"Youth is not a time of life; it is a state of mind"
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。
サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman) 「青春の詩」一節
(薔薇の動画と音楽を楽しみながらお読みください)
「地獄の門」 2024年10月14日
地獄の恐ろしい赤い炎を初めて見た。地面が燃えている巨大なクレーターである。
「地獄の門」はトルクメニスタンに存在していた。
夢の中だと思うが、80歳代の老夫妻はフラフラと地獄に滑り落ちた。
真っ赤な炎の地獄の底で見たものは、一体何だったのか。
1971年の天然ガスの採掘事故以来、真っ赤な炎が燃え続けている。
これは世界遺産でも何でもない。むしろ地球を汚す負の資産といえる。
吹き出したガスの炎が火口に広がる巨大な穴である。イスラム教でも地獄に落ちると火に灼かれのだろう。
「地獄の門」は新たなトルクメニスタンの名所になっている。まもなく燃え尽きるだろう。
夢を2つ見てうなされた。 その一つは地獄に落ちる夢。真っ赤な炎に包まれたクレーター、「地獄の門」そのものである。 いま一つは天国に昇天する夢。「天国の門」をくぐり抜けると若き天女に囲まれた。 トルクメンの踊り子が影絵のように写る。幻想的な夢だった。
人は誰しも苦難を抱えながら生きながらえている。その苦しみから抜け出す手段は信仰だろう。 その信仰のひとつに日本では仏教がある。仏教はこれまで日本人の世界観を支配していた。 信仰とは一体何なのか。まだまだ人生は続く。
動画と音楽 「トルクメニスタン紀行」(4分)
●関連サイト 「トルクメニスタン紀行」 2024年10月4日
「東洋のモナリザ」
2025年2月23日
モナリザの微笑み
男性ならば、「東洋のモナリザ」の前で感嘆の声を叫ぶにちがいない。「東洋のモナリザ」の微笑みに興奮した。
憧れの「東洋のモナリザ」は「デバター」と呼ばれる踊り子の一人だった。美人コンテストのように美を競い並んでいた。
「ルーブルのモナリザ」は謎の微笑みと慎み深い容貌が魅力的であるが、「東洋のモナリザ」は豊満なバストと妖艶な柔らかな腰つきで悩殺する。
軍配はどちらに揚がるのか。もちろん、「東洋のモナリザ」である。神秘で男心を揺さぶりエロチック。クメール文化はオープンで偉大だ。
どの踊り子たちも柔らかな曲線で彫られており、穏やかで優しさを感じさせる。まさに女性美の傑作。パリの踊り子よりもセクシーなポーズである。
「デバター」の豊満な乳房と妖艶なくびれた腰回りを熟視していたら今にも踊りそうで生々しい動き。特に両手指の動きは優雅で意味ありげで悩ましい動きを感じる。
アンコールの王族は毎夜、「東洋のモナリザ」に取り囲まれていたのだろう。
木彫りのようなレリーフ
赤色砂岩で造られたバンテアイ・スレイ寺院の浮き彫りのレリーフは、まるで木彫りの鎌倉彫のようだ。赤い漆を塗りこめて輝きがある。
物語はヒンドゥー教の神話の蛇神「ナーガ」や「シヴァ神」、インドの伝説「ラーマーヤナ」などが細かく彫り込まれている。
柔らかな砂岩といえ細々した飾りの細工は大変難しい。一部の失敗も許されない職人技を必要とするだろう。
アンドレ・マルロー
アンドレ・マルロー(Andre Malraux)はフランス人の作家(1901年〜1976年)であり冒険家そして政治家。彼はド・ゴール政権で長く文化相を務めた。
彼の代表作は『王道』や『人間の条件』がある。そのマルローがこともあろうに「東洋のモナリザ」を目当てにして遺跡盗掘し逮捕されたこともあった。
マルローも「デバター」の豊満な乳房と妖艶なくびれた腰に熱狂したのだろうか。西欧の哲学者や文化人はオリエンタルな雰囲気に酔うことも多い。
私は何度もピンク色した「東洋のモナリザ」を双眼鏡で覗いた。こんなにもセクシーな石像はビーナスにも勝るだろう !!
(続き) 「東洋のモナリザ」の微笑み
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
「愛の塩焼き」 2024年9月1日
「あいのささやき」
朝からワイフに繰り返しつぶやいてきた。
かなり耳は悪くなったようだ。
「あゆのしおやき」
「愛のささやき」と勘違いしている。
「鮎の塩焼き」
夕食の献立の話だった。
三匹の若鮎を買ってきた。天然物は高いので養殖物で我慢した。
大型のよく肥えた鮎だった。こんがりと炭火焼にする。
子供の頃、72年前に富山の神通川で友釣りしたことを懐かしんだ。おとりの鮎は買ったものだった。生きているから慎重に尾に針を付けた。
おとりのメス鮎に若鮎が群がってくる。恋の縄張り根性を熟知した鮎の釣り方。
流れも速いからなかなか難しい。竿さばきをすること1時間。
竿がしなり重くなった。釣れたぞ~~~(唸る)
ぴちぴちした若鮎は友釣りに騙されたのだ。
爺様宅で「鮎の塩焼き」にした。ほんのりと苦味ある若肌。美味かった。
庭のギボウシは満開だ。そしてシュウカイドウも真っ赤な花を付けてくれた。
「鮎の塩焼き」から「愛の塩焼き」へと変わった。(爆笑)
余談
神通川は飛騨では高原川となり、その支流の蒲田川は笠ケ岳と槍ヶ岳を源流とする。富山市は神通川と常願寺川に挟まれている。常願寺川の源流は「称名の滝」。地鉄(富山地方鉄道)の有峰口から入ると、「亀谷温泉」がある。亀谷一族の発祥の地である。これこそカメの本当の故郷。「Turtule Valley」、先祖は地侍あるいは山賊だった。カメは小学校5年生まで富山市の爺様宅で暮らしたので、カメのルーツにこだわっていた。カメの「鮎の塩焼き」は神通川のものであり亀谷の川で育ったものだけである。
----> 亀谷家のファミリーヒストリー KameFamily.pdf (saitotac.jp)
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
「弾丸登山」 2024年8月19日
やめよう 「弾丸登山」
吉田ルートの富士山5合目に立て看板があった。
新しい山岳用語なのか。
世界遺産「富士山」を安全に登るために考えられたキャッチフレーズ。
「弾丸登山」とは、事前に十分な休息を取らず、夜通し登山すること。
徹夜で登り続けると日帰り登山できるという。無謀な登山行為である。
5合目は標高2400mある。そこから山頂(3776m)まで5時間は必要になる。
そして下りでも3時間はかかるだろう。登り下りに8時間は必須。
それも休みなしだ。
欧米の若者達は短パン姿で、日の丸を付けた杖を持ち、ニコニコして山頂を目指した。 落石に注意し、安全に登頂まで行けるように「Good Luck !」と手を振った。
カメは富士山に3回も登頂した経験がある。
1963年5月には、雪渓でピッケルを用いグリセードという雪の斜面を滑る訓練を行い、その夜はテント泊した。
登山パーティーの食当役として、カメは食肉をハエマツの枝に引っかけておいた。冷凍保存のためである。
翌朝になり貴重な食肉は獣に食べられていた。 仲間から強烈に怒られた。
老登山家は5合目にある記念館で、「御来光の写真」の前で写真を撮った。
82歳の富士山登頂記念になった。これが見納めの4回目の登頂になるだろう。
麓には青木ヶ原樹海が広がっていた。こんなにも大自然が残っている。
富士山は世界中の憧れの聖地なのだ。そして平和な日本のシンボル。
大切に守っていこう。
「60年前の弾丸登山」
10名の若者達は一流の登山家を気取った。
1963年(昭和38年)5月末、富士山は五合目から大雪渓に、すっぽりと覆われていた。
足にアイゼンを付け手にピッケルを握りしめて雪の急斜面を登った。
吉田口から雪原をひたすらに山頂めがけて直登した。
雪面を滑り落ちる落石を警戒した。あの頃はヘルメットはなかった。
その年の冬には北アの薬師岳で愛知大生13名が遭難していた。
弾丸登山だった。若気の至りの無謀登山といえる。
"北風、吹きゆく寒い朝も心ひとつで温かくなる"
吉永小百合の歌「寒い朝」を口にし雪の中を進んだ。
1963年、衝撃的だったのは11月のケネディ大統領がダラスで暗殺されたこと。
ベトナム戦争は膠着状態だった。
60年前の遠い昔の山旅だった。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
サーファーを真似る 2024年8月
鵠沼海岸にサーファーが群がっていた。水しぶきは涼しげである。
台風前にしては小波であるから素人でも波に乗れそうだ。
かっこつけてサーファースタイルになってみた。
腰を少し引いてボードに乗る真似。どうにか立ち上がれた。
江ノ島は大きな緑のクルーズ船のように浮かんでいた。
片瀬の砂浜は火傷しそうに熱い。サハラ砂漠を思い出した。
息も絶え絶えに熱帯ジャングルの鵠沼マンションに戻った。
ブドウ棚に鈴なりになった甘いデラウェアを摘まむ。
大輪のヒマワリだけが太陽のように元気に咲き誇っている。
二つのゴーヤは金星のように真っ赤に実りヒマワリを讃えている。ヒマワリは背筋を伸ばし凛々しい姿なのだ。みんなの太陽にならなければと奮い立つ。
子供たちに囲まれて元気をもらった。
鵠沼海岸に夕闇が迫りサーファーは黒いシルエットに変わった。
今宵も冷えた白ワインを飲もう。
酷暑を生き抜き頑張ろう !!
(ナイアガラブドウは豊作になった。
ナイアガラワイン一杯分を密造してみよう。
もう一本分くらいは絞れそうだ。)
80歳の忘年会 2022年12月
江ノ島で夕焼けを眺めた。
12月30日なので大晦日前日の日没。
伊豆半島の天城山近くに、真っ赤に燃える太陽が沈む。
左に江ノ島とタワーが黒いシルエットを描く。
右にピンク色に染まる富士山と箱根の山並みが見える。
丹沢山系を包み込む雲はピンク色に変わった。
暗闇になると江ノ島のタワーがライトアップされた。
夕焼けの余韻が残っていて、相模湾の空はまだ赤い。
まるで富士山をバックから照らしているようだ。
こんな美しい富士山の影絵は見たことがない。
小田原から茅ケ崎まで続く町明かりが点灯している。
江ノ島のタワーは、真っ白なドレスを着飾った美女のようだ。
柔肌を黒のショールで少し隠し、夜会服の優雅な立ち姿。
是非ともワルツを一緒に踊りたい。
江ノ島で「80歳の忘年会」を家族で祝った。
80歳になれば、歳を忘れたい。
そんな願いを込めて、赤ワインで乾杯。
みなさんの無病息災と幸福を祈った。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
鎌倉彫スタンドの灯り
オレンジ色になった室内はホンワカした優雅な雰囲気になった。
灯を主役にした薔薇と花々は落ち着いた色合いになる。
薔薇の香りが庭一面に漂う。真っ白なジャスミンと香りを争っているようだ。
薔薇とジャスミンは豪華な香りの共演を演じてくれた。
シャネル高級香水のナチュラル版といえるだろう。
妖艶な淑女を伴っているようで興奮した。フェンスに絡まる真紅の薔薇は外に向かってアピールしている。 まるでカルメンの髪を飾る大きな赤い薔薇のようだ。誘惑されそうな悩ましいジプシーの真紅の唇。 ビゼー歌劇の『ハバネラ』の一節をつぶやく。
L'amour est un oiseau rebelle
Que nul ne peut apprivoiser
恋は野の鳥
誰も手なずけられない、
パティオの想いで 2020年7月
「パティオ」を造った。
やま葡萄が一杯にしげっている。
小さな玄関とガレージがあった。平垣はブロック積にされ白くモルタルが塗られていた。もう40数年前に造られた白い壁面。殺風景な壁面はそのまま変わっていない。
そこに壁庭を造った。洒落て「パティオ」と呼ぶ。
パティオ(Patio)とは、もともとスペイン語。「中庭」あるいは「裏庭」を意味する。
古家の壁庭をパティオと呼んでもおかしくないだろう。手造りのパティオで過ごす日々は後少しになった。
2021年の春になれば古家は取り壊される。湘南藤沢に住み始めて、約50年にもなる。荒れ果てた庭であっても数々の思い出を残すことができた。手塩にかけた壁庭だった。
喜寿77歳も過ぎてやがて82歳。鵠沼のマンションに引っ越すことにした。
短編のスライド・ショーです。バック・ミュージックは「Shally Garden」。
ラベンダーは「紫式部」 2024年3月
3月3日はひな祭り。
カメの庭のラベンダー祭りでもある。
ラベンダーの丘のように満開になった。
自家製の赤ワインで祝杯を上げた。
紫色の貴婦人達に囲まれて幸福だ。
ほのかな上品な香りが漂う。
ラベンダーは「紫式部」に違いない。
手造りしたエクステリアは素朴であるが自己流の風雅といえる。
屋内のテーブルに飾る真っ赤なポピーは老人の怪しげな動きを見つめていた。
深い紫色の成熟したラベンダー貴婦人を口説いている。
優雅な香りの紫の熟女のラベンダー。
何故これほどまで強く香り放つのか・・・。
花の部分を指でつまんでみた。
その指の香りを嗅いでみる。
「あなたを待っています」
紫式部の恋心が込められている。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
クリスマスの晩餐 2023年12月
クリスマスの晩餐は成城の大介・啓子宅で開催された。啓子の自慢の料理がテーブルを飾った。 ルッコラとラデッシュのサラダ。サーモンのマリネ。ラザーニアと牡蛎のクリームシチュー。デザートはパウンドケーキなど華やかに並べられていた。私の好物のフルコースだった。
シャンペン(CAVA)で乾杯した。CAVAはイスパニア産のロゼワインでありカタルーニャ州で生産されたものだ。CAVAの味わい表示はシャンパン同様にフランス語が用いられる。Brutと書かれていた。絹のような細かな柔らかな泡。
オードブルもなかなかお洒落な小皿に盛られていた。家族の健康と繁栄を祝い、乾杯した。大介のピアノの演奏や悠真の近況など話題は弾んだ。成城にある高級イタリアンレストランの雰囲気だった。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
『老人と海』そしてカメと海 2023年4月
トリックアートは「だまし絵」と言われる。
「だまされる快感」はトリックアートの醍醐味でもある。
そんな錯覚アートを見るだけで脳が活性化されるから不思議だ。
ChatGPTはトリックアートのようなものだろう。
ChatGPTは、カメの二つのトリックアートを見ながら『老人と海』の感想を作文してくれた。
しょせん言葉はトリックに引っ掛かりやすい。それはやがてレトリックになる。
巧みな言い回しを工夫することによって相手の感情に訴えかける。
カメは、ChatGPTの生成レトリックを楽しんだ。
(カメ・ヘミングウェイは老人と海でカジキマグロと死闘した。)
カメからChatGPTへのチャット相談はこのような内容。
『老人と海』は、20世紀アメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイの小説(1952年出版)。 物語はきわめて単純で、老漁師が巨大なカジキを3日間にわたる死闘の末に捕獲するが、 その後にサメに襲われ、獲物を食い尽くされてしまうという話である。 何を伝えたいのか、その主題とは何か ?
(「On the BEACH」古い映画。エバーガードナーに抱き付かれた。)
ChatGPTからの回答は、滑らかな日本語文であった。
この小説は、単純なプロットであるにもかかわらず、非常に深みのある作品です。
物語は、老漁師の84日間にわたる苦闘を描写し、彼の決意と粘り強さを称えるとともに、人生における喜びと苦悩の両方を探求します。
作品はまた、人間と自然の関係についても深く考えさせられます。老漁師が自然との闘いに挑む様子は、
人間と自然の力の格差を示すものであり、自然の摂理に対する人間の限界を象徴しています。
同時に、老漁師のカジキに対する敬意や愛情は、自然を尊重し、自然との調和を目指す姿勢を示しています。
(アルゼンチン首都ヴェノスアイレスのカミニートでタンゴを踊る)
最後に、老漁師がサメに獲物を奪われた結末は、人生の不条理さを象徴しています。
老漁師が苦闘して捕獲したカジキが、最終的にはサメによって食い尽くされることで、人生の努力が報われないことを示しています。
全体として、『老人と海』は、人間と自然の関係や人生の意味について深く考えさせられる作品であり、読者にとって有意義な体験となるでしょう。
カメは、このChatGPTの感想文を読んでトリックアートそのものでないかと確信した。 「だまされる快感」と同時にカメの頭脳は蘇り活性化しだした。
大変なことになった。これで人間は負けてしまうだろう。
続き
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
「第三の知脳」 2023年3月
AI(人工知能)と呼ばれる「ChatGPT」を試す。
知的会話が楽しめるAIチャット「ChatGPT」を使ってみた。「ChatGPT」とは何者なのか。
好奇心があった。使い物になるのだろうか ?
(これは絵画のトリックアート。「ChatGPT」もトリックなのか ?)
「ChatGPT」は、質問などをテキストで入力すると、AIによって回答が自然な文章で出力されるという。
自動翻訳を目的とした自然言語処理システムは、これまでも使ってきたがAIチャットは初めての経験だった。
私は下記の日本語で書かれた文章を入力してみた。
そして「ChatGPT」に対し、この内容を読んで、どう思うかとたずねることにした。
人間からの質問>
3月3日はひな祭り、女雛人形は80歳の老婆になる。
その日を記念して赤坂離宮と浜離宮を貸し切った。
国賓になった気分。
儀仗兵も誰からも歓迎されない正門広場で老婆は寂しげにたたずんでいた。
貧そなジーパン姿は国賓として日本の威厳を損なう。素泊まり国賓なのでドレスコード無視。
改装された内部は豪華で、まるでベルサイユ宮殿のようなフランス様式で煌びやかだった。
(貸し切りの赤坂離宮で老婆は何を考えるのか・・痴呆が怖い)
数秒後に「ChatGPT」から回答が画面に表示された。驚く速さで文字列が映し出されていく。とても人間には不可能な即答なので、いい加減な内容だろうと思った。
ChatGPTからの回答>
この文章には、ひな祭りに貸し切りの離宮で老婆が寂しく立っているというシーンが描写されています。 彼女のジーパン姿は、国賓として日本の威厳を損なうものだと述べられています。 また、内部は豪華で煌びやかだったという対照的な描写もあります。
私は、この文章には、社会的な問題や課題が浮き彫りにされていると感じます。
老人の孤独や、貧困による服装の問題が描かれています。また、豪華な内装との対比も示唆的です。
このような問題を意識し、改善に向けた取り組みが必要であると思います。
これが「ChatGPT」が書き連ねた文章である。目の前に対話相手がいるような雰囲気になった。 まるで生身の人間のように受け答えをしてくれる。それも社会学者のような視点から社会問題として分析しているではないか。しかも、この写真を見ることもなく老人の孤独や貧困による服装などの問題点も指摘してくれた。
「ChatGPT」の性能には驚愕した。AIのアルゴリズムは驚異的に進化したようだ。
これでは学者や教育者など無用な存在になるだろう。
「ChatGPT」は学生諸君のリポート作成に大いに活用される。新たな教育問題。
「生身人間の知脳」と「書籍等メディアの知脳」、そして「AIの知脳」
「第三の知脳」となるだろう。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
「寺侍」森家のルーツを探る 2022年11月
秋晴れの下、『西本願寺』を訪れた。浄土真宗の本山で親鸞の廟堂がある。
親類知人には、信者門徒が多数いるが、私は初めての参拝。
森家の御先祖様は「寺侍」だった。格式ある家柄なのだ。
『西本願寺』など門跡寺院では、武士を雇用していた。
そのサムライを「寺侍」と呼ぶ。
「寺侍」の武家屋敷は簡単に見つかった。『西本願寺』の近く、下京区文覚町384にある。
門構えは隣の近所の京町長屋とは造りがことなる。一見して、武家屋敷のたたずまい。
現在、築300年の武家屋敷は、『京都コンシェルジュサロン』と呼ばれている。
森家はワイフ栄子の母親の実家である。この機会に「森家」のファミリールーツを探った。
栄子の話によると約70年前には森ミツと呼ぶ祖母(1882年生)から昔話をよく聞かされたそうだ。当時は、
栄子の母(寿)の兄夫婦(森重一と文江)も同居していた。
寺侍は、用心棒ではなく経理や維持などの仕事を一切任されていた。
剣術よりも明晰な頭脳によって『西本願寺』を支えてきたという。
森家の寺侍屋敷は約300年に渡り、威厳を持って京都と本願寺の歴史を見守ってきた。
御先祖様の偉業、そして子孫への誇りという贈り物に、二人は心から感謝した。
『京都コンシェルジュサロン』は、森家の寺侍屋敷を継承。
海外観光客のために京都の文化を広報している。現在、閉鎖中である。
http://concierge-salon.com/about.html
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
我が心、ラベンダー畑にあり 2022年7月
Splendor in
the Lavenders
「ラベンダーの輝き」
咲き誇るラベンダーの丘だった。
北海道・富良野にある『ファーム富田』。
大きな丘一面を埋め尽くすラベンダーの斜面。
思わずため息が出そうなほどの鮮やかだ。
優雅な香りの紫色のラベンダー。
何故これほどまで強く香り放つのか・・・。
花の部分を指でつまんでみた。
その指の香りを嗅いでみる。
「あなたを待っています」
空と雲、畑と森、遠くに十勝岳の山並み。
日本にもこんな雄大な景色があったのか・・・。
紫のラベンダーとピンクや黄色の花のグラデーション。思う存分、美しい花々と触れ合うことができた。
ラベンダーの海に溺れそうになる。
何故これほどまで強く香り放つのか。
栄子の帽子とTシャツはラベンダー色になった。
「我が心、ラベンダー畑にあり」
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
オーストラリアの知的遺産 2023年8月
メルボルンの知的遺産は「ビクトリア州立図書館」であると当初は非常に感激した。
「La Trobe Reading Room」と呼ぶ中央の閲覧室には細長いテーブルが放射状に配置されている。
まるで南半球の南十字星のように広がっている。巨大なドーム状のホールが印象的だった。4階から6階まで吹き抜けになっている。
1856年に完成したオーストラリア最古の図書館で、メルボルンの誇る歴史的建造物である。
3万点の蔵書をはじめ、数十万の絵画、新聞、地図と写真、マイクロフィルムそしてデジタルメディアまでが所蔵されている。
市民は無料で利用できる。
新婚カップルは抱き合っていた。
その横で老齢カップルも負けじと老婆の肩に触れる。
北アルプス並みの高山がいきなり海面からそそり立つ。海岸線は断崖絶壁。
リアスと呼ばれる複雑な奥深い入り江はU字谷を形成している。
山頂には残雪があり幾筋もの滝が流れ落ちている。
ノルウェーのソグネ・フィヨルドは雄大な神々しい大自然だった。
同船したインド人はつぶやく。
フィヨルドは神の存在を感じるほど美しい・・・!!。
こんな絶壁に囲まれた湾はヴァイキングにとり絶好の隠れ場であった。
ヴァイキングの語源は、フィヨルドのことをヴィークと呼ぶことから、そこに住む民を「ヴァイキング」と呼ぶ。
英雄伝説『サーガ』はルーン文字によってヴァイキングの偉業を石碑に刻む。キリスト教布教以前のフィヨルドの歴史。
(続き)
ソグネ・フィヨルド 「ノルマン人は出航した」 2024年7月
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
老いらくの薔薇
昭和レトロの語句、「老いらくの恋」に憧れた。
年老いてから誰かに恋をしてしまった。
不倫という行動もとれない、独居老人の心境だ。
「老いらくの恋に落ちてしまった」
「恋に落ちる」、「fall in love」。
英語も日本語も、「落ちる」ことに変わりはない。
薔薇の5月、庭で叫んだ。
「老いらくの薔薇」
年老いてから薔薇に恋する
「薔薇に落ちてしまった」
運命の出会い
薔薇のつぼみ 「少女時代」
赤い薔薇 「あなたを愛してます」
白い薔薇 「私はあなたにふさわしい」
妖艶な香り
ピンクの薔薇 「しとやか」
黄色い薔薇 「あなたに恋しています」
青い薔薇 「夢かなう」
不倫の出会い
満開の薔薇 「私は人妻」
トゲ 「不幸中の幸い」 妄想は続く。
『わが谷は緑なりき』 2024年6月
名女優「モーリン・オハラ」は大家族の娘役だった。
勝ち気な女性役は彼女に適役なのだ。
その映画は、ウェールズの炭鉱町を舞台にしていた。
『How Green Was My Valley』
原題よりも邦文は素晴らしい名訳である。
『わが谷は緑なりき』
1942年に名匠ジョン・フォードが監督した映画だった。
19世紀末ウェールズの炭鉱町で暮らす家族の絆を描いていた。
ウェールズには石造りの小さな長屋が建っている。
モーガン家の男たちは地下の炭鉱から帰るとススで真っ黒な顔ばかりである。
細い小道の先でどんな小さな家にも庭先に白バラが咲いている。
私は麗しの北ウェールズにいるのだと心躍った。
その夜はコンウィ(Conwy County Borough)のエールで乾杯した。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
はじめにUNIXありき 2022年3月
春がやって来た。小さな庭でラベンダーは咲き誇っている。
『はじめにコトバありき』
In the beginning was the
Word
オントロジ、恰好の主題になった。
ギリシア語は「λογος」(ロゴス)。
『はじめにロゴスありき』
εν αρχη ην ο λογος、
『はじめにUNIXありき』
神業のようなUNIX
UNIXは、マルチユーザとマルチタスクを処理する。
「マルチユーザ」は、数名(ユーザ)の要求を一斉にサービス。
「マルチタスク」は、異なるタスク(注文)を同時処理。
OSという「頭脳」
アンドロイド(Android) は、今やスマホ世界で有名である。
GoogleやGalaxyなどスマホ社に搭載されているOS。
パソコン向けOSには、WindowsやMacOSなどが知られている。
全てはUNIXから始まった。
OSは、Operating Systemの略で車のエンジンのようにコンピュータを動かす。
OSの中核はUNIXに基づいている。
プロトコルとインターネット
UNIXは、インターネットの基本であるプロトコルを与えてくれた。ネット(LAN)の連合網、その規約を「プロトコル」と呼ぶ。インターネットのプロトコルは、「TCP/IP」である。
インターネットの生みの親 UNIXは『バベルの塔』を実現した。
インターネットはデジタル世界を統一できた。
デジタル世界に「ロゴス」は存在できるのか。
ラベンダー畑でオントロジをつぶやいた。
--------> 続き『はじめにUNIXありき』
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
モンロー主義という哲学
欲望にしても、無限には得られない快楽に対して敵意を抱くことは、哲学者の態度である。モンローはたくさんの美しい賢い女たちの登場を破滅させた
という。恩師、藤川正信先生はモンロー主義者(マリリン・フェチ)だった。もちろん、米国大統領モンローの唱えたモンロー主義とは違う。
酒乱と淫乱の超後期高齢者
私のデスクトップには永遠のアイドル『マリリン・モンロー』の写真がいつも笑んでくれている。そして葡萄酒を嗜むときに勇気をもらう漢詩がさがっている。
葡萄の美酒、夜行の杯、
飲まんと欲すれば、琵琶馬上に催す。
酔うて砂上に臥すとも
君笑うことなかれ。
[涼州詞]
(ナポリ郊外の地中海の漁村)
書籍という小さなスキーマ
人は世界を理解しようとする時、あらかじめ大まかな略図を持っています。それこそが世界を理解する概念の枠組みであるスキーマとなるものではないのか。その昔、書籍という小さなスキーマを学びとることをリテラシーといいました。確かなことは、その原語のリテラ(Litera)が表しています。それは文字で表された主題は抽象化された概念であり、いかにして実世界の具体像に対応付けて描くかという文字の解読能力のことでした。
『百科全書アンシクロペディア』
ブログやSNSの魅力は、自分が書きこんだ
知恵や知識という記録が、他人に利用されて知識の連鎖ができることです。このような方法によって、些細な個人の暗黙知が形式知へと変換されると『ウィキペディア(Wikipedia)』のような大衆による百科事典が出版できます。
これは、18世紀フランス革命に影響を及ぼしたダランベールとディドロによって完成した『百科全書アンシクロペディア』を超えるような歴史的偉業であると思います。まさに19世紀末の未来小説家H.G.Wellsが夢見た『World Brain』が実現したといえます。これからの時代は、世界中の人々の知恵や知識を如何にして集積し、万民の集合知として利用できるようにするか。そのために個々の 記録の発信者に関わる情報の存在を世界中に形式化と明示化させる仕組みが必要です。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
おくのほそ道 2021年11月
『おかえりモネ』のモネちゃん
最初は三陸海岸の気仙沼を訪れた。
2011年の東北大震災の津波で流された町である。
「あの時、大切な人たちと同じ場所と時間を共有することができなかった」
「相手の痛みを思いやる」
これはモネちゃんの後悔の気持ちなのだ。素晴らしいドラマだった。
彼女のポスター写真だけで満足できた。
銘酒『男山』本店酒蔵は大正時代のレトロ調建物で復元されていた。
気仙沼の復興と繁栄を祈ろう。
隠れ宿『果実の森』
本格的なオーベルジュ( Auberge)である。
そこの源泉かけ流し檜風呂は疲れた身体を癒す、やわらかいお湯であった。
全客室に檜内風呂が完備されていて部屋も綺麗で大きい。料理はフレンチ海鮮といえる。豪華な高級感たっぷりの時間を楽しめた。
貧乏学者夫妻にとり最後の晩餐になるだろう。
隣に普通の日帰り温泉があった。雰囲気は一変し日本の大衆浴場のようだ。
小さな劇場で大衆演劇が公演されていた。劇団「夢の旅」という旅芸人一座。
湯上りのお年寄り達がさかんに拍手している。おひねりを投げ込む姿も見えた。
これが、本当の隠れ宿『果実の森』といえる。
隠れ宿「財産目当ての森」 おくのほそ道 紅葉の旅 -----> もっと見る
お狐さまの贈り物 2021年10月
お狐さま
大河原邸の庭「啓子御苑」には築約百年にもなる古い稲荷神社がある。
長年の風雪にさらされ荒廃した物置のような姿になっていた。
稲荷神社を守護されるのは二匹のお狐さまである。
石造りで立派なお顔で鎮座されている。
稲荷神社の復元
2021年10月に稲荷神社を修繕した。まるで宮大工のような繊細な仕事であった。
新しくなった祀り所でお狐さまは居心地がよくなった。
稲荷神社の復元を祝い、その夜は秋刀魚を豪快な焚火で姿焼きした。
新鮮な辛み大根を降ろし、焼いた秋刀魚にタップリと乗せ、わずかなレモンを絞った。
そして薄味醤油を付け、赤ワインと楽しむ。
秋刀魚の焦げた皮の香り、絶妙な味のハーモニーになる。
大きな二匹の秋刀魚で心底・腹の髄まで染みわたる秋刀魚の饗宴となった。
この秋の味覚はお狐さまからの贈り物に違いない。
さらに秋の味覚は続いた。庭の柿の老木からの恵みである。「禅寺丸」と呼ぶ素朴な柿。見かけはいかにもワイルドで渋そう。
老木に登り、丁寧にひとつひとつをむしり取っていった。
まだ黄色く赤くなっていないが皮をむくとさわやかな甘さである。
秋刀魚の残り味で生臭くなった口に、「禅寺丸」のほんのりとした上品な甘さが広がった。
日本人に生まれて良かった。
アルスロンガ農園の秋の夜は深けていく。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
スマホの「スキーマ」
人は世界を理解しようとする時、あらかじめ大まかな略図を持っています。
それこそが世界を理解する概念の枠組みであるスキーマとなるものではないのか。
その昔、書籍という小さなスキーマを学びとることをリテラシーといいました。確かなことは、その原語のリテラ(Litera)が表しています。 それは文字で表された主題は抽象化された概念であり、いかにして実世界の具体像に対応付けて描くかという文字の解読能力のことでした。人は概念の世界に住んでいる。
(アルゼンチン最南端パタゴニアの氷河 2020年4月)
人間の完成は理性の完成であり、哲学こそが人間を神に導く。
これは哲学者マイモニデスの言葉です。
私にとり耳の痛い話です。未だに生臭い欲望に満ちた後期高齢者。自分が認知症になりセクハラでも起こしたらどうなるのか 、悩んでいます。
尿酸値高騰の警告を受けて、酒種制限に悩みました。中でもギネス黒ビールは厳禁ですが、こればかりはどうも。とても発泡酒やリキュールなどの代用品では我慢できません。あれは、古い革袋(麦酒という概念)に偽物の新しい酒を注ぎ込むという詐欺です。
この不気味な世界では、お酒だけでも本物を楽しみたいものです。本物とされた新聞、放送、出版そして大学など伝統業界の未来は危うい。
小話 その2 ---> もっと見る
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
想い出を飾る 望郷歌『ゴラール』 2021年7月
ゴラールとは、『Góralu』と綴るスロヴァキアのタトラ山脈地方の素朴な望郷の謡です。
英語では『Highlander』、山の民を意味します。
Góralu czy ci nie żal
Góralu, czy ci nie żal
Odchodzić od stron ojczystych,
Świerkowych lasów i hal
I tych potoków srebrzystych?
Highlander do you not regret
Highlander, do you not regret
Abandoning your paternal homeland,
Spruce forests and chalets
And the silver streams?
2001年〜2004年までスロヴァキアを中心にチェコとオーストリアを調査旅行しました。20年前の懐かしい想い出です。アルバムを整理しながら『Góralu』を独唱しました。親切で素朴な人々の顔を思い浮かべながら みんな、どうしているだろうか・・。
スロヴァキアの魅力は、エスニックグループが仲良く暮らしていることです。
最大のグループは、ハンガリー人、ウクライナ人、ドイツ人、ポーランド人、チェコ人、
クロアチア人、ロマ人、そしてユダヤ人などです。
それぞれ様々な民俗的文化を誇っています。
(スペイン・バルセロナのサクラダファミリアの夜景)
興味あることは、カトリック、プロテスタント、フス教徒、ユダヤ教徒、ギリシャ・カトリックなどの宗教が混在し、仲良く共存していることです。
東部の小さな村に行っても、そこにはカトリック教会があり、ルシン人のためにはギリシャ・カトリックの教会があることです。
東方教会であろうが、フス教徒のプロテスタントであってもそこには宗教紛争はありません。
ユダヤ教のシナゴーグもありました。ロマ人部落には彼らのためのカトリック教会もあります。
バルカン半島のような宗教と民族の紛争は存在しないようです。
歴史的にスロヴァキア人とその国土は、外国人に長らく支配されても素朴に、
柔軟に様々な文化と宗教、そして人々を受け入れてきたのです。
スロヴァキアの人々と過ごした日々を想い出し、懐かしい出会いに感謝します。
20年前の想い出を飾りました。 スロヴァキアに祝福あれ !!!
下記をクリックすると望郷歌『ゴラール』が流れます。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
菜の花畑と雪の富士山 2024年2月
"菜の花畑に 入り日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
冬のひかり かかりて におい淡し"
(『おぼろづきよ』一部改ざん)
菜の花と真っ白な富士山
季節を告げる絶妙なハーモニー。
ここは湘南二宮にある「吾妻山公園」である。
標高136mの展望台下は一面、菜の花畑だった。
黄色な花が身の丈程まで大きく咲き誇っていた。
遥かに雪を頂く富士山が美しい裾野を広げている。優雅でなだらかな美しい曲線である。
左には冬の太陽の下に真っ青な相模湾の海が穏やかに光り輝いていた。
二宮から国府津、小田原から真鶴半島そして伊豆半島の湾岸まで眺められる。反対方向には江ノ島から三浦半島まで広大な海岸線を描いていた。あれが江ノ島の灯台なのか・・
真ん中は、大観山、明神ヶ岳と湯煙の大涌谷など箱根の山々だ。
右には、足柄の金時山が小さく盛り上がっている。
中央は、ランドマークとなる名峰「富士山」。まさに世界一の美貌だ。
右方面は、秦野。その後ろには塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳そして阿夫利神社の大山まで見えた。50数年、湘南に住んでいるが「吾妻山」は初めての場所だった。
菜の花が群生し黄色のジュータンを引き詰めたようになり雪の富士山に春を告げていた。
2月の吾妻山公園は、3日前の大雪の影響もありまだ冬景色だった。
灌木や芝生に緑は見られないが、湘南の海はサンサンと降り注ぐ光に輝いていた。
あちこちに水仙が群生している。春になると真っ先に咲くナルシスト。桜並木が山道を取り囲んでいるので、4月の花見になると賑わうことだろう。
ソメイヨシノの芽は膨らんできたが、ケヤキなど大木はまだ丸裸で寒々としている。まもなく春本番。木々は新緑の支度に忙しい。
「孤高清節」 こんなコトバを思いついた。
芝生の中央公園の丘に、見事な立ち姿の大木が鎮座していた。樹齢100年になるのか、深いシワのような木筋がある。名前は分からない。 緑の葉は一枚も残っていないから枯れ木のようにも見えるが、まるで古老の貫録がある。枝ぶりがバランスよく青空と雲を背景にし堂々とした風貌を備えている。「孤高清節」こんなコトバを思いついた。端正な輪郭が浮かび上がる。 老大木であっても力強い品格。湘南の海と箱根と丹沢の山々、そして富士山を守護している野武士のようだ。 年老いても、このような清爽な威厳。そして締まった姿勢を見習うことにした。
仙石家の鎧武者 2023年11月
浅間山は、険しい剣が峰の後ろでなだらかな白装束をまとっていた。
まるで真っ白なマロン風味モンブランのような美味しい山姿。
北西方向には白銀の北アルプスの峰々が遠望できた。
槍ヶ岳の穂先は鋭く真っ白、キレットを挟み北穂高もクッキリと見えた。
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉(し)くによしなし
島崎藤村の名詩『千曲川旅情の歌』をつぶやく。
小諸城址はまだ紅葉が残っていた。
戦国時代の鎧武者に囲まれた。小諸藩の仙石家の家来であるという。
仙石家は、美濃国出身の仙石秀久が豊臣秀吉のもとで大名になり、
江戸時代はじめに小諸藩を治めた戦国大名だった。隣町は上田、そこは曲者だった真田家の領地。
火縄銃を持った武者から使い方を聞いた。
火薬を銃口から詰めて、銃弾をこめる。
そして火縄から手元の火薬に火を付ける。
これだけの操作だけでも1分程度必要。
しかも火縄は雨風に弱い。雨天や嵐の日は火縄銃の戦は不可能だ。
武田騎馬軍団を破った長篠の戦いは、火縄銃で勝敗が決まったというが本当だろうか。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
カモメの水兵さんに襲われる 2023年3月
まるでヒッチコック映画『鳥』を思わせるような無数の水鳥が襲ってきた。
近づくと優しいカモメの姿だった。
エビセンを餌にしたところ飛びついてきたのだ。
可愛いカモメの水兵さんのようにも見える。
真っ白なセーラー服が実に良く似合う。
優雅な飛行姿はとても美しい。
翼を広げる、空中に一瞬たたずむ、餌を摘まむ、
両足を出して着地する、様々なポーズを形作ってくれた。
船のまわりは、カモメの水兵さんの演芸会の海になった。
(恐る恐る、エビセン餌を差し出すとカモメ水兵さんは摘まんでくれた。手乗りカモメの名演技だ。)
島原半島・普賢岳の向こうに夕日は輝きながら沈んでいった。
九州・有明海でカモメに歓迎された船旅を楽しんだ。
傘寿の庭に薔薇が咲いた 2023年5月5日
"薔薇が咲いた,
薔薇が咲いた、
真っ赤な薔薇が、
寂しかった傘寿の庭に
薔薇が咲いた"
傘寿の80歳になった。
父親は35歳で亡くなったから二倍以上も生きながらえてきた。
「老人と薔薇」
酒臭い80歳の老人と薔薇。
アンマッチ、アンバランスでとても絵にならない。
薔薇に関する知識は、はずかしいくらいに乏しい。
そもそも「薔薇」という漢字を書けないのである。
「バラ」と片仮名で綴れば楽なのだが格好つけて「薔薇」にしている。
薔薇コンプレックスの証といえるだろう。
満開になり美を競う薔薇は我慢して相手になってくれた。
これでもか、これでもか、近づいてきた。芳醇な香りに魅了された。
デビッド・オースチンの八重咲は上品な姿でせまってきた。
幾重にも重なった花びらがピンク色に染まり今にも抱きつかれそうになった。
妖艶な香りが漂う優雅な時間だ。
薔薇を独り占めにした。薔薇のハーレムになった。
悩ましい真紅の薔薇に誘惑されそうになった。
まるでカルメンの髪を飾る大きな赤い薔薇のようだ。
「夕暮れが一番綺麗ですね」と
薔薇貴婦人に尋ねた。
「今宵は夜通しお付き合いくださいね」と
口説いてみた。
子供の頃から草花が好きで、自然を小さな遊びの空間に変えてきた。
雑草でも薔薇でも差別なく、何でも愛おしい。
動画「傘寿の庭に薔薇が咲いた」(約5分)
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
紅葉の米子大瀑布 2023年10月
紅葉が真っ盛りのカルデラ絶壁に二つの滝が流れ落ちていた。水しぶきは霧状になびいて巨大な屏風の錦絵のように遠望できた。
二条の真っ白なレース
「米子大瀑布」は、信州・須坂の山の中にあった。日本の大瀑布といえば、「日光の華厳の滝」を思い出すが、「米子大瀑布」とは、いささか大げさな表現である。水量は少ないせいか太い糸のような流れが落ちている。落差89mの「不動滝」、その後ろには落差82mの「権現滝」が見えた。二条の真っ白なレースのようにも見える。小さくても絶壁が広いので、なかなか迫力があった。
熊よけの小さな鐘
老夫婦は紅葉に誘われてヨタヨタと登り始めた。熊よけの小さな鐘が道標にぶら下っていた。80歳代の老婆が襲われたそうだ。熟女に熊は振り向きもしないという。熊の相手は人間とは逆なのだろう。しばらく渓谷を進むと吊り橋があった。人数制限があり一人ずつ渡れと書いてある。一歩一歩慎重に重い足を渡す。清流が岩に当たり冷たそうだ。
修行者の「みそぎ場」
米子大瀑布は、四阿山の火山カルデラの絶壁に流れ落ちる。四阿山は上州の高峰山や黒斑山など浅間山系から眺めるとなだらかな独立峰に見えるが信州・須坂からは切り立った絶壁になっている。根子岳に通ずる登山道も見つけた。菅平の真後ろに米子大瀑布は位置しているわけだ。
米子大瀑布は信仰の山である。二つの滝の間に不動尊(奥之院)が祀られている。滝は古くから修行者の「みそぎ場」になっている。日本の山岳信仰は、素朴で清く、どこでも自然と一緒で厳かである。真っ赤に燃え黄色に飾られた米子大瀑布は綺麗だった。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
愛とは豪華絢爛なもの
彼女は待っていた。
深いスリットが入ったチャイナドレスを着て。
刺繍が施されたオレンジ色でとても素敵な衣装。
Love Is a Many Splendored Thing
愛とは豪華絢爛なもの
甘い歌の文句を並べてみた。そして映画『慕情』のシーンを思い出した。
「ヴィクトリア・ピーク」に登った。
眼下に無数の摩天楼が香港島と九龍半島に広がっている。
日没前の夕日が高層ビル群の後ろに輝いている。ロマンチックな気分になった。
古びたスターフェリーから香港の夜景を楽しんだ。映画と同じ景色に感動した。
デジタル化とガラパゴス日本
デジタル化は昔から研究してきた大好きな主題。今頃になり日本政府は本気に取り組むようです。残念ながら遅すぎたと思います。お隣の韓国と中国を手本にするようで間抜けと笑われています。
日本人は手書き、漢字カナ文字そして日本語にこだわり続けた。日本語は文法的にIT向きではなかった。ただし概念化という最も人間的な思考文法で日本語は世界一です。
この世界一であることが、かえってガラパゴス化の原因になったと思います。
もし日本語と日本文化が安っぽいものであったら、デジタル化に有利だったという皮肉な結果になりました。
デジタル世界は疑似英語によるIT言語の世界。単純な記号でアルゴリズムを複雑に組み込む。日本語は複雑な記号を使い豊かに表現します。その表現の中にアルゴリズムも同時に組み込もうとする。欲張った世界でも稀な自然言語と言えます。
アルファベットなど記号は単純な組み合わせによって英語文法というアルゴリズムが成り立つ。デジタル世界はアルゴリズムの集合体なのです。
アルゴリズムを素早く解読できるシンプルなIT言語がなによりも重要です。
まず日本のデジタル化は、ガラパゴス日本語を捨て去りIT言語に慣れ親しむ。
おそらく、みなさまは猛反対され、とてもそんなデジタル世界に生きていけそうもありません。それで良かったのです。残りの年月は典型的なガラパゴス的日本人として暮らし大往生してください。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
イコンという聖像画
アイコン(Icon)をクリックする。
パソコンやスマホでも当たり前の操作になっている。
イコン(Icon)は正教では聖像や宗教的な物語を伝える聖像画になる。
正教会のイコンは平面画であり、板絵やフレスコ画からモザイク画まである。
ブルガリアのリラ僧院は天上から壁面までイコンだらけだった。平面画なので薄気味悪い顔になる。キリスト教の絵物語・紙芝居のような役割を果たしていた。あまりにも色彩豊かなイコンである。 大昔の人々は文字が読めなかったからイコンからキリスト教を理解したのだろう。
イコンは絵文字だった。
モーゼの十戒は偶像崇拝を厳しく禁じている。その経典を元にしてユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教も偶像崇拝を禁じた。
「イコン」は偶像ではないか ?
東ローマ帝国は8世紀から9世紀前半まで「イコノクラスム」を実施した。
イコノクラスムとは、「聖像破壊運動」のことである。
正教教会はイコンだらけである。イコノクラスムを生き延びて独自に進化してきた。カトリック教に見られるマリア像や磔のキリスト像という立像は、正教では珍しい。
それにしても過剰なイコンの氾濫といえる。
イコンだらけの正教会は劇場のような雰囲気である。仏教やヒンズー教なども仏像など偶像を設置するが、こんなに賑やかではない。
なぜ宗教はイコンが必要なのか。布教はバイブルとコトバだけでは難しいのか。
イコンという紙芝居はキリスト教の布教にとり必要だった。
耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ
延命は 不要と書いて 医者通い
三時間 待って病名<加齢>です
無農薬 こだわりながら 薬漬け
景色より トイレが気になる 観光地
誕生日 ロウソク吹いて 立ちくらみ
この頃は 話しも入れ歯も かみ合わず
目には蚊を 耳にはセミを 飼っている
留守電に <ゆっくりしゃべれ>と どなる私
いい夫婦 今じゃどうでもいい夫婦
名が出ない(あれ)(これ)(それ)で用を足す
つぶやくのは老人特有の独り言。こんなことは十分に自覚している。なんとなく悔しい内容ではないか。馬鹿にしているのか。笑い飛ばそう。
(オードリーヘップバーンに抱き付かてスクーターに乗った。)
なんとかしてコロナ感染を生き延びて、安らかに大往生したいが・・。80歳近くまでも頑張ってきた。コロナ外出自粛にも耐えてきた。我慢、我慢の連続で苦しい日々だった。
探し物 やっと探して 置き忘れ
LED 使い切るまで ない寿命
クラス会 食後は薬の 説明会
立ち上がり 用事忘れて また座る
無農薬 こだわりながら 薬漬け
景色より トイレが気になる 観光地
妻旅行 おれは入院 ねこホテル
これ大事 あれも大事と ゴミの部屋
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
80歳の新婚旅行
初婚なので二回目のやり直しの新婚旅行といえる。
約60年前の最初の新婚旅行は、瀬戸内海の小豆島だった。
そして、80歳になった新婚旅行は、南太平洋のニューカレドニア島だった。
「天国に一番近い島」
ニューカレドニアは「天国に一番近い島」と呼ばれ、50年前に小説の舞台になった四国程の南の島。
小説の内容は、よく知らないが女流作家による名作なので映画化もされたという。
何が天国なのか、少女趣味の妄想話だろう。
(メトル島は全島がビーチホテル。水上コテージはサンゴ礁の上に建っている。南国の夕焼けは美しい。)
「ニューカレドニア」は憧れの島だった。その「カレドニア」とはラテン語で「スコットランド」を意味する。
確か、カナダで「ノヴァ・スコシア」と呼ぶ半島を訪れたが、これはラテン語の新スコットランドのことではないのか ?
フランス語の読みでは「Nouvelle-Caledonie」という。
東京国と越南国 2023年9月
ハノイ 「東京城と下龍湾」
トンキンは東京と書く。ハノイはその昔、「東京城」と呼ばれていた。
昔のベトナムは漢字の国だった。トンキン湾は東京湾になるから親しみやすいが、現在のベトナムはラテン文字の世界だ。
年配者も含めてベトナム人は漢字を全く知らない。フランス植民地の政策でラテン文字とその変形を使う。
近くには、アラビア文字を忘れたインドネシア(オランダ植民地)やマレーシア(イギリス植民地)もラテン文字を使う。
イスラム聖典コーランがラテン文字で綴られているから惨めだ。さらにトルコまでもラテン文字を使うから哀れだ。
カンボジアとラオスは同じくフランス領インドシナであったが、固有の文字を今でも使っている。民族のアイデンティティーを大切に固守。
東京国を「安南」とも呼ぶこともある。安南人はフランス本土や植民地でも多く見かけた。安南兵の麦わら帽子姿を覚えている。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
男女関係から外交関係へ 2019年8月
これは外交関係の話です。お隣の韓国と日本との関係について考えてみました。
未来から歴史を振り返ると、現在は民主主義の終焉の時代であるそうです。共産党独裁の中国やプーチン強権のロシアなどは専制帝国が復活したように思えます。 まるで経済制裁のように韓国を「ホワイト国」から除外するという愚策を止めてください。いまや日韓は経済的にも産業構造から見ても運命共同体なのです。しかも韓国は極東で民主主義国家として躍進しています。
北朝鮮、ロシア、中国など全体主義的な専制帝国と異なります。これらの「ブラック国」と全く違う法と人権を守り自由を尊ぶ民主主義国家なのです。まさに「ホワイト国」ではないですか。
日韓の関係とは外交関係というより男女関係に似ています。時には嫉妬、時にはひがみ、時には喧嘩、時には熱烈愛。これらは親子や兄弟や友人、恋人同士など親しい人間関係でしばしば起こることです。
極東に位置した日韓は歴史的にも文化的にも、民族的にもさらに言語的にも昔から密接な関係がありました。近世になり半世紀程、日本の帝国主義的な支配を受け、朝鮮半島の人々に屈辱を与えたという不幸な時代もありました。朝鮮民族も日本民族も未来志向で仲良く極東で民主主義国家として共存すべきです。
関連する記事
● 韓国シソーラスの旅 2010年6月
● 韓国で著作が翻訳出版された 2010年
名月とお姫様(コンジュニム) 2024年4月
名月の夜に「コンジュニム」と過ごす。
「コンジュニム」とはお姫さまのことである。
「水原華城」の城壁は夕闇の中、美しくライトアップされていた。
名月にしては大きすぎるが、その代りとなる黄色のバルーンが浮かんでいた。
幻想的な城門に老夫婦のシルエットが浮かぶ。真っ白な姫路城と違った美しさがある水原の城塞だった。
コンジュニムは楼閣に座り、数名の女官達に守られていた。
伝統的な韓服を身に着けるチマチョゴリの美女達は綺麗だ。
髭面の爺様はニタニタと見つめていたら、女官頭からぎびしい目つきでにらまれた。
慶尚南道の晋州市で「晋州城(チンジュソン)」を訪れた。「義妓祠」を詣でるためだ。
文禄・慶長の役(1592〜1598年)時代、日本の武者を抱きかかえて南江に身を投げて殉死した「義妓論介」を祀っている。
壬辰倭乱(イムジンウェラン)と呼ばれる日本の侵略。豊臣秀吉は極めて評判悪い。彼女は妓生(キーセン)で絶世の美女であったに違いない。晋州のジャンヌダルクといえるだろう。
「義妓論介」に抱き付かれたような虚ろな夢を見た。
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
お断り
このHP(ホームページ)とブログ(blog)の内容について、閲覧されたみなさまから不評・不満など悪評が多々ありました。いい加減な内容であり、なかには反宗教的、反政府的言動もある。これで元学者として恥ずかしくないのか。自分勝手な内容で世間を扇動するような妄想もある。さらに誤字脱字だらけである。そこで弁解です。
私は80歳近くの後期高齢者、しかも認知症予備役といえる情けない老人です。ささやかな過去の栄光だけで余生を過ごしております。全ての内容は「はったり」や「カラ元気」による老人特有の虚ろな盲動によるものばかりです。みなさま、宜しくご容赦願います。
著作権について
このWebサイトに掲載されている記事、写真、イラストなどの著作権は、斉藤孝が所有していますから「私的使用」または「引用」など著作権法上認められている場合を除き、斉藤孝に無断で転載、複製、放送、公衆送信、翻訳などに利用をすることはできません。宜しく配慮願います。
Copyright(C) 斉藤孝のガーデニング All Rights Reserved.
幸せを呼ぶ神の化身とも思われた。
幸せを呼ぶ神の化身とも思われた。
カメ・アバターの独り言。
下記の項目をクリックして下さい
ホーム | 独り言 | 論評 | 小話 | 旅行 | 御挨拶 | ガーデニング | ブログ | English | YouTube
小話 <---- 現在のページ ----> [ サイトマップ ]
小 話