万巻の書を読み、万里の道を行く keio-wv Kwvz_626
不老長寿の仙人仲間 KWV夏合宿2024年 乗鞍高原 2024年7月26日〜28日 不老長寿の仙人仲間なのか、 87歳の高齢御夫妻は元気いっぱい、溌溂とした姿で稜線を進んだ。 北方向を指さし前穂、奥穂、槍の所在を確かめる。東には八ヶ岳、甲斐駒、北岳を確認する。
南は御嶽山と中央アルプスもハッキリと認知できた喜び。 大昔の数々の山旅の思い出、そして亡き岳友の顔を思い浮かべた。 日程と行程(リーダー小林正衛さんから連絡) 7月26日 宿は、乗鞍高原番所大滝近くの“グーテベーレ”に泊まります。 7月27日 新穂高では中尾高原北アルプス大橋から鍋平園地に行き、休憩、散策して錫杖の眺望を楽しみます。 その後、BC地である平湯温泉平湯プリンスホテルに入ります。 7月28日 現地解散となります。平湯プリンスホテルにはKWVワンダラー約100名が集合しました。
(スライド動画 不老長寿合宿のアルバム。音楽は「旧き友」約2分)
謝辞 ●過去のアーカイブ (1) KWV三田会夏合宿 八ヶ岳唐沢鉱泉 (2) 大町 「過ぎし日、山の想い」 2022年7月22日 https://saitotac.jp/YTkwv2022Face.htm (3) 大町温泉郷 (2班の記録) https://saitotac.jp/YTkwv2022.htm (4) KWV夏合宿 集合 2019年7月25日 https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-13.html
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旅行 山旅 <----- 現在のページ | KWV三田会 | 41キチ会 | keio-wv Kwvz_626 飯能 「龍崖山」 2024年5月25日 名前からすると険しい崖の連なる山を想像する。 龍崖山(りゅうがいさん)は標高246mの小さな里山だった。山友達16名と挑戦した。 3時間強フラフラと徘徊山歩きしてからBC集合地の河原に到着した。 旧き山の友と『Oh, Shenandoah』を歌った。名曲を英語で唸るという文化的山旅であった。 Oh, Shenandoah, I long to see you,
(Tennessee Ernie Fordが歌う『Oh, Shenandoah』) 『Oh, Shenandoah』(オー・シェナンドー)は「Across the Wide Missouri」(広大なミズーリ川を越えて)とも呼ばれアメリカ民謡として有名な曲。 私も大好きで毎夏、後輩の丸山勝昭君と山道や宿で一緒に歌うことが恒例になっている。
2024年5月25日は、丸山君、カメ、間渕君、酒井君そして品川君と合唱した。指揮を取るのは酒井夫人。道行く人から投げ銭まで頂戴した。ありがたい。
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武蔵五日市 「秋川渓谷にKWV大集合」2023年10月28日 2023年の幹事から次のような知らせがあった。 初秋渓谷7kmを正味2時間程でワンデリングする。 トイレは往路十里木駐車場から西青木平橋まで無いという。 武蔵五日市はどこにあるのか、立川から乗り換えるのか、青梅線の拝島駅から行くようだ。 あきる野市・武蔵五日市は東京都とは思えない田舎町だが、そこには秋川渓谷に広がる美しい山里があった。 秋川渓谷は紅葉が始まったばかりだった。清流に沿って老若男女はヨタヨタと歩いた。 約100名のワンダラーは秋川渓谷の河原に大集合した。 武蔵五日市は、まるでワンダラーの町になった。数年振りの再会もある。懐かしい山仲間の顔。安否確認をするかのように昔話に花が咲いた。 2023年秋の三田会ワンダーフォーゲル部の幹事諸君に心から感謝したい。 ありがとう。
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秋ワンデリング 大月 「お伊勢さんコース」 “秀麗富岳12景” として有名なポイントから霊峰を遠望できた。 富士山は秋のススキの穂に囲まれて綺麗である。北斎富士のような和風シルエットで優雅だ。
坂を登ったとこに「天満宮」があった。狛犬がにらむ大神宮でお参りした。 神社参りで御利益を得て、富士山を眺望しながら、至福のひと時をすごし、握り飯を二つ食べた。 ワンデリング「古き友」と一緒に小さな山旅を楽しんだ。 詳しくは、ブログに記録した。 https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/ ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
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KWV三田会 夏合宿 大町温泉郷 (2班の記録) 2022年7月22日〜24日
3年ぶりの夏合宿
アルバム動画 この記録の特色は、写真アルバムを動画にしたことである。画面のタイトル「大町温泉郷」をクリックするとアルバムは自動的に進んでいく。音楽は「古き友」、約3分で終わる。 白馬岩岳
黒沢高原
眼下に木崎湖を望み、南方の右端に中央アルプス、南アルプスの峰々その左端に北岳と甲斐駒、そして八ヶ岳と蓼科山。その左には浅間山、菅平の根子岳から四阿山にかけての稜線が絶景だった。
仁科三湖と称される青木湖、中綱湖そして木崎湖を巡る塩の道を歩いた。 素朴な道祖神のような小さな石碑が置かれていた。
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旅行 山旅 <----- 現在のページ | KWV三田会 | 41キチ会 | keio-wv Kwvz_626 1-1) 過ぎし日の旅 山の想い 55年前の山旅の想い出です。みなさんは若かった。そこには青春と未来があった。山と森、そして我々も実に美しく、輝いていた。浅貝の小屋にあった裏のゲレンデで肩を組み合って大きな人の輪をつくり、大声で歌った『旧き友』。
旧き友 集い語ろうは 過ぎし日の旅 山の想い 森にさすらい 谷をゆき
峰に立ち日を忘れえず 厳かに 変わらぬ汝れが 姿こそ
永き交わりの印しなれ 2018年にKWV浅貝山荘は完成以来60周年を迎えた。初代山荘から三代に渡り、そこは世代を超えた交流の場であった。 浅貝は心の故郷であり、その山荘で歌う数々の山の歌は皆々の想いを共有する絆となっている。
1-2) いざ友よ 歌いあわせん
わが心 深く めでにし かの山の調べを 湧き出ずる その清しき山旅の思いは
集いし 友の心を ひとつに結ばん
右の写真には可愛らしい女子学生が二人、大鍋と格闘している。こんな可愛らしい人は41年にはいない。一年下のモツ(現トンベ・マダム)と真矢らしい。アタエちゃん
ところで真矢は誰と結ばれたのかな。山の娘ロザリアのようでオサゲが素敵だった。
ゲロッパキやブキという食器、そして真っ黒に焦げあがった大鍋、ベトコンかまどで味付けに苦戦したものだ。Kame
1-3) 友を偲んで 仰ぐ雲
薪割り飯炊き小屋掃除 皆んで皆んでやったっけ 雪解け水が冷たくて 苦労したこと あったけ
二枚の写真には様々な年代の顔が見える。浅貝のWCの時のものだろう。2年生だった。
1-4) 北岳の歌
我らが友よ 高らかに いざや 歌わん
リード ハイマート 今こそ目指すは バットレス
鳴れよ ハーケン リード ハイマート
ナタメや赤布を目印に森をさ迷った。藪もこいた。胸まで浸かる雪のラッセルに苦労した。
山あり谷あり、晴れた日も雨の日も、それぞれの道を踏みしめた。山への想いは今でも続く。
五色のゲレンデで100余名にもなる山仲間が両手で肩を組み合い巨大な人の輪を作り、大声で歌ったのはいつも『旧き友』だった。そして『若き血』。
旧き友 集い語ろうは 過ぎし日の旅 山の想い 森にさすらい 谷をゆき
峰に立ち日を忘れえず
厳かに 変わらぬ汝れが 姿こそ
永き交わりの印しなれ
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さらに詳しくは「喜寿記念合宿」を見てください。 半世紀前のモノクロ写真集。亡くなった山友達に捧ぐ。 過ぎし日の旅 山の想い 55年前の山旅の想い出です。みなさんは若かった。そこには青春と未来があった。山と森、そして我々も実に美しく、輝いていた。浅貝の小屋にあった裏のゲレンデで肩を組み合って大きな人の輪をつくり、大声で歌った『旧き友』。
旧き友 集い語ろうは 過ぎし日の旅 山の想い 森にさすらい 谷をゆき
峰に立ち日を忘れえず 厳かに 変わらぬ汝れが 姿こそ
永き交わりの印しなれ 2018年にKWV浅貝山荘は完成以来60周年を迎えた。初代山荘から三代に渡り、そこは世代を超えた交流の場であった。 浅貝は心の故郷であり、その山荘で歌う数々の山の歌は皆々の想いを共有する絆となっている。
わが心 深く めでにし かの山の調べを 湧き出ずる その清しき山旅の思いは
集いし 友の心を ひとつに結ばん
年経れども その思いは今もなお 新しさらば友 歌を送らん遥かなる深山へ 友を偲んで 仰ぐ雲 薪割り飯炊き小屋掃除 皆んで皆んでやったっけ 雪解け水が冷たくて 苦労したこと あったけ
北岳の歌 我らが友よ 高らかに いざや 歌わん リード ハイマート 今こそ目指すは バットレス
鳴れよ ハーケン リード ハイマート ナタメや赤布を目印に森をさ迷った。藪もこいた。胸まで浸かる雪のラッセルに苦労した。
山あり谷あり、晴れた日も雨の日も、それぞれの道を踏みしめた。山への想いは今でも続く。 浅貝の裏のゲレンデで100余名にもなる山仲間が両手で肩を組み合い巨大な人の輪を作り、大声で歌ったのはいつも『旧き友』だった。そして『若き血』。
旧き友 集い語ろうは 過ぎし日の旅 山の想い 森にさすらい 谷をゆき
峰に立ち日を忘れえず
厳かに 変わらぬ汝れが 姿こそ
永き交わりの印しなれ
亡くなった友の笑い顔。
今では遠く 皆な去り友を偲んで 仰ぐ雲 槍から白馬縦走を 皆んで皆んでやったっけ 三俣蓮華で 日が暮れて 苦労したこと あったけ今では遠く 皆な去り 友の写真に眺め入る ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
旅行 山旅 <----- 現在のページ | KWV三田会 | 41キチ会 | [ サイトマップ ] 4-1) 七時雨山 田代平BC 1962年8月2日
あれから半世紀以上になる。陸奥の山々を迷った苦しい想い出。真昼岳は真昼の暗黒と呼んだ。藪漕ぎ、沢下り、とにかく熱く暑くて・・・・・。 田代平BCでキャンプを張っていたら、「あん方は自衛隊なのか」と牧童から素朴な問いかけがあった。 騎馬戦で遊んだ記憶もある。
4-2) 夏合宿 七時雨山 田代平 1962年8月2日
左から3番目にゴダイメが写っている。彼の家は浅草の卵卸問屋だった。その五代目であると自称していた。ハリー・べラフォンテの物まねと歌「バナナボート」が上手かった。卒業後のある日、カメ宅に百科事典「ブリタニカ」を売りに来たことがあった。Kame
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旅行 山旅 <----- 現在のページ | KWV三田会 | 41キチ会 | keio-wv Kwvz_626 [ サイトマップ ] 4-3) 夏合宿 妙高高原 1963年7月21日〜8月2日
カラーによる集合写真は珍しい。2年生の夏合宿。前列の左端に裸のエータンがいる。右後方でコブキと肩を組むのはオバーだ。その横はミドリなのか。その左には五代目とアタエちゃん。間違えたようだ。ミドリの前に座っているがコブキだろう。Kame
4-4) 秋期2年合宿「北八ヶ岳」1963年10月19日〜21日
松宮L.のもと2年生6人でプライベート山行の様なくつろいだ雰囲気。渋ノ湯から高見石・白駒池TSへ。北ヤツを北上し双子池TS〜蓼科山から親湯へ下るコース。今なら白駒池も麦草峠も、更には大河原峠までも車で簡単に登れてしまう。汗を流して歩いた路が隔世の感と言うにはあまりにも安っぽく淋しい。でも「見よ このミドリの黒髪を!」幾星霜を経た現実を見せつけられナットクした。 (T.S、T.Shimada、チビチョン)
4-5) 春合宿 五色温泉 1966年3月1日〜6日
「卒業を前にした五色春合宿家形山ツアの4年生。みんな若かった〜! あっテツの雄姿がある。」
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この格好はドシーに違いない。Kame
亡きドシに捧げた私のベストショット「秋の浅貝の小屋」です! 「谷川岳白毛門から平標まで」と勇んで出掛けた珍山行でした。入社して2年目のS43.11.03〜05 金のない三連休、土志田と涸沢行きを諦め、谷川縦走して浅貝小屋入りを計画したが〜! 仕事を終えての夜行鈍行は超満員で眠れず、土合駅の階段と白毛門入口迄でダウン。急遽浅貝に向かう。ポチャとQちゃんが居て、翌日4人で村木から平標登山。秋晴れの山頂で昼寝して元橋に下山。当初予定通り「白毛門から平標まで」は実行された。静かな小屋で秋を愉しんでいたひとときのショットです。 平標直下の草原でのスナップ:一升瓶片手に“一杯ヤッカ!” みんなで笑い転げました。迷プランナー・ドシの面目躍如たる中抜け谷川岳縦走、心に残る秋の山行だった。 (T.S、T.Shimada、チビチョン)
4-7) 春合宿 五色温泉 1966年3月1日〜6日
約200名の部員が五色温泉スキー場で互いに肩車をして巨大な円を造った。 空に向かい大声で歌うのは「旧き友」や「若き血」だった。五色温泉はぬるい。長湯しなければ風邪をひく。宿の襖は隙間だらけでセンベイ布団だった。合宿最後の夜はパーティー別の寸劇を楽しんだ。カメは毎年演じたのは女役だった。一年生の時は「かぐや姫」。そして二年生の時は「クレオパトラ」だった。クレオパトラの入浴シーンは是非とも露天風呂でと希望したが誰も賛同してくれなかった。Kame ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
旅行 山旅 <----- 現在のページ [ サイトマップ ] 4-8) 春のWK 浅貝 1963年6月14日〜16日 チビの肩に手を伸ばすはアラン・ドロンに似た男、今井だろうか。Kame 正月に中津帰省で参考書代と称して貰った金でオリンパスペンを買った。1年の5月連休明けに満員と入部拒否され、2年から入部して初の大イべントで被写体を選ばず撮りまくった。爾来、記録好きになった最初だ。
最終日、帰京バスを待つ間、庭の白樺の周りでみんなノンビリと過ごす姿のスナップ写真。装備品を仕分けするカメや下級生を尻目に、三々五々ダベリながら初夏の浅貝小屋を愉しんでいる。
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若きワンダラーが200人以上もいて、小屋が本当に若さムンムンで勢いを感じた時代だった。懐かしい限り! (T.S、T.Shimada、チビチョン)
2年合宿 三国山の下り 1963年7月5日
2年リーダー養成 1963年
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旅行 山旅 <----- 現在のページ [ サイトマップ ] 4-9) 雲ノ平 1964年6月4日〜9日 わが想い出の山旅 (T.S、T.Shimada、チビチョン)
S39.6.4〜9 L.古平SL.バラバ 総勢9人「残雪期 雲の平〜裏銀」プラン。大町七倉からブナ立尾根を登り、野口五郎岳を越え積雪の雲の平に入る。 白銀の雲の平で2泊、誰もいない天上の楽園を思い切り散策。
水晶岳をピストンし、馬蹄形稜線を三俣蓮華〜黒部五郎〜薬師岳と回り、太郎平から折立へ下った。
残雪期シーズン前の無人の北ア山中5泊の山旅で山への憧れを一層強くした。前年1月の愛知大薬師岳遭難が生々しかった。 左端の女学生らしき美女はオカルなのか。山の娘ロザリア。古平も真面目に山登りしていた。 オカルの右隣りはバラバ。あの古代ローマ帝国奴隷の顔。またはシチリア・マフィアの顔。後ろに見えるのは槍が岳だ。 Kame 4-10) 朝日、雪倉、後立山縦走プラン 1962年
1年生はマサボンとトンべ2人でした。2日目の五輪尾根でバテて倒れ込み、アコさんに優しく介抱された甘い思いでがあります! トンベ
こんな山男姿の真っ黒な曲線美で我慢していた。あのマサボンがまるで別人のようだ。50年後はネパール人と勘違いされ「ナマステ」と挨拶されている。トンベは眼鏡も似合う好青年で、いかにも塾秀才顔だった。Kame
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旅行 山旅 <----- 現在のページ [ サイトマップ ] 4-11) 八ヶ岳FCの同期メンバー!
4-12) ゴンサクのハーレム
これ本当にあのゴンサクなのか。Kame コメントは照れくさくていやです。敢えて書き込むなら、「これ本当にゴンサクです。 決してカメ創作の合成写真ではありませんぞ。。」位で勘弁してしてください。(佐藤昇君 ゴンサク) 左端で首を横にするのはヌカリだろうか。その下で優し気に座り込む乙女はモツ(トンベ夫人)なのか。右下には弁護士夫人になるマドンナもいる。ゴンサクのハーレムだった。Kame
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旅行 山旅 <----- 現在のページ 4-13) 夏合宿BCあけび平
アタエチャンは二人の男から肩に手を伸ばされて迷惑そう。こんな乙女だったのかーー。 Kame
アタエちゃんも大変苦労した。真っ黒な太ももを露出する強者二人。ワンダーてこんな山賊のような仲間ばかりなの。ヤメターイ。 あれから50年。あの乙女はどこへ行ったのか。1950年代はベトナム反戦歌が流行していた。Pete
Seegerの名曲『Where have all the flowers gone』が懐かしい。
丸太を掴むグゥシー、その横はタルイシだろう。その右横はドラとミドリなのか。ミドリにしては頭がふさふさ。左端は足長のダチョーだろう。右端は後輩だ。タルイシは生きているのだろうか。タルイシよ。もし、この写真を見たら是非とも連絡してほしい。
4-14) マサボンの写真館 ここはマサボン(相川正汎君)から提供された写真館です。 FC 鳳凰三山 1962年5月18日〜21日 入学・入部して1ケ月、まだ仲間の顔と名前が一致しないまま、ワンダー生活が始まった。緊張して夢中で歩いたはずだが、余り記憶にない。夕方遅く南御室小屋近くにテントを張り、薪を焚いて大鍋で初めてのメシをつくった。残った友(今井・小山)亡くなった友(大林、鈴木哲?)去った友(吉沢・村上) 2007年10月にチビチョンの呼びかけで45年振りにFCコースを歩いた。久米、下井、今井、安藤、横山、相川の7名、改めて北岳を眺めた。御座石への下り4時間は長くて再びしごかれた。(マサボン)
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旅行 山旅 <----- 現在のページ [ サイトマップ ] 初めての一般プラン 尾瀬ヶ原 1962年6月1日〜4日 FCの関門通過の翌月、初めての一般プランだった。他に井上、後藤が参加。水芭蕉が見ごろだったが、花を愛でる顔ぶれではない。京都のボンは、すでにおもろかった。(マサボン) 京都の小山芳樹がこんなに童顔でひ弱だったのか。
春の北沢BH 1965年4月
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旅行 山旅 <----- 現在のページ [ サイトマップ ] 4年の夏 北海道合宿 1965年7月 雨が多く涼しかった。長く座っているとお尻が濡れてきて まいったね。(マサボン)
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旅行 山旅 <----- 現在のページ 4-15) コブキの写真館 ここはコブキから提供された写真の貸し切り写真館。
3年のリーダー養成 平山君の事件が起こる少し前の写真です。平山君のパーティーが調子の悪い人が出たということで休んでいました。我々女子パーティーはしんがりでしたがそのパーティーを追い越していったのですが後からパーティーを分けたということで1っ本立てている所に追いついてきた所の写真です。(Kobuki) 平山君の事故は驚いた。マサボンと二人で湯沢の交番に事故について知らせに行った。飛び跳ねるような超スピードで山道を下った。翌日の新聞に「亀谷孝という慶大ワンダー学生が事故死」と報じられた。母親は驚愕。朝日新聞などマスメディアに手を回し事故を封じたのに・・・何故。 誤報だった。母親は、その切り抜き記事を大切に持っていた。(Kame)
1年の春合宿 1年春合宿、歌さんがLでシュラフさんが2年生、1年は私と久米吉とカメの3人でした。(Kobuki) 吉之助はコブキとやがて所帯を持つことなど想像もしていなかった(??)。(Kame)
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旅行 山旅 <----- 現在のページ [ サイトマップ ] 2年の夏合宿 コースは称名の滝から大日岳を経由して室堂に入り、剣・立山から五色が原を経て黒部川に下り、黒部を遡行して黒部に合流する東沢を詰め、野口五郎あたりに出る。そこから針の木・鹿島槍を経て白馬迄10日を超える縦走で荷物も重く、バテながらも良く歩いた。下山後漬物一切れで茶碗一杯を食う程の胃拡張を経験したのもいい思い出だ。(吉之助) シュラフさんL、ネリカンさんSLで久米吉、クリニー、小山君、古平さん、吉岡さんが参加しています。(Kobuki)
シュラフさんはハンサムガイだった。エルビスプレスリーに似ていた。卒業してから東芝勤務の時代、札幌に仕事で行った折、夜の狸小路で御馳走になった。当時シュラフさんは千歳で牧場(?)を経営していると言っていた。体の不自由な弟のためだと言う。あの都会向きのシュラフさんの顔をあらためて見直した。兄弟想いの立派な人物だったのだ。その夜は遅くまで二人で飲んで歌った。となりで蛮声を上げるグループは警察官たち。シュラフさんの大切な知人であると言う。夜の札幌と何か関係が・・。懐かしい50年前になる。(Kame)
5-1) 志賀高原から岩菅山 1964年11月6日〜8日 上野を夜行で発ち、志賀高原から横手山を経て岩菅避難小屋に向かう。寒気厳しく夜雪が舞う。一夜で銀世界、明けて快晴の展望を眺めながら稜線を笠法師から白砂川沿いの秘湯ランプの温泉宿「和山仁成館」へ下る。今週は早慶戦、勝てば優勝で気もそぞろ。
勝った!夕方帰京し優勝祝賀の銀座に行く前に、皇居の芝生でテントを張ろうとして皇宮警察に怒られ、キスリング担いで銀座を2〜3軒ハシゴ。みなへべれけで何処に行ったか、どなたが払ったか、誰も知らない。 酔った勢いで田端の藍原アイちゃんちに全員で転がり込み、また痛飲。全員が大二日酔いで昼まで爆睡。昼飯をよばれて解散した。若気の至りのヒトコマでした。 (T.S、T.Shimada、チビチョン) 2020年2月2日
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旅行 山旅 <----- 現在のページ [ サイトマップ ] 5-2) 前穂に登り、梓川沿いの温泉宿 1970年
陛下は五色の露天風呂でも同じような行為におよんでおり、周囲のブーイングにもひるむことなく、わかったわかったとしりぞけるなどそのういういしいお姿からは想像できないほど成長なさいました。 新太郎君(Okawara)は現在、松井田アルスロンガ農園の御領主です。下記で近況報告。 アルスロンガ農園 http://saitotac.jp/sub7.html
5-3) カメのアイデンティティー
(写真)スキーを楽しむ(1964年)
ぼっとん便所
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幸せを呼ぶ神の化身とも思われた。
カメ・アバターの独り言。
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