とは、アルゴリズムが社会の至る所に行き渡る社会といえる。

(写真左上) インターネットによるデジタルライブラリ(1997年)

1997年に『インターネットによるデジタル・ライブラリ』と題する書籍を執筆した。電子図書館の到来を告げた。


シソーラス

シソーラスは情報検索とデータベースための情報インデックスの典拠となるもので、キーワード(索引語)の語彙群とそれらの意味関係を示す辞書である。その重要な機能は、索引語が指示する意味を制御することである。シソーラスは、分類表のように分類項目などから構成される概念言語と異なり、自然言語をそのままシソーラスの語彙として使う。主題を表すものは事例(インスタンス)であるから当然であり、利用者にとっても極めて都合がよい。しかし情報という分類を伴った体系化と形式化された主題概念を表すには、キーワードなどの事例語彙をいくら並べてみても役に立たない。様々なインスタンスを類別し、その属性から意味を明らかにしてクラスやカテゴリーと呼ぶ概念の固まりを創り、タクソノミーなどを用いて体系化しておく。あるインスタンスの意味を明らかにするは、別のインスタンスを用いるだけでは「私は私であり、私は私ではない」という同語反復のトートロジーになる。「私(人間)は私(法人)でない」のように「人間」や「法人」という主題の概念(クラス)の違いを明確にしてくれる。さらに重要なシソーラスの機能は、情報の対象となる主題概念の世界を示してくれることである。社会科学、自然科学、人文科学、医学、工学、生活、家庭などの広域な主題から些細な日常的な主題まで様々な主題概念を描いてくれる。情報の姿と形式化の視点を明らかにする雛型(情報モデル)を与えてくれる。シソーラスは、主題概念の見取り図となるものだ。


情報インデックス

情報インデックスの実務をご指導いただいた津田良成先生は、医学情報システムの偉大な先駆者であった。あの柔和な微笑みと甲高いお声で父親のように私を見守ってくださった。学部に始まり大学院まで40数年も津田良成先生と御一緒に働けた。光栄であり幸福だった。情報インデックスに必要になるシソーラスは私を魅了するものとなった。実務的なシソーラスを津田良成先生の御指導により知った。その名を医学シソーラスMeSHというものであった。恩師である津田良成先生との出会いについて津田先生の想い出をお読みください。

(写真右下) ハイパーテキストの翻訳本(1999)
(写真左上) 津田先生御夫妻とみなさま(2009年)                      


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 計算可能意味論

私の研究課題の一つは計算可能意味論とい うもので、人工知能に必要なアルゴリズムといえる。
意味を式の形によって表現する形式化の研究は、古代インドで始まった。ジャストリックによるものでサンスクリット文法を理論化するためであった。ギリシャに始まる哲学と論理学も、知識の形式化を目的とした。その歴史の流れはオントロジという知識表現の研究につながり、人工知能やITにおける計算可能意味論の研究へと発展する。私は、オントロジを計算可能知識の視点から考察し、その計算とは、推論の規則を記号の計算法則とし、意味論を伴った論理記号の体系とした。オントロジは、関係性の意味論のことであり、実世界のオブジェクト(概念)とその間の関係をいかにして表現するかを研究する。

(写真)2002年に『記録・情報・知識の世界』を執筆した。     

 


 エキスパート・システム

ところで、計算可能という表現は、不完全性定理を証明したゲーデルも使っている。その場合、計算可能関数という意味であり、アルゴリズムが存在する関数のことである。これは、論理学におけるトートロジー(恒真命題式)が証明可能であること、つまり一階述語論理(FOL)の公理の完全性定理に関係するものであった。計算可能知識という表現は、1970年代の人工知能によって初めて使われ、知識表現モデルのためのものであった。人工知能の計算可能知識は、専門家の形式知をシミュレートするエキスパート・システムの意思決定に使われた。意思決定は、ある事実の集合が与えられたとき、それを説明する最も適切な仮説を結論とする。人工知能の知識は、述語論理などの形式意味論に基づきプログラム化された計算可能知識といえる。したがって、知識をコンピュータで実行可能な形で書き表すことであるから記号処理レベルに留まる。

                                                                      

                        

(写真左)  2003年に『意味論からの情報システム』を執筆した。 

(写真右) 2012年に『デジタルメディアの情報インデックスと知識地図の研究』を執筆した。


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 意味論と情報システム

意味論と情報システムとは、意外な組み合わせかと思われる。技術世界と人文世界の融合を試みる哲学論を連想させる。「オントロジ」という言葉に代表されるように哲学に起源する概念が多用されるが、ITにおける意味論の必要性を説いている。目的は、比較的単純である。ユビキタスという名前を借りた情報システムと、オントロジという名前を借りた人間との知識活動の意味作用について論じる。その焦点は、両者のインタフェースとなる「情報システムの意味」のあり方の研究といえる。キーワードで表すと、「ユビキタス・オントロジ・セマンティックス」となり、それぞれユビキタス、オントロジ、セマンティックスに対応する。要約すると、次の3つのキーワードによって表される。

ユビキタス     透明化される情報システム
オントロジ     概念操作を行う人間
セマンティックス  オントロジに基づく情報システムの意味論

(写真右 『社会科学情報のオントロジ』の表紙)


 韓国語に翻訳された

2008年に『記録・情報・知識の世界』と『意味論からの情報システム』の2冊が同時に韓国語に翻訳出版されました。その序文の一部です。詳しくは韓国語翻訳をご覧ください。

私の本を翻訳された漢城大學の崔錫斗教授に心から感謝します。この本は日本語でも極めて難解な表現を使い、抽象的な内容であることから日本の読者にとっても容易に読みこなすことができません。それを的確な韓国語に翻訳された崔錫斗教授のご苦労に対し、敬服いたします。意味論から情報システムについて考察することは私の長く抱いていた希望でした。その情報システムとは、記録と情報、そして知識を扱う仕組みですから図書館やデータベースなどが具体的な例といえます。情報システムには情報化する分類アルゴリズムが存在します。それはタクソノミーやオントロジと呼ぶこともありますが、概念化し体系化する法則といえます。その目的は、シソーラスの整備とインデクシングに具体的に表れます。情報システムとは、このような情報生成と知識形成のために必要な仕組みといえ、それをオントロジ・アルゴリズムと呼びました。私が提唱するオントロジは、基本的には「存在」という1つの対象から出発し、これを「分けて」多様にしていき「わかる」という道筋を体系化していきます。オントロジは、分けることで、「わかる」ことです。                              

(写真左 韓国語に翻訳された表紙)

  -->   『韓国語に翻訳された』  韓国シソーラスの旅   2010年6月 (韓国訪問)

                  斉藤孝の、過去の著作のリストをご覧ください。


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  中央大学名誉教授

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    ------>   概念理論への回帰  ある記録情報学者の足跡 (2012年最終講義)

                            

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  個人史


 生まれ故郷の中国青島

2016年に70年ぶりに生まれ故郷の中国青島を訪れました。青島ビールで知られていますが、第一次大戦まではドイツ植民地でしたからドイツ人好みの青島ビールが作られたわけです。1919年に日本が占領。捕虜になったドイツ兵士が四国板東収容所で日本で初めてベートベンの第九を演奏したそうです。私の生まれたドイツ様式の洋館と同じものが多く残っていました。 左のモノクロ写真は生まれて数か月の赤子の私が自宅の門柱の前にいます。4歳の頃になるとドイツ様式の門を微かに覚えています。多くの洋館はそのまま残っていました。写真を片手に探した結果、よく似た門柱を見つけました。隣は白系ロシア人で美味しいラスクをもらったことを思い出しました。

 

中国青島で生まれた チュニジア人家族と 下手なテニスを楽しむ

 


 破れたリックサック

1942年9月6日に青島赤十字病院で生まれました。1946年になり敗戦後の焼土と化した日本に引き揚げてきました。小さな私の手は母親にしっかりと握られて、破れたリックサックを背に担いで歩いていました。辿りついた母の実家の富山市はB29の空襲で全市まる焼けでした。焼け焦げた黒いトタン板をよく覚えています。その気丈な母親は98歳になり、 まもなく99歳の「白寿」になります。激動の混乱期を生き抜き、一人息子の私を大切に育ててくれました。今は介護ホームで穏やかに過ごしております。

私は2019年9月6日に77歳の誕生日になり、俗にいう「喜寿」です。父親は35歳の若さで亡くなっていますから、まるで奇跡のようです。ここまで生きていることに心底感謝しています。

 

 

 
インド人家族と  エジプト ピラミッド
 

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 望郷の痕跡が残っていない

青島は中国の山東 半島にあり東シナ海に位置する港湾都市である。正確には青島市 (チンタオ) 、ローマ字で(Qingdao)と綴ります。現在は中華人民共和国山東省に位置する海洋産業の中心都市であり、東部沿岸の重要な経済と文化の中心として発展しています。また中国人民解放軍海軍北海艦隊司令部のある軍港として有名であり中国初の空母『遼寧(り ょうねい)』が母港としたことでも知られています。近年、中国最大の家電メーカーとなったハイアール(海爾集団)や中国最大のテレビメーカーであるハイセンス (海信集団)も青島を本拠としています。 私が生れた1940年代では青島がこのように大都会に発展するなど想像もできなかった。生まれ故郷が立派な都市に大変貌したことは嬉しくもあるが他方で古いものが無くなり望郷の痕跡が残っていないようで寂しいです。

  写真 中国青島 砲台跡公園からの青島市

                                             


  青島ビール
日本人は青島と聞くと宮崎県にある観光地を想像するだろう。中国人でも青島市がどこにあるのか正確にはいえない。しかし「青島ビール」を知っていますか、問うと中国人ならばだれでもが知っている。最近では日本の中華料理店でも「青島ビール」がおかれている。それほど「青島ビール」は有名なのである。ドイツ風ラガータイプの味だ。「青島ビール」は青島がドイツ植民地であった1903年にドイツ人が開業したビール製造所で誕生した。私の生まれ故郷を説明する時、「青島ビール」の中国の青島ですと自慢している。

 日本の支配
第一次世界大戦は1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、主にドイツと英国が戦ったがドイツ側にオーストリア・ハンガリア帝国、英国側にフランスやロシアも参戦し後になり米国も英国側に加わった。そして日本は当時の日英同盟に基づき英国側に加わった。最初はヨーロッパ大陸の戦いであったが中近東、やがては極東アジアにまで戦線は拡大していき世界大戦となった。日本軍の戦場はドイツ植民である青島と南太平洋の小さな島々であった。1914年に青島のドイツ軍基地の砲台などを日本軍初めて航空機によって空襲を行った。青島攻略は圧倒的な日本軍の勝利で終わった。

 板東俘虜収容所
多数のドイツ軍が俘虜になり彼らの多くは四国徳島にある板東俘虜収容所に送られ1919年のベルサイユ条約締結まで収容された。俘虜4715人のうち、約1000名を板東俘虜収容所に1917年から1920年まで収容された。板東俘虜収容所を通じてなされたドイツ人俘虜と日本人との交流が、文化的、学問的、さらには食文化に至るまであらゆる分野で両国の発展を促した。俘虜の多くは志願兵となったドイツの民間人で、彼らの職業は家具職人や時計職人、楽器職人、写真家、印刷工、製本工、鍛冶屋、床屋、靴職人、仕立屋、肉屋、パン屋など様々であった。ヨーロッパの優れた手工業や芸術活動を披露した。文化活動も盛んで、同収容所内のオーケストラは高い評価を受けた。ベートーヴェンの交響曲第9番が日本で初めて全曲演奏されたのも、板東収容所のドイツ俘虜だった。

                              (写真 4歳の私)
 


 引き揚げ船
終戦の翌年1946年まで約一年間、多くの日本人婦女と共に天津の収容所で生活を余儀なくされた。レンガ造りの大きな倉庫だった。日本からの引き 揚げ船を待つためである。1946年の秋だった。日本から引き揚げ船が来るという嬉しいニュースが広まった。天津の収容所から港のある「 「塘涸」まで移動させられた。長い行列を作り、手荷物を大切に持ち、背中には小さなリックサックを背負わされた。迎えの引揚者の船はアメリカ軍から借りたものだった。「LST」と呼んでいた。それは人間を運ぶ船ではない。
正式には戦車揚陸艦(tank landing ship)と呼び、歩兵や戦車などを揚陸する戦闘用船舶である。アメリカ海軍の艦種類別記号てばLST(Landing ship,tank )が当てられる。着岸しやすくするために艦体前部の船底は平になっている。この平らな船底という特徴のため、外洋では横揺れがひどく、乗り心地はあまり良くない。着岸点についたら艦首
の扉を開けて渡し板を繰り出し、車両・兵員を上陸させる。日本軍捕虜に抱きかかえられてLSTに乗ることができた。あの時の日本兵俘虜が規律正しく日本人を面倒みる頼もしい姿を忘れることができない。私たちはLSTに家畜のように詰め込まれ、船酔いに苦しみながら2日をかけて佐世保に無事着くことができた。
(写真左) 引き揚げ船 LSTは朝鮮戦争当時のもの


望郷とノスタルジ

これは私の記憶がまるでROM(Read Only Memory)に焼き付けれたような中国・山東省・青島に関わるノスタルジである。 5歳までしか住んでいなかった青島であるが、まるで50年も長きに渡り青島で生活したかのように数々の想い出が浮かんでくる。77歳になっても夢の中で青島にいた幼児の自分の姿を見つける。

私は世界中どこでも中国人に会うと、゛青島を知っていますか゛と尋ねてみる。多くの中国人は、゛もちろん知っています。綺麗で素敵な都会です。゛と答えてくれる。私は待ってたとばかりに、゛私はその青島で生まれました。゛と得意になって自分史を語りだす。古き良き時代には名優『三船敏郎』も生まれた。第二次大戦で日本文学者『ドナルド・キーン』も青島に上陸したと聞く。私のプライバシーを露見するようで恥ずかしいですが、私の青島物語をお読みください。  (写真右)端午の初節句   

  


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   趣  味                            


 

 葡萄の美酒、夜行の杯、飲まんと欲すれば、琵琶馬上に催す。

        酔うて砂上に臥すとも君笑うことなかれ。[涼州詞] 

私の1年は、この漢詩そのものです。冬になると雪が恋しくなり、大雪の北国の山道を好んでドライブしました。雪道は危険ですが、白銀と雪煙りを走ることは実に爽快です。また熱燗が恋しくなりました。2日の休肝日を守ることは苦しいことです。

雪道をドライブ 雪山を楽しむ エベレスト街道をトレッキング

「万巻の書を読み、万里の道を行く」 

名人の言葉に憬れ懐かしい山々に数回登りました。11月にヒマラヤ街道を10日間も歩き、エベレストの姿を眺めました。まさに厳かで神々の座であることを実感しました。富士山にも40年ぶりに登りました。登山と農耕による自然との融合は、老衰防止と回春活力になっています。

 

鋸を使う 孫と工作、そしてお茶。 スキーを特訓
 

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People-who-bought-X-also-bought-Y

 これは見慣れた英語の羅列には違いないが、1つの語彙となると目新しい。日本語訳では、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」となる。なるほど、ネットではよく眼にするキャッチフレーズ。今ではネット商店における重要な販売戦略となった。このビジネスモデルはネット書店で有名なアマゾンが作り出したものである。さらに続いて、「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」や「カスタマーレビュー」、そして「星5つ」や「星1つ」などという「おすすめ度」。また、「23 人中、21人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています」という情報まである。まだ続き、最後は「質問や意見を交換しましょう」となる。このような図書購入のために手の込んだ書誌情報が提供されると、まるで親切な図書館員や書店の書籍ソムリエから個別に特別サービスを受けたようで、読書の楽しみも増すだろう。ただし、要らぬお節介でもあるが。

     (写真左) スキーでジャンプ    (写真右) スイス 大氷河


SocialBibliograhy

ネットならではのこのサービスをSocialBibliography(社交書誌)という。「Social」が意味する社交がキーワードになる。普通の読者が書誌情報の社交場を設けることによって図書に関する話題を共有できる。これまでのようにプロの批評評論に頼らないで書誌情報を獲得するやり方といえる。米国のジャーナリストSurowieckiは、「たった一人の利用者の判断であっても、その積み重ねが価値を生む」というSocial化されたコミュニケーションを提言した。人間は集団になると烏合の衆と化し、愚かな行動に走るといわれてきたが、それは歴史が示してきた事実に違いないが愚行だけではなかった。一握りの天才や、専門家たちが下す判断よりも、普通の人の普通の集団(Society)の判断の方が賢い場合もあるからだ。例は『Wikipedia』を見れば納得できるだろう。自分が書きこんだ知恵や知識という記録が、他人に利用されて知識の連鎖ができ、Social化された百科事典ができた。
                    
 

孫からスキーの再教育
孫の悠真に庭仕事や工作などを伝授しましたが、山歩きは何とか誤魔化せてもスキーのレッスンはとてもついていけませんでした。孫からスキーの滑り方を習いました。
悠真は湯沢で4日間のスキー合宿を経験。ストック無しで全制動でスイスイと滑って行きます。私は50年前のシュテムボーゲンで追っかけますが、とてもついていけません。昨年は追いつこうと無理をしたせいで捻挫しました。体力とバランスの衰えを 痛感した孫とのスキーでした。
           


 アウトドアの楽しみ
植物を育てる楽しさを実感させる。昨年から悠真にアウトドアの楽しみを伝授しています。模型工作 、穴掘り、庭掃除など。最近はガーデニングの楽しみを伝えています。土作り、肥料の必要性。花々の種類によった植え方と育て方の違い。鉢植えではコンテナの選び方、ゴロ土、腐葉土、堆肥などのブレンド。植えつけた後の水やり。やや過剰なガーデニング教育を実施しました。大学生と違い悠真は実に素直に従ってくれます。大学教授の頃は私の教え方が まずかったのか熱心な受講生はなかなか見つかりませんでした。深く反省しています。

(写真左) アブダビのアラブ人新婚さん

(写真右) ビキニ水着美女と泳ぐ
 


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 趣味は地図読み
私の子供の頃から変わらない趣味は、地図を見ることです。私の旅行の楽しみは、事前に旅の地図によるシミュレーションです。そして土地の情報を与えてくれた地図と現実の世界とが同じであるかどうかを確認する喜びです。地図は、様々なメタファとして使われて、比喩表現によって人の心の中に強い心像を描き出す役割をもっています。また地図は、思考過程を図解したものです。それは、発想・創造や問題解決に必要な頭で考えたものを、眼で考えるようにしたものといえます。
 

知識モデル

認知科学や知識工学において様々な知識モデルが提案されましたが、その多くは地図(map)をメタファしています。地図は、現実世界の諸物体や現象を、一定の約束に従って縮尺し、記号や文字を用いて平面上に表現したものです。地図の目的は、空間を表すことでした。「空間」という概念は、人間の意識を強力に支配しています。地図はもともと地形図だけを意味したが、その意味の範囲も拡大されました。英語では、mapですが、その原義はmopであり、それは地図を描いた布のことでした。地図帳はatlasになり、海図はchartになりました。そして、地図に似たものとして、星図、天体図などがあります。また、地図ではないがmapを用いるものとして遺伝子地図(genetic map)、意味地図(semantic map)、関連地図(association map)、認知地図(cognitive map)、概念地図(concept map)など様々なものがあります。どれもが地形図ではなく、図解であるからchart、diagram、graph、tableなど使うべきなのですが、いずれもmapを使います。mapというものが現実世界の諸物体や現象の模型(モデル)として優れているからです。

(写真左上) 日本立体地図  (写真右下) 問題解決のフローチャート

 


 

                                                    

 情報メタファ

地図は、様々な情報メタファとして使われて、比喩表現によって人の心の中に強い心像を描き出す役割を持っています。また地図は、思考過程を図解したものです。それは、発想・創造や問題解決に必要な頭で考えたものを、眼で考えるようにしたものといえます。
人は、絶えず押し寄せる情報の波に「意味」を与えるため、思考や世界観についての心像、すなわち認知モデルを形成します。そして、「心のアーキテクチャ」や「心の理論」などメンタルモデルを評価するものになります。認知モデルは、「組織化」、「構造化」、「把握する」ためのものです。認知モデルは、知識の地図に違いない。たしかに認知モデルの1つには、「認知地図(Cognitive Map)」と呼ぶものがあります。それは、「道探し」と「問題解決の道」のために利用される。地図にすることによって、環境の表現、環境(地図に描かれた環境)の上で移動できます。地図は、ランドマーク、パス、方向、概観(鳥瞰による大局的なreasoning)による問題解決の道を与えてくれます。私は「
知識地図」を研究しました。

(写真左) 知識地図で悩むカメ・アバター
                                    


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   特  技


 

パソコンの修理
その昔、大型コンピュータ(電子計算機)と呼ばれていた時代にシステムエンジニアの経験があります。データベースと情報検索システムを開発しました。プログラム言語はアセンブラやCOBOL、PL/1など懐かしい名前を思い出します。それからSQLやJavaなどの時代になり、SNOBOLやPrologなどAI用の推論処理言語なども経験しました。C言語は好きですがJavaなどオブジェクト指向言語はあまり好みません。
昔流のフローチャートを書き、論理回路を目に見えるような古典的アルゴリズムを好みます。パソコンの分解と修繕は大好きです。UNIX(Linux)などOSも解読できます。ネットワークの構築も大好きです。77歳の老人にしてはITスキルに優れていると自身で
思って
います。

 

 
孫にプログラミング教育 孫にガーデニング修業  
 

自然言語の解読                                  
プログラム言語に対して日本語や中国語、英語やフランス語は自然言語と言われます。自然言語は日常の会話で使われますが、ヨーロッパなど外国に行くと様々な自然言語が使われています。
私は外国語の会話は得意ではありませんが、外国人が喋っている外国語を特定することが大好きです。隣の席で会話を楽しんでいる外国人が喋っているのは、あれはロシア語にちがいない。あのアクセントはスカンディナビアのスエーデン語ではないか。フランス語やイタリア語などラテン系言語、セルビア語やポーランド語などのスラブ系言語など様々な外国語に接する機会がある海外旅行は楽しみです。

       

飛行場と格納庫を作る
宿題の
 
チコちゃん(5歳)に叱られる

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大工と工作                                     
小さい頃から手先が器用でした。一枚の紙から模型を作りました。ゲルマニュームなどで半田小手を使いラジオも作りました。模型鉄道も自作してジオラマで楽しみました。 本箱から机、さらに小さな部屋も改造しました。ガーデニングのデッキやテラスも自作し好みのペンキを塗りました。レンガやブロックもモルタル・セメントを使い暖炉や塀にしました。
平面地図から三次元の立体地図模型を作ることも大好きです。得意のパソコン技術を利用してCGで仮想空間に地図を作ることもできます。


  ガーデニング
これは既に紹介した通りです。特色は自然を生かし、全体が絵画になるような庭です。そのためにはシステム技術による水の管理や様々な草花の入れ替え、そして得意の大工仕事によるガーデンアイテムの自作です。それからライフスタイルも重要です。音楽、芸術、文学、歴史、哲学などの教養と「人生を徹底的に楽しもう」という生活思想。そしてお酒の造詣。最適な場をガーデニングは提供してくれます。


 

小学校のプログラミング教育
2020年から小学校でプログラム言語の教育が始まるようですが誰が教えてくれるのかが心配です。アルゴリズムは論理学と数学の知識が重要ですからロボットを動かすことやゲームを楽しむ事だけでは学べません。物事の仕組み、その処理の流れをフローチャートなどで表現でき図解能力が最も重要です。問題解決の設計図が描けるかどうか。また地図など抽象化された図面から現実世界を再現する事ができるかどうか。何事もまず紙と鉛筆で図解することからプログラミングを教育すべきです。 私は孫のプログラミング教育で、常に地図読みやジオラマなど地形模型を紙や粘土で作らせています。設計図を描き、仕事の段取りを決める。これでアルゴリズムが理解できます。プログラミングは最後の段階となります。


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インデックサーと呼ぶ情報専門職

 

これは特技というよりは私の本質のようなものです。整理整頓、今流いう断捨離ですが、それが大好きなのです。基本的なライフスタイルは「Simple is the best」なのですが、家族や仲間がなかなかそれを許してくれません。情報学的に例えるとインデックサーに憧れていました。

図書索引を作成するインデックサーと呼ぶ情報専門職(索引者)の存在を忘れてはならない。彼らこそ記録情報の専門家の先人であるからだ。ディドロの協力者であるルイ・ジョクールは、一日14時間も働き、その百科全書の4分の1を執筆したという。彼はディドロのような創造的な人物ではなかったが、あらゆる書物を読破し、それらを1つの記録として統合する能力を備えていた。まさにインデックサーが模範とすべき能力の持ち主であった。インデックサーの存在は索引の歴史とともに始まる。索引の起源は古く、ユダヤ教の聖典であるタルム−トや旧約聖書に似たような仕組みを見ることができる。


聖書のコンコルダンス

索引の完成された姿は、16世紀のイタリアにおける聖カルロ修道院における聖書のコンコルダンス(concordance)といわれる。中世の西欧において聖書は、あたかも現代に不可欠な情報ツール(索引システム)であるデータベースと同じようなもので、その当時の宗教に関わる知識をラテン語というプログラミング言語によって記録されたものといえる。そのような聖書を読みこなす修道僧は、今日のシステム・エンジニアやプログラマーに相当したわけである。修道僧は聖書を写本し、そこから情報を得るために数々の工夫と道具を生み出した。その中で最も傑作といえるものが索引の仕組みである。

読書無縁病
大学を退職してから専門書と学術資料を全て捨てました。私の著作である膨大な論文抜きずりや寄贈
書も一切合財処分しました。本箱もロッカーも空っぽになり、知的減量を実現できました。本も読みたくなく本屋も図書館にも行きたくありません。本から解放されて血圧も正常になり健康的な毎日 です。新聞も読みたくありませんが、非常に興味があるのは週刊誌の新聞広告です。見出しの付け方には毎度感心しています。ホームレスが岩波新書を読む活字大国の日本です。私の研究著作『デジタルメディアの情報インデックス・・・』は次のように述べています。


いつの間にか家庭からVHSやDVD、そしてBDも消えてしまい収納ラックも無くなった。さらに本箱も無くなり部屋が見違えるようにすっきりした。あらゆるメディアがWebに吸収されたからだろう。残ったのは一枚の電子の書板(タブレット)だけである。書籍の活字も電子タブレットで読めるようになった。活字という表現は、文字を印刷する書籍のために生まれたのであるが、電子書籍の発展に伴い「活字離れ」がさらに進み、「活字文化」は衰退するのだろうか。どうやら私もタブレット(パソコン・スマフォ)依存による読書無縁病を発症したようです。

                       


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   幸せを呼ぶ神の化身とも思われた。

 

   カメ・アバターの独り言。

                           

 

                                                                                                                      

                                              

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