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     Nice to meet you !!

 この一言で世界中に友達ができました。 

        動画「傘寿の庭に薔薇が咲いた」(約5分)

    (薔薇の動画と音楽を楽しみながらお読みください) 

             


    歴史・民族・言語

世界は生き生きとした姿を示してくれます。私の海外旅行の楽しみは、「歴史・民族・言語」の3点セットです。歴史的場所で土地の素朴な人々に会い、彼らが喋る言葉を聞くことです。買い物と食べ物にはあまり興味がありませんから、厳冬の観光客が少ない時期が私の好みに適しています。

   

        神は偉大なり(アッラーフ・アクバル)

カタールのドーハやエミレーツのドバイは今や巨大なハブ空港となり、世界中の国々へも飛ぶことのできる便利なゲートウェイとなりました。イスラエルの若者は頭にキッパと呼ぶ小さな帽子を付けていました。「シャローム」と呼びかけると嬉しそうに微笑んでくれました。

        

私が3回もイスラエルに行きましたというと、貴方はユダヤ人ですかと逆に質問してきました。今度は「サッラーム」とアラビア語で、続いて「神は偉大なり(アッラーフ・アクバル)」と答えると大笑いになりました。

          

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 ウェールズ 『わが谷は緑なりき』 2024年6月19日

名女優「モーリン・オハラ」は大家族の娘役だった。
勝ち気な女性役は彼女に適役なのだ。
その映画は、ウェールズの炭鉱町を舞台にしていた。

『How Green Was My Valley』

原題よりも邦文は素晴らしい名訳である。

『わが谷は緑なりき』

1942年に名匠ジョン・フォードが監督した映画だった。
19世紀末ウェールズの炭鉱町で暮らす家族の絆を描いていた。

ウェールズには石造りの小さな長屋が建っている。
モーガン家の男たちは地下の炭鉱から帰るとススで真っ黒な顔ばかりである。
細い小道の先でどんな小さな家にも庭先に白バラが咲いている。

私は麗しの北ウェールズにいるのだと心躍った。
その夜はコンウィ(Conwy County Borough)のエールで乾杯した。

(『わが谷は緑なりき』の要約動画。約10分)

初老となったヒュー・モーガンは生まれ故郷のロンダの谷を出ようとしていた。ヒューは谷が緑だった頃、一家みんなが揃って幸せだった少年時代をしみじみと回顧する。

『わが谷は緑なりき』(How Green Was My Valley)は、1941年のアカデミー賞最優秀作品。ジョン・フォード監督作品。ウェールズ地方のある炭坑町を舞台に 善意と誠実さを貫いて生きる人間の姿を描いた。どのシーンをとっても心に染み入る忘れられない場面だった。ありがとう。

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 スコットランド 『ロッホ・ローモンド』 2024年6月23日

センチメンタルジャーニーになった。エディンバラは38年前に訪れたことがある。 1986年にエディンバラ大学で開催された学会に参加した。
あの頃は町中が煤で真っ黒なので綺麗な印象を持てなかった。

帰り道、インバネスと北海油田で活気にみちたアバディーンを廻った。
ハイランド地方は氷河期にできた湖水が点在しいる。

  『ロッホ・ローモンド』

ロッホ・ローモンドは、スコットランド西南部のローモンド湖を歌ったスコットランド民謡。 原題は『The Bonnie Banks O' Loch Lomond』。

「ロッホ(loch)」とは、スコットランド方言で「湖」を意味する。

  "そこには美しき岸辺があり
  そこには美しき丘が広がる
  ローモンド湖に太陽の光輝く
  過ぎ去りし陽気な日々
  美しき岸辺 美しき丘 ローモンド湖"

(『ロッホ・ローモンド』の動画 歌詞とスコットランド風景。約10分)

バグパイプの哀愁ある音色を聴き、シングルモルトを口に含む。
泥炭(ピート)の煙たい香りとアイラの海の風味がひろがる。

(日本名「蛍の光」をスコットランド衛兵がバクパイプで演奏する。約5分)

  "Should auld acquaintance be forgot,
   and never brought to mind ?
   Should auld acquaintance be forgot,
   and days of auld lang syne ?"

  "旧友を忘れ 思い起こすことがなくても良いのか?
   昔懐かしい日々を忘れても良いのか?"

亡き友のためにもう一杯、シングルモルトの杯を酌み交わした。

背を真っすぐに姿勢を正し頑張ろう。スコットランド衛兵のように・・・

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イングランド   「ストーンヘンジ」  2024年6月25日

遺跡のカラスから笑われた。
こんなデカい岩を見に来て何が楽しいの ?? (カアカア)

巨石が並んでいるだけである。太陽崇拝の祭祀場なのか・・。
岩を積み上げた巨大なピラミッドやインカ遺跡などに比べると寂しい感じだ。
英国に似つかわしくない遺跡といえる。アーサー王伝説なら良かったのに・・・。

ブリトン島にも巨人が住んでいたのか ?
私は右の手平に巨石をのせてみた。
軽いもんだ !!

ストーンヘンジ(Stonehenge)は、イギリス南部・ソールズベリーの草原に残っている。
馬蹄形に配置された巨大な門の組石(トリリトン)を中心にして直径約100mの円形に高さ5m程の30個の立石(メンヒル)が配置されている。環状列石(ストーンサークル)になっている。

古代の天文台なのか ?

重い玄武岩。組み立てるには巨大なクレーンが必要になる。
誰が造ったのか、その目的は何であったのか、謎である。

無機質な巨石群なのでロマンはなさそうだ。謎の歴史だけを語ってくれる。
ブリタニアは、古城遺跡だけが魅力あるロマンを語ってくれると思う。


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コッツウォルズ  「ライムストーン」  2024年6月22日

蜂蜜色の石である。黄色みを帯びた石灰岩。コッツウォルズ (Cotswolds)の建物群は「ライムストーン」一色だった。 そこに緑のツタが絡まり白いバラも満開だった。これこそ英国古民家なのだ。憧れの蜂蜜色の石で造られた長屋。 ウイスキーとエールが飲みたくなった。そして歌は「グリーンスリーブス」だろう。

(Greensleeves - tin whistle version by Leyna Robinson-Stone)

英国は田園が美しい。高い山は少なく緑の丘陵がどこまでも続く。
どこに麦畑があるのか、野菜畑を見つけることは難しい。ビニールハウスやソーラーパネルなど全く見つけることはできない。景観保護は厳しい。
緑の草原を仕切る石垣(石の柵)が森の端まで連なる。羊や牛などがのどかに牧草を食べている。 この石の柵は平たいスレート状の石を積み上げたものだ。木製の柵と違い雨風にも強く、苔むして風情がある。

(ウィンダミア湖を遊覧した。草原にはウサギに注意とサインがある。お屋敷から古びた家まで、昔の古民家のたたずまいを大切にしている。)

「ピーターラビット」が飛び出してきた。
湖水地方(Lake District)は、なだらかな渓谷沿いに大小無数の湖が点在する。 風光明媚な保養地でもある。小さなB&B(民宿)がどこにでもある。
牧草地を横切る小道のサインに「ピーターラビット」に注意と表記されていた。原作者「ビアトリクス・ポター」に敬意を表している。

ここは、偉大な自然詩人「ワーズワース」の故郷である。
彼は湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書いた。「ワーズワース」は、詩とは人間の心のように不滅のものであるという。湖畔の水仙について有名な詩を書いている。
大好きな詩である。うろ覚えだがコトバにした。そこには私の青春があった。

   I wandered lonely as a cloud
  That floats on high o'er vales and hills,
  When all at once I saw a crowd,
  A host, of golden daffodils;
  Beside the lake, beneath the trees,
  Fluttering and dancing in the breeze.

  谷間をただよう雲のように
  一人さまよい歩いていると
  思いもかけずひと群れの
  黄金に輝く水仙に出会った
  湖のかたわら 木々の根元に
  風に揺られて踊る花々

ウィンダミア湖を遊覧した。 Windermereはイギリス最大の自然湖であるという。箱根・芦ノ湖と似た雰囲気だった。
船上で『The Water Is Wide』を口ずさんだ。音痴だからはずかしい。

  The water is wide, I cannot cross o'er,
  But Neither have I the wings to fly.
  Give me a boat, that can carry two,
  And both shall row, my love and I.

  その水辺は広く 向こう岸へ渡れない
  僕には飛んでゆく翼もない
  二人を運ぶボートがあれば
  恋人と僕で漕いでゆくのに

(The Water Is Wide 悲しみの水辺 / Karla bonoff カーラ・ボノフ)

 

 リバプール 『ヘイジュード』 2024年6月25日

リバプールを初めて訪れた。スラム化した港町からビートルズは誕生した。
アイリッシュ海に面した貿易港。対岸のアイルランドから定期便のフェリーが通っている。アイルランド人は多く住んでいる。

(マッシュストリートはビートルズが最初に歌った飲み屋街である。)

(ロンドンのバッキンガム宮殿周辺は天皇夫妻を歓迎するために大きな日章旗が掲げられていた。老夫妻も歓迎の群衆の中に入り込んだ。)

波止場に巨大な赤レンガ倉庫があり下関や函館などに似た港町である。19世紀初めまで奴隷の中継交易港で栄えた。 綿貿易と繊維産業で発展したが20世紀になると衰退した。ビートルズは観光の救世主になったのだろう。

Hey Jude, don't make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better
Hey Jude, don't be afraid
You were made to go out and get her
The minute you let her under your skin
Then you begin to make it better
And anytime you feel the pain, hey Jude, refrain
Don't carry the world upon your shoulders
For well you know that it's a fool who plays it cool
By making his world a little colder
Na, na, na, naa-naa
Na, na, naa-naa

(Hey jude - The Beatles)

『Hey Jude』(ヘイ・ジュード)は、1968年8月にリリースされた。ポール・マッカートニーによって作曲された。

私は、この曲を聴くと1969年早春に修士論文を書いていた大学院時代を思いだす。ビートルズは好きではなかったが、この曲だけは特別だった。

  Na, na, na, naa-naa
  Na, na, naa-naa

この旋律の調子がとても気に入ったからだ。ほろ苦い想い出の曲である。

 


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韓国・慶尚南道 

 「名月とお姫様(コンジュニム)」

                     2024年4月20日

名月の夜に「コンジュニム」と過ごす。

「コンジュニム」とはお姫さまのことである。

「水原華城」の城壁は夕闇の中、美しくライトアップされていた。
名月にしては大きすぎるが、その代りとなる黄色のバルーンが浮かんでいた。
幻想的な城門に老夫婦のシルエットが浮かぶ。真っ白な姫路城と違った美しさがある水原の城塞だった。
コンジュニムは楼閣に座り、数名の女官達に守られていた。
伝統的な韓服を身に着けるチマチョゴリの美女達は綺麗だ。

髭面の爺様はニタニタと見つめていたら、女官頭からぎびしい目つきでにらまれた。

 慶尚南道の晋州市で「晋州城(チンジュソン)」を訪れた。「義妓祠」を詣でるためだ。 文禄・慶長の役(1592〜1598年)時代、日本の武者を抱きかかえて南江に身を投げて殉死した「義妓論介」を祀っている。
壬辰倭乱(イムジンウェラン)と呼ばれる日本の侵略。豊臣秀吉は極めて評判悪い。彼女は妓生(キーセン)で絶世の美女であったに違いない。晋州のジャンヌダルクといえるだろう。
「義妓論介」に抱き付かれたような虚ろな夢を見た。

(続き)

 --->  「仏教文化と食文化」


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ジャバ島 「仏跡とヒンズー教遺跡」を巡る  2024年2月14日

  妖艶な踊りだった。
真っ赤なジャバ更紗の腰衣を巻き付けていた。
手先の指が別の生き物のように優雅に動く。意味ありげだ。
ガムランの響きに合わせて、滑らかに腰を振る。
ジャバ舞踊の踊り子。

  

ジャバ島で仏跡とヒンズー遺跡を見物した。
ボロブドゥール遺跡(仏跡)とロロ・ジョングラン遺跡(ヒンズー教遺跡)である。 なんとなく不思議な気分だった。
今日のインドネシアはイスラム教徒が主体だからだ。
日常モスクからアザーンの声が聞こえて、人々はメッカに向けて祈る。

イスラム・ジャバ島でジャバ美人は誰もがスカーフを被っている。肌や足も見せてくれない。チャドルをスッポリと身に着けている。
あのセクシーな踊り子はヒンズー教時代の美女だった。
ボロブドゥール遺跡は世界最大級の仏教寺院である。興味深いことは「大乗仏教」。これは日本に伝わった大乗仏教と同じである。ビルマやタイなど東南アジアの「小乗仏教」と異なる。
8世紀に、早くも大乗仏教の王国(シャイレーンドラ朝)がジャバ島に存在していた。日本における大乗仏教の伝来は飛鳥時代(6世紀)だから、同じころにジャバは仏教国になった。
大仏様は奈良や鎌倉と違い正座しているのではなく、大きな椅子に腰かけていた。モダンなお姿。

  

立派な裸足を見せている。横たわる涅槃像は見たことがあるが椅子に座る大仏姿は初めて。大仏様は長い足で、やや股を広げていた。信者の話を熱心に聞いているという仕事スタイル。
ロロ・ジョングラン寺院は別名、プランバナン寺院群とも呼ばれている。
創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァの三大神を「三神一体」とするトリムルティ(Trimurti)。
キリスト教ならば、父(父なる神)、子(神の子キリスト)、聖霊を「三位一体」とするトリニティ(Trinity)。
「三神一体」と「三位一体」、多神教のヒンズー教と一神教のキリスト教との違いは面白い。
日本人にとり「三位一体」は厳し過ぎ、「三神一体」の方を好まれるだろう。万物神宿るという「万屋神一体」は日本のオリジナルといえる。なかなか知恵がある。 柔軟な信仰によって、宗教争いを出来るだけ避け仲良し日本文明を創り上げてきた。
あの踊り子の優雅な両手の動きは「観音菩薩」とソックリ。「観音さま」は踊り子だった。 「観音さま」は大慈大悲を本誓とし、人々を救済してくれる。

  イスラム世界のジャバ島で、あらためて仏教について開眼できた。

(動画 ケチャックダンスの映像 (3分) Youtube https://youtu.be/_xR-XlmLH3k )

 バリ島 「ケチャックダンスとバリ・ヒンズー教」 2024年2月19日

風が穏やかに吹き抜ける。
黄金色の夕焼けになり眼下にインド洋が広がる。
岩壁の上に野外劇場はあった。階段扇状のアリーナである。
大勢の男性が上半身裸の格好で円陣上に集まり、炎の明かりが舞台を照らす。

「チャッ、チャッ、チャッ」と大合唱は始まった。その調べは無伴奏で単調。
ケチャックダンスの物語は『ラーマーヤナ』に基づいている。それはヒンズー教の神話。 ヒンズーの踊り子は登場した。数人のダンサーたちがリズミカルに舞い始めた。 
白い猿神を演じる役者が観客席に紛れ込むなど、コミカルなシーンもあるから笑いで盛り上がる。ただ美女の表情は人形のように一切変えない。

バリ島住民は海洋民族だったのだろう。サモアやニュージーランドのマオリ族の踊りにも似ている。 アリーナは神秘のオーラで包み込まれた。バリ島は「神々の島」と呼ばれる。
一見したところインド発祥の「ヒンズー教」が主体であるというが、インド・ヒンズー教とは違う。
バリ土着の信仰と仏教やヒンズー教の影響を受けた独特の「バリ・ヒンズー教」を生み出した。 個人の家までが寺院の様式で、土地や祖先神へのアミニズム信仰は生きている。

宗教的な活動に多くの時間が使われている。バリ島では毎日、島のどこかで祭りが行われている。 ポリネシアなど海洋民族にとても似ているようだ。

遠くハワイからサモア、ニュージーランドまで広がるポリネシアと血のつながるバリ島の人々。
ヒンズー文化を取り入れたバリ島の文化、ハワイ・フラダンスよりも優雅なバリダンスであった。 バリ島はポリネシアの影響が残っている。

  

「ティルタンブル寺院」、「ウルワツ寺院」、「バトゥール寺院」、「タマランアユン寺院」などお寺を巡礼した。
バリ島は「神々の島」であったが今では「若者達の島」といえるだろう。ビーチはビキニ姿が溢れていた。
老夫婦にとり「終の島」といえる。終の棲家は椰子の木に囲まれて棚田に点在していた。
そこで過そこで過ごす『ラーマーヤナ』の美女との日々を夢見た。ごす『ラーマーヤ


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界の旅     香 港         2024年1月15日

   「愛とは豪華絢爛なもの」  

 彼女は待っていた。
  深いスリットが入ったチャイナドレスを着て。
   刺繍が施されたオレンジ色でとても素敵な衣装。

    Love Is a Many Splendored Thing
     愛とは豪華絢爛なもの

甘い歌の文句を並べてみた。そして映画『慕情』のシーンを思い出した。

 「ヴィクトリア・ピーク」に登った。
眼下に無数の摩天楼が香港島と九龍半島に広がっている。
日没前の夕日が高層ビル群の後ろに輝いている。ロマンチックな気分になった。 古びたスターフェリーから香港の夜景を楽しんだ。映画と同じ景色に感動した。

55年振りに訪れた香港は様変わりしていた。
英国(ユニオンジャック)から中国(五星紅旗)に変わっている。
それで香港人は幸福になったかどうか、未来の歴史が語ってくれるだろう。
古きよき時代の香港は、私の大切な思い出としていつまでも仕舞っておこう。
その夜は夢の中で『慕情』の女医ハン・スーインとめぐり逢いできた。

映画『慕情』の予告編をみながら名曲を聴いてみよう。

(出典 YouTube 慕情 (ハングル歌詞つき) アンディ・ウィリアムス Love Is A Many Splendored Thing 高画質 https://youtu.be/gkq5H9utV_E)

ストーリーは単純である。なんとなく『マダムバタフライ』と似ている。曲まで「ある晴れた日」にソックリだ。
美貌の未亡人ハン・スーインとアメリカ人の特派員マークのラブロマンス。
朝鮮戦争の記者として戦死したマークと再びめぐり逢うことを願うという悲劇で終わる。女医ハン・スーインの夫は中国国民党(蒋介石)の将校で戦死。
中国本土は毛沢東率いる共産党に支配されつつあり、多くの難民が香港に殺到していた。 反共的内容なので『慕情』は、中国では受け入れてもらえないだろう。

『慕情』は1955年に公開された作品。出演:ジェニファー・ジョーンズ(ハン・スーイン)、ウィリアム・ホールデン(マーク・エリオット)である。美貌女優ジェニファー・ジョーンズは36歳、相手役のウィリアム・ホールデンは37歳だった。主題歌は多くの歌手によってカバーされているが、オリジナルはザ・フォー・エイセスの楽曲。
何回みても見飽きることのない映像と曲なので、高画質のデジタルリマスター版であらためて観賞してみる。 (出典 https://youtu.be/lPDngfrBdFk)

アヘン戦争のトラウマ
香港は1842年のアヘン戦争によって英国に割譲された屈辱の土地だった。
アヘン貿易により莫大な富を得る英帝国主義は決して許されるものではない。
だが、英国の香港支配は西欧化をもたらし自由と人権など民主主義を植え付けてくれた。そして香港は東洋の真珠として中継交易で繁栄した。

戦後1945年の香港は、中国共産党と中国国民党との内戦から逃れてきた難民で溢れていた。 香港人は、1949年の中華人民共和国の成立、1966年の文化大革命、1989年の天安門事件など大陸の歴史を注視してきた。
香港は、英国の統治下にあって資本主義と民主主義を謳歌してきたが、1997年に中国へ返還された。 こうした古き良き時代は終わりを告げた。

香港大学と「雨傘運動」  キャンパスは高層ビルに囲まれていた。University of Hong Kongは、1911年に創立された世界屈指の名門大学である。 学生数は約2万人。卒業生には、中華民国を成立させた「孫文」がいる。 多くの学生たちは、「雨傘運動」と呼ばれる抗議デモに参加したそうだ。 そのデモは2014年の香港行政長官選挙をめぐって起こった。
それまで香港は「一国二制度」が認められて、香港のトップは選挙委員が選ぶものであったが中国政府の指名委員会から支持を受けなければ立候補ができないとされた。 これで香港の独立は完全に奪われた。多くの香港人は自由を求めてカナダやオーストラリアなどへ脱出した。
香港人の脱出の波は、二度あった。最初は1997年の中国返還である。多くはカナダに逃れた。バンクーバーはホンクーバーと呼ばれたこともある。 二度目は、これから始まるだろう。香港人はパスポートを複数所持しているという。 英連邦(British Commonwealth)があれば、英連邦に属するどこの国にでも行けるから安心だ。知人はロンドンを選び活躍している。

春節  華人の正月

 春節は、中国・中華圏における旧暦の正月(旧正月)である。全世界の華人にとって最も大切で伝統的な祝日となる。体制や思想は異なっても華人のは絆は強い。

2024年は辰(龍)年なので、2月2日から7日間は旧正月で賑わう。龍の形にちなんだ飾り付けが街角に見られた。 道路や建物、家のあちらこちらを赤で飾る。香港人も「赤」は春節のメインカラーである。二階建バスも真っ赤だった。

 香港人は大変親日的で、私たち老夫婦を大切に介護してくれた。誰でも英語を喋りフレンドリーに接してくれた。街角で微笑み、声をかけてくれた。
日本文化や日本食は人気があり、是非とも日本まで出かけていき楽しみたいという。 香港人は何事にも負けない活力があり、ビジネスセンスに優れた人々である。   日本での活躍も大いに期待したい。



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北マケドニア・スコピエとオフリッド湖 

 「イスカンダル大王に会う」  2023年11月25日

 北マケドニアの首都スコピエの広場に巨大なイスカンダル大王像が鎮座していた。イスカンダル(Iskandar)とはアラビアやペルシャで呼ばれるアレクサンドロスのこと。現在のマケドニアは人口の半分以上がイスラム教徒なので「イスカンダル大王」と呼ぶ。

本名はイスカンダル
古代ギリシアのマケドニアが生んだ世界的な英雄である。その脇にはイスカンダルの父親フィリップ2世像もある。さらに母親オリンピアスの妊娠姿の像もある。それはマケドニアの母の泉と呼ばれていた。
スコピエは、町中がイスカンダル大王一族の記念碑オンパレードだった。

スラブ人のアレクサンドロス
北マケドニアはギリシア人の国ではなくスラブ人の国である。

   アレクサンドロスはスラブ人だったのか ?
イスカンダルと呼ぶからアルバニア人だったのか ?

 古代マケドニアはギリシア人の世界に含まれると言われているが、本当だろうか。アテネやスパルタなどポリスを中心としたエーゲ海沿岸に栄えた地域と異なり僻地だった。

 現代ギリシアは、北マケドニアが古代マケドニアとは全く異なる地域であると主張。アレクサンドロス大王はギリシアのものであると独占し熱狂する。
両国は戦争まで始めるような状況になっている。馬鹿げた話だ。
アレクサンドロスでもアレクサンダーでもイスカンデルでも古代の話。どうでもいい話ではないか。国際関係は騒々しく、時には危険であるが子供の喧嘩のようで面白い。

 マケドニアの国旗は、まるで八条の旭日旗にソックリ。赤い日の丸は日の出の太陽を象徴する。スコピエは冬空の下で雪が舞い寒かった。カレ要塞はスコピエを見下ろす丘の上にあった。
オスマントルコ時代の要塞。モスクのミナレットが多く見られるが正教教会もある。北マケドニアは宗教が複雑に組み込まれているから歴史マニアにはたまらない興奮。

改宗イスラム教徒のマザー・テレサ
マザー・テレサは、イスラム教徒が多いアルバニア人の両親から生まれた。
マケドニアはキリスト教ならば正教が当たり前であるが、彼女は少数のカトリック教徒であった。マザー・テレサはカトリック修道女になって遥々インド・カルカッタまで出かけて行った。イスラムとヒンディー世界に飛び込んだ勇気のある修道女だった。マケドニア生まれのカトリック修道女は1979年にノーベル平和賞を受賞した。さらに2016年にはカトリック教の奇跡があると認定されて聖女にもなった。こんな宗教が混沌とした北マケドニアで生まれたアルバニア人少女の波乱に満ちた人生。マザー・テレサは20世紀の聖女。そしてイスカンダル大王の生誕の地で生まれたのか・・・。

オスマン時代のモスクミナレットが多く見られるが正教教会もある。
寒さに震えながら歴史話にどっぷりと溺れた至福の一時になった。

オフリド湖と聖ヨヴァン・カネオ教会
アルバニアとの国境にオフリッド湖が広がる。水深が155メートルもあるが、透き通った湖はなんと透明度20メートル以上もある。湖の奥に連なるアルバニア側の山々は雪で真っ白だった。科学雑誌『 National Geographic』の表紙を飾った教会を訪ねた。教会の名前は、「聖ヨヴァン・カネオ教会」と呼ぶ。オフリド湖岸の崖の上にたたずむ小さな教会。青く澄み切ったオフリド湖と真っ白な山々を背景にしてレンガ造りの教会が見事に溶け込んでいた。

キリル文字(グラゴール文字)
ロシアやウクライナなど東スラブ系文字はキリル文字を使う。ラテン文字とは異なり馴染みが少ない。旧ソ連を構成したカザフスタン、ウズベキスタン、トルキスタンさらにモンゴルなどもキリル文字を使う。
キリルとメトディウスの兄弟によってキリル文字(グラゴール文字)は普及した。マケドニアは聖キリル兄弟の誕生の地であるという。

キリスト教徒の宗教税
オフリド旧市街の中心に「聖ソフィア教会」があった。内部に描かれたフレスコ画はバルカン半島のビサンチン芸術の中でも最高傑作の1つといわれる。
偶像崇拝を嫌うオスマントルコ時代においてもイコン像は無事だったようだ。キリスト教徒は宗教税を納めて500年も耐え忍んできたのだろう。
オフリドはバルカン世界におけるキリスト教文化の中心として栄えた。

バルカン半島
2023年11月22日から始まったバルカン半島の旅。最初はブルガリアの首都ソフィアから一台の御大型バスに17人の乗客を乗せて出発した。
12日間の長旅。厳しい寒さのバルカン半島、こんな冬の季節に山岳地方を観光するという変わり者17名。巡礼のような雰囲気だった。
ブルガリア、マケドニア、コソボ、アルバニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビアの7か国を廻るというバス旅行だった。
心配事はコソボとセルビアの紛争、雪道の山岳道路、ホテル事情など欧州辺境バルカンの状況である。たしかに道路は狭く山岳地帯では大変苦労したがアルバニア人ドライバの運転テクニックは実に慣れたもので安心できた。国境越えは西欧とは違い、パスポート拝見そして下車による歩行検査もあり厳しい。雪の舞う寒空で国境を徒歩で超えた。

● YouTubeのスライド動画(約3分)

「バルカン半島7か国の旅」
数十枚の旅の写真が自動的に表示される。音楽はバルカン半島諸国の民謡。



https://youtu.be/Ul_XnqwYziw

(続く)

(1) 「イスカンダル大王に会う」 

北マケドニア・スコピエとオフリッド湖                   
(2) 「正教とイコン」 

ブルガリア・セルビア・モンテネグロ                

(3) 「火薬庫バルカン」

アルバニア・コソボ・ボスニアヘルツェゴビナ

 


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ベトナム  東京国と越南国  2023年9月30日

ハノイ 「東京城と下龍湾」 

トンキンは東京と書く。ハノイはその昔、「東京城」と呼ばれていた。
昔のベトナムは漢字の国だった。トンキン湾は東京湾になるから親しみやすいが、現在のベトナムはラテン文字の世界だ。 年配者も含めてベトナム人は漢字を全く知らない。フランス植民地の政策でラテン文字とその変形を使う。

近くには、アラビア文字を忘れたインドネシア(オランダ植民地)やマレーシア(イギリス植民地)もラテン文字を使う。 イスラム聖典コーランがラテン文字で綴られているから惨めだ。さらにトルコまでもラテン文字を使うから哀れだ。 カンボジアとラオスは同じくフランス領インドシナであったが、固有の文字を今でも使っている。民族のアイデンティティーを大切に固守。
東京国を「安南」とも呼ぶこともある。安南人はフランス本土や植民地でも多く見かけた。安南兵の麦わら帽子姿を覚えている。

「ハロン湾」

「東京城」(ハノイ)」から約3時間でトンキン湾に着いた。その北西部に「ハロン湾」があった。 ベトナム語で「Vinh Ha Long」と綴る。漢字で「下龍湾」と表記されていた。一発で、その意味を理解できた。
石灰岩のカルスト地形からなる奇岩、島々が存在する。確かに「海の桂林」のような景色だった。「下龍湾」の伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、龍の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になった。

民族衣装「アオザイ」を着た中年女性が寺参りしていた。お寺には漢字が表記され、アオザイは支那服にソックリだった。
「安南」は支那の一部のような印象を受けたが、ベトナム人は嫌がるだろう。
ベトナムは漢字からラテン文字に変わって大変よかった。

(続き ) ホイアン 「越南国のランタン船」

 


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メルボルン 「ヴィクトリア州立図書館」  2023年8月26日〜31日

オーストラリアの知的遺産
メルボルンの知的遺産は「ビクトリア州立図書館」であると当初は非常に感激した。 「La Trobe Reading Room」と呼ぶ中央の閲覧室には細長いテーブルが放射状に配置されている。 まるで南半球の南十字星のように広がっている。巨大なドーム状のホールが印象的だった。4階から6階まで吹き抜けになっている。
1856年に完成したオーストラリア最古の図書館で、メルボルンの誇る歴史的建造物である。 3万点の蔵書をはじめ、数十万の絵画、新聞、地図と写真、マイクロフィルムそしてデジタルメディアまでが所蔵されている。 市民は無料で利用できる。

オーストラリア分類
図書館の重要な機能である分類はどうなっているのか。私の専門はオントロジ(概念理論)と呼ばれるもので 一言でいえば分類学である。UDC(Universal Decimal Classification)に似たオーストラリア分類が採用されていた。

分類は知識の結晶であり、分類化の知的プロセスには、「わかる」とは「分ける」というオントロジから始まる人類の知識の獲得・表現の歴史が刻み込まれている。

図書館そのものを陳列する博物館
21世紀は、デジタル情報社会になり、許容量を越えて爆発するような情報空間の中で、人々は日夜仕事や遊びに追われ、奴隷のように過ごすことでオントロジを忘れ去っている。 「ビクトリア州立図書館」でも閲覧者の多くは、分類など気にしないで、しかも紙の書籍を読んでいなかった。持ち込まれたパソコンとスマホだけで閲覧机を使っていた。
リファレンス図書類は綺麗に並べられて、まるで壁紙のようであった。世界中で書籍は読まれていない。
図書館の蔵書は、Webに吸収され一枚の電子タブレットだけである。書籍の活字も電子タブレットで読めるようになった。活字という表現は、文字を印刷する書籍のために生まれたのであるが、電子書籍の発展に伴い「活字離れ」がさらに進み、「活字文化」は衰退するだろう。

「ビクトリア州立図書館」は、滅びゆく活字文化の象徴のようだ。

     図書館そのものを陳列する博物館と言えるだろう。

多民族融和の文化が開花

2023年のメルボルンは別名「ガーデンシティ」と呼ばれる緑豊かな都会だった。花が咲き乱れる公園が数多くあり、優雅な雰囲気を醸し出していた。
流刑の地として暗い歴史があるメルボルンであったが、現在は多民族融和の文化が開花している。

世界中の難民を受け入れたオーストラリア。

   「Immigration Museum」(移民博物館)

その入り口に、次のように書かれていた。

 More than nine million people have migrated

     to Australia since 1788

 Countless others have tried and failed

昔は白豪主義を標榜して、原住民のアボリジニを虐待し、19世紀初めに到来した中国人も差別してきた。インド人やメラネシア人やポリネシア人も人種差別の対象だった。 英国系の白人を主体とする国家を理想とした。オーストラリアは18世紀から19世紀末まで、英国の流刑地であったがメルボルン近郊で発掘された金を目当てにする移住者が増えていった。 アメリカ西部のゴールドラッシュに似た発展を遂げた。1950年代から1970代の初めまでに差別的な政策は撤廃、白豪主義は断念された。

現在のオーストラリアは難民大国といえる。これまではアルメニア人、ギリシア人、バルカン諸民族、ポーランド人やウクライナ人、ユダヤ人などヨーロッパからの難民。 続いてトルコ人、アフガニスタン人、レバノン人とシリア人など中近東。20世紀はベトナム人、インド人、パキスタンやバングラデシュ、ビルマとタイ、インドネシア人、香港からの難民。アフリカも含めて世界中から難民を温かく受け入れてきた。

メルボルンは特に、中国系の移民が多く、香港やシンガポールと似た雰囲気だった。インド系やベトナム系も多く東南、西アジアの街を歩いているようだ。
オーストラリア料理とは中華料理と言えそうだ。「日式」と呼ぶ寿司やおにぎり、菓子パンなどは日本と同じ味だった。アングロサクソン食は「フィッシュアンドチップス」だけみたいだ。

メルボルン大学は州立の総合大学でもアジア系の留学生が多く、ここも華僑系とインド系の学術世界と思えた。
オーストラリアの将来は、豪州からアジアに属する国になるだろう。

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メルボルン「グレートオーシャンロード」 2023年8月26日


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「ワルチング・マチルダ」と『渚にて』 

         メルボルン    2023年8月26日〜31日

「グレートオーシャンロード」と呼ぶ自然豊かな絶景に感嘆した。
壮大な自然の造形美だ。紺碧の海原の対岸はタスマニア島である。
快晴から曇り空、そして雨までも降り始めた。一時間で季節は激変した。

ここは南半球のオーストラリア。8月末のメルボルンは、真冬であった。

「ワルチング・マチルダ」

Once a jolly swagman camped by a billabong
Under the shade of a coolibah tree,
And he sang as he watched and waited till his billy boiled:
"You'll come a-waltzing Matilda, with me."

この文句は軽快なリズムになるから、私は機嫌直しの鼻歌にしている。
「ワルチング・マチルダ」(Waltzing Matilda)は、オーストラリアの準国歌とも言える。

 ユーカリの森から草原に入ると巨大なシダ類が茂っている。コアラベアーや真っ赤な野鳥が群がっていた。 動植物はカンガルーやカモノハシなどオーストラリア独特な珍しいものばかりだった。   

 『渚にて』
「ワルチング・マチルダ」で思い出すのは映画『渚にて』(1959)である。
60数年前の映画なのだが、あらすじは何故か鮮明に記憶に残っている。
物語は第三次世界大戦で北半球が放射能に汚染され、地球上で最後に残った人類の生存場所は南半球のオーストラリアだけになった。
モノクロで暗い映像、しかもテーマも暗い原爆戦争の悲惨な地球最後の姿を描いたものだった。 メルボルンの街からは人影が消え失せて世界は終わるという設定。2023年になりウクライナや北朝鮮と台湾海峡では核の脅威に脅かされている。現代になり現実的になった不思議な物語と言えよう。

  

女優「エヴァ・ガードナー」の妖艶な微笑みは忘れられない。ペルシャ猫の眼差しに似ている。そしてテーマ曲『ワルチング・マチルダ』は印象的だった。

    オージーワインの香りを楽しみながら、
「ワルチング・マチルダ」を口ずさんだ。

 

映画のストーリー

トップシーンは、浮上する潜水艦の標識「623」の映像が印象的。
アメリカ海軍の原子力潜水艦「ソーフィッシュ」はメルボルンに寄港した。
アメリカ合衆国は核兵器の攻撃により壊滅状態になってしまった。「ソーフィッシュ」は潜航していたため被爆を免れて生き残った。

1964年1月、第三次世界大戦が勃発。大戦には核兵器が使用され、放射能汚染により北半球は壊滅状態となった。 南半球のオーストラリアは無傷だったが放射能が到達するのは5ヶ月後。そして地球は全滅する。
絶滅の危機に瀕したオーストラリアの人々が残された日々を思い残すことなく過ごそうとする。 ある夫婦は初めて出会った渚での思い出を語り合った。

タワーズ艦長(グレゴリー・ペック)が指揮する「ソーフィッシュ」はアメリカに帰還することに決めた。 無謀な最後の航海になる。モイラ(エヴァ・ガードナー)は出航する「ソーフィッシュ」をいつまでも見つめていた。
それから間もなく、メルボルンの街からは人影が消え失せた。

  映画『渚にて』の予告編 (テーマ曲 ワルチング・マチルダ)

   
     彼女は出航する原子力潜水艦「ソーフィッシュ」をいつまでも見つめていた
     (出典   https://youtu.be/oJTogd-SulM)

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 メルボルン 「ヴィクトリア州立図書館」?2023年8月26日

 

 


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 世界の旅 ローマ 「80歳のローマの休日」 2023年7月1日〜7日

50年振りのローマ。
「La Citta Eterna Roma」、「永遠の都ローマ」。
憧れの歴史的遺跡が残るローマであるから子供のようにはしゃいだ。

● バチカン・サンピエトロ広場

バチカン・サンピエトロ広場は灼熱のサウジアラビアのカアバ神殿の広場のようだ。 メッカ巡礼のように観光客が群がっていた。半裸の女性姿が多いのがイスラム世界と違う。 ここはカトリック教徒の総本山、バチカンなのだ。開放的な雰囲気で嬉しくなる。

「80歳のローマの休日」は過酷な旅行となった。
町中、世界中からの観光客で大混雑していた。東洋人は少なく日本人は見かけない。 7月の猛暑のローマを歩き回ることは、よほどのもの好きなことなのだろう。 老夫婦はローマ市内の石畳の道を、フラフラと汗だくになりうろついた。惨めな難民姿。 暑苦しい、そして汚い裏通り。しかし若い女性達のセクシーな溌剌とした姿に慰められた。

「永遠の都ローマ」、「ローマは一日して成らず」、「すべての道はローマへ通ずる」、 そして「ローマの休日」などと苦し紛れに嘆く。息も絶え絶えの彷徨。 トレビの泉、スペイン広場の階段、パンテオン、コロッセオなど定番の観光スポットを見物した。

名作映画『ローマの休日』を懐かしむノスタルジックな気分になった。
オードリーヘップバーンとグレゴリーペックは二人でローマの名跡をスクーターで廻った。

その夜は郊外の小さなホテルで過ごした。19世紀末の邸宅を改装したクラッシックな外見。

可愛い王女役のオードリーヘップバーンに固く抱き付かれた夢を見た。

「永遠の都ローマ」は老夫婦にとり「最後の都ローマ」になるだろう。

● 『クォ・ヴァディス』

コロッセオと呼ばれる円形闘技場に真っ先に行った。『クォ・ヴァディス』に惚れこんでいるからだ。
「クォ・ヴァディス(Quo Vadis)」とはラテン語で「主よ、どこに行かれるのですか」を意味する。 キリスト教の苦難と栄光の歴史を象徴する言葉として用いられる。 皇帝ネロが支配するローマ帝国はキリスト教徒の受難の時代だった。

『クォ・ヴァディス』は、1951年のハリウッド映画。
ポーランドのノーベル文学賞作家「ヘンリク・シェンキェヴィチ」の小説を映画化したもの。 余談であるが、「ヘンリク・シェンキェヴィチ」はタタール人(イスラム教徒)を先祖にもつという。 イスラム教徒がポーランドに帰化してカトリック教徒になった。興味深い史実である。

コロッセオは剣闘士など見世物の舞台になった。ライオンや野獣と人の戦いは大変な人気だった。
絶世の美女「デボラ・カー」はキリスト教徒女性、リジア役として演じてくれた。 コロッセオの中央にはリジアの白装束の美しい姿。その横で火あぶりの赤い炎も見える。 牛に縛られているリジアは半裸姿。大きな角を持つ牛から襲われる。そこにキリスト教徒の力持ちが猛牛に立ち向かう。

剣闘士、グラディエーター(Gladiator)も戦った。
カークダグラスが演じる映画『スパルタカス』ではスパルタ出身の剣闘士として活躍する。 紀元前71年にスパルタカスの反乱軍はクラッススによって鎮圧され全滅した。
ラッセル・クロウの映画『グラディエーター』でもコロッセオが舞台になっていた。 映画『ベンハー』の迫力あるチャリオット(戦車)の競技場は、隣のコンスタンティヌス凱旋門の近くに残っている。

コロッセオは2000年もローマの歴史を見つめてきた。
デボラ・カーのリジアの横でローマ将軍マーカスに代わったカメの若き姿。
これが正夢であることを願った。

● スライド動画(約2分 音楽 カタリ・カタリ)

 


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世界の旅 モンゴル 「ジンギス・カーン」と「カメ・カーン」

                 2023年6月19日

  モンゴルは広大な草原と遊牧民の国だった。

カメは「ジンギス・カーン」の生涯に敬意を表し、「カメ・カーン」になりきった。 「カーン( Khan)」とはモンゴル系民族の国王を意味する。

モンゴリア出身の偉大な英雄、「ジンギス・カーン」は13世紀にユーラシア大陸を征服。 「パックス・モンゴリア」を創り上げ、世界に安泰をもたらした。 民族や宗教、文化や言語の違いを超越した世界の規範は13世紀に立派に完成していた。

モンゴロイドは日本人とソックリだ。カメのお尻にも蒙古斑点がある。
現代のモンゴル美人は色白で八頭身だった。姿勢が良く真っ白な歯並びも素晴らしい。お尻には蒙古斑点があるからカメと同じなのか、嬉しい。

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 「ゲル」と呼ぶ帳幕で泊まる体験を楽しんだ。
約2時間30分で組み立て、解体できる移動用のテントである。
巨大なものとしては「ジンギス・カーン」の宮廷用ゲルもあったという。

「カメ・カーン」はモンゴル民族衣装を身に着けて、小さなゲルの前で「オゴタイ・カーン」に似せて睨みつけた。 エイコ妃は我慢してニヤリと微笑んだ。「カーン」は多くの妃に囲まれて本当に幸福だったのか。

帳幕(ゲル)の中は広い。中央にストーブが置かれていた。燃料は家畜の糞を乾燥させたものだ。 明かりは天幕の中央天上から射し込む日の光。今はソーラ発電を使う。 食料は羊から全て調達する。肉だけでなく内臓や血の一滴にいたるまで無駄なく食する。 乳からミルク茶、バターとチーズ、ヨーグルトなど乳製品を作り出す。自給自足が原則。
エコロジーとサステイナブル、地球に優しい生活で暮らしていける。

  真夏の草原の夜は、満点の星空になった。
「カメ・カーン」は「パックス・モンゴリア」からモンゴル美女まで、様々な夢を見たようだ。

 ドローン撮影によるモンゴル草原の旅
「ジンギス・カーン」と「カメ・カーン」 (動画3分)

   (注記) ドローン映像は現地ガイドのOtgon bayar(Oogii)君によって撮影されたものである。

 


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世界の旅  ニューカレドニア  2023年4月2日〜10日

「80歳の新婚旅行」となった。
初婚なので二回目のやり直しの新婚旅行といえる。
約60年前の最初の新婚旅行は、瀬戸内海の小豆島だった。
そして、80歳になった新婚旅行は、南太平洋のニューカレドニア島だった。

 「天国に一番近い島」
ニューカレドニアは「天国に一番近い島」と呼ばれ、50年前に小説の舞台になった四国程の南の島。
小説の内容は、よく知らないが女流作家による名作なので映画化もされたという。 何が天国なのか、少女趣味の妄想話だろう。

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(メトル島は全島がビーチホテルになっている。水上コテージはサンゴ礁の上に建っている。南国の夕焼けは美しい。)

「ニューカレドニア」は憧れの島だった。その「カレドニア」とはラテン語で「スコットランド」を意味する。
確か、カナダで「ノヴァ・スコシア」と呼ぶ半島を訪れたが、これはラテン語の新スコットランドのことではないのか ?

フランス語の読みでは「Nouvelle-Caledonie」という。

「ヌーベルカレドニ」はフランス語が公用語のフランス共和国の海外県である。 県庁所在地、「ヌメア」は南フランスのカンヌやニースのような雰囲気。
街で聞こえる言葉はフランス語ばかりで、アメリカ人も中国人もいない上品なフランス田舎町だった。
老夫婦の足には適当な規模の町、2時間もウロウロするだけで名所を十分に巡ることができた。

「メトル島」
80歳の新婚旅行の日々は、「メトル島」と呼ばれるヌメアから南西に約6キロ、船で20分の小島で過ごした。
全島がビーチリゾートホテルになっている。島内には水上コテージや洒落た宿泊施設が点在している。 プールや豪華なレストランもある。まるでクルーズ船に乗っているような気分。
騒がしい街の喧騒を忘れさせる。紺碧のサンゴ礁に囲まれて、心地よい南国のそよ風と小さな波の音だけが聞こえた。
若者たちは水上バイクやカヌー、シュノーケリングを楽しんでいた。
浅いサンゴ礁の水中には小さな熱帯魚が群れて、ウミガメの姿も見えた。

カメ(私)はカメ(ウミガメ)を探し求めて、カメはカメと戯れた。
夕暮れに輝くコバルトブルーのサンゴ礁の海「メトル島」で

     カメはカメになった。

 

続き

 「カメのクレオール美女」と「ニューカレドニアの隠れた歴史」

 

 


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  「カメの旅物語」 海外への憧れ 

小さい頃から海外に憧れました。それは地図だけの世界でした。
2022年9月6日は、私の80歳の誕生日でした。


1942年9月6日に中国・山東省の青島で生まれました。初めての海外は、1969年3月に観光した東南アジア旅行でした。もっとも青島は中国なので、今では海外になりますが・・・。

 

 

私の海外旅行の楽しみは、「歴史・民族・言語」の3点セットです。歴史的場所で土地の素朴な人々に会い、彼らが喋る言葉を聞くことです。そんな世界は生き生きとした姿を示してくれます。

私の半世紀にわたる「海外への憧れ」を物語ることにしました。5部作から構成された雑文付き写真アルバムです。

その1  初めての海外旅行
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-39.html

その2  ヨーロッパ医療情報視察団 
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-40.html

その3  学術研究と国際学会
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-41.html

その4  エベレスト街道とクルージング
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-42.html

その5  南アメリカと南アフリカ
https://wni30fioix9p.blog.fc2.com/blog-entry-43.html

 


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パタゴニア氷河とイグアス滝を眺める
                                                                  2020年2月

パタゴニア氷河
氷河の左の頂上が左に折れた山をモレノ山(1,670m)と呼ぶ。まるで3,000m級の高山に見える。アンデスの山々に太平洋の湿気を含んだ風がぶつかり、大量の雪を降らせ、積もった雪が圧力で氷結し氷河を形成する。あまりにも巨大な氷河は「氷原」という印象だった。ロス・グラシアレス(Los Glaciares)はスペイン語の「氷河」の複数形で、公園名は「氷河群」といった意味である。このあたり一帯はロス・グラシアレス国立公園と呼ばれている。詳しくは「パタゴニア氷河とイグアス滝を眺める」(ブログ)をお読みください。

イグアス滝
イグアス瀑布を見るためにアルゼンチンを北上した。そこはブラジルとパラガイに挟まれた場所にある。パタゴニアには氷河があり雪があった。極寒の地から亜熱帯ジャングルの緑の世界へ来た。
イグアスの滝は南米大陸のアルゼンチンとブラジルの二国にまたがる世界最大の滝で北米のナイアガラ滝、アフリカのビクトリア滝と共に、世界三大瀑布に数えられる。遥かパラガイまで川幅は広がる。詳しくは「
ヴェノス・アイレス紀行」をお読みください。

 その国は世界地図のどこの「地域に属しますか?  答え「南米地域」です。

 


天空の都、チベット・ラサを眺める
                         2020年1月

拉薩の布達拉宮
中国語でラサのポタラ宮のことである。目的地は「ポタラ宮」でありチベット文字で「
ཕོ་བྲང་པོ་ཏ་ལ་」と書く。今回は真冬1月の凍てつくチベット・ラサ(Lhasa)に僅か2日だけに滞在するという短い旅だった。2020年1月7日に成田を出発して上海経由で西安で一泊。翌日1月8日にチベットのラサ(拉薩)に向かった。約3時間半のフライトであるがそこはチベット高原の南東、海抜3700mにある。これは富士山山頂とほぼ同じ高度にある都。

シャングリラ
 神秘的な禁断の地チベット。昔のチベットを呼ぶステレオタイプな表現である。あるいはチベットのことを「第三の極地」と呼び、南極、北極に次ぐ極地であるかのように言う。つまり陸の孤島というイメージ。一方で未知の桃源郷であるかのように憧れた。例えば「シャングリラ」と呼ぶ。続きは「
ブログ」を読む。

その国は世界地図のどこの「地域に属しますか?   答え「アジア地域」です。

 


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シャンパン嫌いのシャンパーニュ 

                        2019年11月
お酒なんでも大好きなカメ(私の愛称)ですがシャンパンだけは心底楽しめません。サイダーみたいな泡がありワインらしくない。私は貧乏人の大酒飲みなのでシャンパン本来の味など分かっちゃいない。日本酒の中で香りが強い吟醸酒も旨く飲めませんね。77歳になってもお酒に好き嫌いの偏見があったことを今頃になり深く反省。
どんな酒にも博愛主義。雪もちらつく晩秋、シャンパンの本場、シャンパーニュ(Champagne)を訪れました。
 

ボーヌの「栄光の3日間」   
ブルゴーニュ(Bourgogne)の中心にある都市、ボーヌ(Beaune)では11月16日から開催されるワインの祭典を見てきました。ボーヌには鮮やかなモザイク状の瓦屋根の『オテル・デュー(施療院)』やワイン博物館がありました。このあたりコート・ドゥ・ボーヌはコート・ドゥ・ニュイとともに黄金の丘(Cote d'Or)と呼ばれ、フランスでも指折りのワイン生産地です。大好きなピノ・ノワール(Pinot Noir)は、赤ワイン用ブドウ品種でブルゴーニュを原産地とします。続きシャンパーニュ・ブルゴーニュのワイン紀行(ブログ)

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北アイルランド紀行     ギネスを飲みに      2019年10月

タラの丘

広大な緑の大地に厚い雲が垂れこめていました。青空なのですが真夏の入道雲のような巨大な雲の塊が空を覆い、すぐにでも雨が来そうな気配でした。そこはタラの丘と呼ばれるアイルランド人の心の故郷です。タラの丘はビビアン・リー主演映画『風と共に去りぬ』で真っ赤に燃える夕焼けを背景に再起を誓う場面で有名です。彼女の演じたスカーレット・オハラ役はアイルランド系アメリカ・ジョージア州農園の富豪の娘です。アイルランド移民が住む場所にはどこにでもタラの丘があるようです 。(写真左)タラの丘とケルト十字墓標  

ロンドンデリー
  Oh Danny boy, the pipes, the pipes are calling
   From glen to glen, and down the mountain side
    The summer's gone, and all the roses falling

元の名前はデリーと呼びますが、17世紀に英国ピューリタン革命のクロムウェルが征服しロンドン市に与えたことからロンドンデリーと呼ぶようになったそうです。その有名な民謡『ロンドンデリーの歌(Londonderry Air)』は歌詞を変えて、息子の事を思い続ける母親の切ない心境を歌う「ダニーボーイ」になりました。

ギネスビール

大好物の『ギネススタウト』をがぶ飲みする旅でした。本場のギネスは新鮮で旨い。大麦の一部は蒸かして挽き割りとし焦がすことで、ギネス独特のクリーミーな黒ビールの色になるそうです。ダブリンに醸造所がありますが瓶詰めなどはベルファーストで行われています。続き『アイルランド紀行』(ブログ)

その国は世界地図のどこの「地域に属しますか?   答え「ヨーロッパ地域」です。

 


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真冬のニュージーランド 「You Raise Me Up」    2019年7月

 

2019年7月に初めて真冬のニュージーランドに行きました。Mt.Cook(標高3.724m)の タスマン氷河にスキー付き軽飛行機で着陸し雪山を楽しみました。南半球でもスイスアルプスのような白銀の山々が待っていました。

小さな飛行場から6人乗りの小型機が飛び立ちます。雄大なタスマン氷河を登り詰めて深い雪に覆われたタスマン氷河に着陸しました。機体の足には小さな 車輪とその横にスキーが付いています。僅か20分の飛行でMt.Cookの近くの氷河に着きました。続き『クック山を飛ぶ』(ブログ) 

 

You raise me up, so I can stand on mountains;   

  You raise me up, to walk on stormy seas;  

    

   あなたの励ましで、山頂に立つこともできる  

     あなたの力づけで、荒れすさぶ海もわたろう

「You Raise Me Up」は勇気を与えてくれる素晴らしい歌詞です。

その国は世界地図のどこの「地域に属しますか?   答え「大洋州地域」です。

 


ナポレオンが生れた島  地中海コルシカ島  2019年4月

 

イタリアの港町ジェノバから美しい海岸リビエラを回りピサの近く港町リボルノを進み船は、コルシカ島のアジャクションに着きました。そこはフランス領でお隣のサルデーニア島はイタリア領です。コルシカ島はフランス革命後に皇帝にまでなったナポレオン・ボナパルトが生れた場所。彼の祖先はポナパルテーノという名のジェノバ出身貧乏貴族の家系だそうです。ナポレオンはフランス語を上手く喋れなかった。イタリア人がフランス皇帝になりアルプス越えでイタリア征服を試みました。カルタゴのハンニバルを真似たのですね。ヨーロッパの歴史は実に面白い。

(写真 アジャクション ナポレオンのアルプス越え)

 

 

その国は世界地図のどこの「地域に属しますか?   答え「ヨーロッパ地域」です。

 

 


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タタールスタン紀行    2019年3月


地理的にはロシア連邦共和国のヨーロッパ側のヴォルガ川流域に位置する。正式にはタタールスタン共和国という。アフガニスタン、パキスタン、ヒンドスタン、ガザフスタンなどのように「スタン」が語尾につけばペルシャ語に語源をもつ「人々の土地、国」を意味する。すなわちタタール人の国である。ただし独立した共和国ではなくロシア連邦に属する自治共和国である。
ロシアはヨーロッパに存在していながら非常に発展が遅れた。その原因は「タタールのくびき」によるものであるという。この場合のタタールとはジンギス・カンに率いられたモンゴル人によるロシア征服と長い間の支配を意味する。タタールとモンゴルは必ずしも一致したものではない。タタール人はトルコ系の民族であるからだ。彼らはモンゴル人に早くから従い同化してロシア征服に追随した。
続きは「紀行文pdf」をお読みください。

 

 

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ハバナ航路を行く  カリブ海クルーズ   2018年12月

2019年1月27日〜2月6日までキューバのハバナに寄港することを売り物にするカリブ海クルーズに参加した。乗船したのは『MSCアルモニア』と呼ぶイタリア生まれのクルーズ船である。65,542トン、全長28.8m、乗客数1,554人。まるで動く豪華ホテルといえる。カリブに浮かぶ赤い島 キューバは1956年にアメリカ大陸で初めて誕生した社会主義国である。カストロとゲバラによって指導されたラテンアメリカ的社会主義政権であるが、アメリカ人はカリブに浮かぶ「赤い島」と呼ぶ。私はキューバを訪れることは長年の夢であったから、このように簡単にしかも豪華クルーズ船を利用して上陸できるのであるから、まさに夢の実現となった。朝焼けで美しいカリブ海からハバナの街明かりが見えてきた。ここがカストロとヘミングウェイの住んでいたキューバなのか、感慨深いものがある。続きは「紀行文pdf」をお読みください。                                                                                         

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テーブルマウンテン   南アフリカ   2018年11月

南アフリカのケープタウンに行きました。晩秋11月の日本を出発して香港経由で18時間のフライトでした。テーブルマウンテンでは南極から吹き付ける寒い強風、これが南風なのが北半球の常識と異なります。ケープタウンでは北風が暖かで窓も北向きが最適なのです。ケープタウンはサンフランシスコ湾に似ていてそこに浮かぶロベント島は刑務所のアルカトラス島にそっくりです。

マンデラが収監されて過ごした長い年月、そこで共に過ごした貧しいアフリカーンズの白人看守との交流を描いた『マンデラの名もなき看守』を思い出しました。
アフリカーンズはボーア人とも呼び17世紀頃にオランダやドイツから渡った子孫です。後から来た英国系の人々と違い独立心の強い移民でした。英国と独立のために戦ったボーア戦争は有名で、若き日のウインストン・チャーチルも従軍したとも言われています。

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黄金のウクライナ         2018年10月

 

私のウクライナに対する憧れは、数々あります。最初にウクライナを訪れたのは2003年でした。お隣のスロバキアから小型バンに乗って入国しました。大学の調査隊の一員としです。カルパチア山脈の麓にあるウジホトロド、そして西ウクライナの中心都市リビフに行きました。西ウクライナはスロバキアやポーランドと民族的にも言語も文化も変わりません。宗教はカトリックと正教、そして両者を組み合わせたユニエイト。これが昔の調査の対象となった主題です。学術的には東方典礼カトリック教会ユニエイトと呼びます。複雑なウクライナの歴史そのものを象徴するユニエイトなのです。今度はウクライナの中央に位置する首都キエフ、黒海の港町オデッサそして鉄道の旅でリビフを再訪しました。ウクライナの名前からまず思い浮かぶのはキエフ・ルーシンと呼ぶ正教の伝来。隊長ブーリバで知られるコサック。戦艦ポチョムキンの反乱とオデッサの階段。これはアレンサンドロ・ネフスキーやイワン雷帝を監督したエーゼンシュタインの名 画です。何回見直してもあの階段で起こった虐殺シーンで見せてくれる混乱する人々の表情、まるで歌舞伎の演技を見ているようです。クリミア半島にあるバクチサライというタータール人の都遺跡。2次大戦の終戦処理を決めたヤルタ会談。軍看護師ナイチンゲールが活躍したクリミア戦争のセバスポリ。ソ連の失政で約100万人にも餓死したという大飢饉。カルパチア山中で懸命に戦い抜いた反ソパルチザンの話。こんな興奮をウクライナで体験したいと思いました。クリミア半島の領有権を巡りロ シアと争っていますが兄弟なので仲良くして下さい。(写真左) カルパチアの木造教会    (写真右) キエフのオペラ座   

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チュニジア陸軍により救助される    2018年9月       


アフリカ象に乗り込み雪のアルプスを越えてイタリア半島に遠征したという伝説があるハンニバル将軍。彼はローマとのポエニ戦争を戦ったカルタゴの英雄でした。9月にカルタゴの遺跡あるチュニジアを巡りました。カルタゴ滅亡後はローマの支配で繁栄した土地ですから数多くのローマ帝国の遺跡が残っています。

ドゥッガ遺跡、エルジェムの円形闘技場。ローマ市に残るコロセッセオに次ぐ大きなものです。この北アフリカの地で剣闘士と猛獣との闘技させたのです。北方ブリタニア、ゲルマニアからガリア、東方アナトリア、シリアそして北アフリカまで、 何処に駐屯しようともローマ軍人は円形闘技場、大浴場など標準化された建物で楽しめたのです。ローマ人の娯楽は豪快でした。チュニジアは北アフリカに位置しますから南部にはサハラ砂漠が広がります。雨量は極端に少なく乾燥しています。ところが南部に位置するエルジェム円形闘技場を観光した帰り道です。雲行きが怪しくなりスースの近くで雨が降り出しました。チュニジア人にとり恵みの雨です。なかなか雨は止みません。激しくなり下水が不備な道路が雨水で溢れだしました。やがて道路が川のように大雨になりました。小さな川の護岸は決壊して付近の道路に水浸しです。大型観光バスの車体底部、トランクルームが水没する状態になりました。そしてエンジンの調子もおかしくなりストップしました。

(写真左) 道路が雨水で溢れる 

(写真右) チュニジア陸軍が救出に来る


バスの車内ランプも消えて宵闇の中で不安な時間を過ごすことになりました。バスの外は膝上までくる水準です。暗闇で道がどこなのかわかりません。救援をともめた結果、なんとチュニジア陸軍の大型トラックが来てくれました。強靭なチュニジア陸軍の若者に手が差し伸べられ大型トラックに乗り込むことができました。近くの体育館まで連れていかれた時、救援の小型バスがチュニスから駆けつけてくれ全員無事に真夜中のホテルに到着できました。大変危険な思いをしましたが、忘れがたい思い出になりました。北アフリカでも洪水に注意。  

 

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ウラジオストックとシベリア沿海州    2018年8月

 

メリケン波止場という名前で親しまれた横浜港の大桟橋。外国に憧れた中学生の頃、新聞には出船入船とい うニュースが毎日載っていました。プレジデント・ウイルソン号のような豪華船に乗ってメリケン波止場か ら洋行する。その夢が叶いました。酷暑の8月に横浜港から洋行しました。目 的地はシベリア沿海州港町のウラジオストックでした。 ウラジオストックはシベリア鉄道の終着駅です。 続きは「紀行文ブログ」をお読みください。

 

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マッターホルンとアオスタ渓谷   イタリア・アルプス  2018年6月

6月はスイスを観光しました。最初にジュネーブからシャモニーに入り、イタリアのアオスタに行きました。モンブランやマッターホルンと言えばフランスやスイスの登山スポットのイメージが強いのですが、実は北イタリアも隣接しています。これらの山岳に最も近いヴァッレ・ダオスタ州の首都は、アオスタです。アオスタ渓谷から世界に名立たるアルプスの名峰モンブラン、マッターホルンなどの雄姿をイタリア側から眺めることができました。イタリア語ではそれぞれモンテブランコとチェルヴィーノと呼びます。残念ながら6月初旬の悪天候でチェルヴィーノの姿は遠望できませんでした。結局、スイス側に戻りツェルマットから登山電車で登りゴルナーグラートまで行きました。そこからはゴルナー氷河とフィンデル氷河に挟まれたモンテ・ローザ、リスカム、マッターホルン、ドム、ヴァイスホルンなど4,000m 級の高山を眺めることができました。

 

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カナリア諸島クルーズ     2018年3月              

 

早春3月はカナリア諸島クルーズに出かけました。コロンブスやマジェランなどが住んだこともある島々で す。カナリア諸島はスペイン領で、マデイラ島はポルトガル領です。アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋 上にあり大陸で最も近いモロッコからの距離は500kmもあります。テネリフェ島にはスペイン最高峰テイデ 山(海抜3718m)があります。マデイラ島出身サッカー選手のロナルド像と写真を撮りました。

大航海時代の初期、コロンブスは新大陸アメリカの発見に向かったが実は東のインドに向かう航路の探検でした。イベリア半島に残った最後のイスラム王国グラナダを攻略中だったイザベラ女王から命を受けたコロンブスは1493年にアンダルシアを出港しました。最初の停泊地はカナリア諸島、そしてマデイラ諸島を経て一路大西洋を西に進みました。到達したのは今のカリブ海の島々であり、これを勘違いしてインド諸島であると思ったのです。今日の西インド諸島、すなわちアンティル諸島です。

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ベネルックス諸国       2018年2月

 

2月の厳冬期、ベネルックス諸国を訪れるためドイツのデュッセルドルフに入り、コブレンツからライン河下りをしてボンに行きました。ケルンでカーニバルを見物した後、アーヘンとトリーアに行きました。共産主義の生みの親ともいえるカール・マルクスが青年期まで暮らした古都トリーアを観光しました。プロイセン生まれの彼は12歳の時にトリーアのギムナジウムに入学しました。青年マルクスはユダヤ人詩人ハイリッヒ・ハイネに熱中し将来は詩人になりたいと夢見たそうです。2018年のマルクス生誕200周年でもあり、中国政府から寄贈されたマルクス像を見物する中国人の「レッドツーリズム」(紅色旅遊)の旅行者で賑やかでした。 続きは「紀行文ブログ」をお読みください。                            

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地図にない国  北キプロス共和国   2018年1月
 

1月に訪れたキプロス島は中世期ベニスの植民地であり、オスマントルコの支配を受けた後、英国の植民地になりました。1960年に独立し、その独立闘争でマカリオス大主教が大統領に就任。ところが人口の8割を占めるギリシャ系住民を中心にギリシャとの合併を求める声が根強く、これを背景に1974年にギリシャ合併推進派によるクーデターが発生、これに対しトルコはトルコ系住民の保護を目的に派兵しキプロス島北部を占領しました。これが北キプロス共和国の誕生です。北キプロス共和国は独立国として国際的に承認されていません。首都ニコシアに緩衝地帯(グリーンライン)がひかれ、北キプロスと南キプロスに分断されています。日本から見ると幻の国ですから地図にない国です。   

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スロヴァキア 民謡『ゴラール』  2021年7月

ゴラールとは、『Góralu』と綴るスロヴァキアのタトラ山脈地方の素朴な望郷の謡です。
英語では『Highlander』、山の民を意味します。まず『ゴラール』を聴いてみよう・・!!。

Góralu czy ci nie żal
Góralu, czy ci nie żal
Odchodzić od stron ojczystych,
Świerkowych lasów i hal     
I tych potoków srebrzystych?

Highlander do you not regret
Highlander, do you not regret
Abandoning your paternal homeland,
Spruce forests and chalets
And the silver streams?


2001年〜2004年までスロヴァキアを中心にチェコとオーストリアを調査旅行しました。20年前の懐かしい想い出です。アルバムを整理しながら『Góralu』を独唱しました。親切で素朴な人々の顔を思い浮かべながら みんな、どうしているだろうか・・。

 
スロヴァキアの魅力は、エスニックグループが仲良く暮らしていることです。
最大のグループは、ハンガリー人、ウクライナ人、ドイツ人、ポーランド人、チェコ人、
クロアチア人、ロマ人、そしてユダヤ人などです。
それぞれ様々な民俗的文化を誇っています。

興味あることは、カトリック、プロテスタント、フス教徒、ユダヤ教徒、
ギリシャ・カトリックなどの宗教が混在し、仲良く共存していることです。
東部の小さな村に行っても、そこにはカトリック教会があり、ルシン人のためには
ギリシャ・カトリックの教会があることです。

東方教会であろうが、フス教徒のプロテスタントであってもそこには宗教紛争はありません。
ユダヤ教のシナゴーグもありました。ロマ人部落には彼らのためのカトリック教会もあります。
バルカン半島のような宗教と民族の紛争は存在しないようです。
歴史的にスロヴァキア人とその国土は、外国人に長らく支配されても素朴に、
柔軟に様々な文化と宗教、そして人々を受け入れてきたのです。

スロヴァキアの人々と過ごした日々を想い出し、懐かしい出会いに感謝します。


   20年前の想い出を飾りました。  スロヴァキアに祝福あれ !!!


下記をクリックすると望郷の謡『ゴラール』が流れます。



https://youtu.be/e6mfZtg3W4E


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   エベレスト街道トレッキング       (2010年11月の記録)

 

レッサンピリリー」はネパールの素朴な民謡です。
原曲は、ポカラ地方でラマ教の祈りのために歌われていたそうです。 

Resham firiri, resham firiri

Udera jaunkee
dandaa ma bhanjyang
Resham firiri

レッサンピリリー、レッサンピリリー
 ウーレラジャンキー
 ダーラマバッサン
 レッサンピリリー

この詩が意味することは、

My heart is fluttering like silk in the wind
I cannot decide whether to fly or sit on the hilltop
To the dog-it’s puppy, puppy, to the cat-it’s meow meow
Our love is-waiting at the crossroads.


12年前の2010年晩秋11月、ネパールに出かけてエベレスト街道をトレッキングしました。
その道順は、タンボチェ(3867m)、パンボチェ(3901m)、ペリチェ(4215m)、トゥクラ(4593m)、ロブジェ(4930m)、ゴラクシェブそしてゴールはカラパタール(5545m)でした。
渓谷を流れるドオドコシ川はエベレストの氷河を源流とする川で、急流を吊り橋で数回渡りました。
進むにつれて酸素が半分となり高山病の対策は重要でした。

高地に住むチベット人やシェルパ族にとって普段の生活の道ですから、多くの村々が点在し子供たちは学校に行き、人々はラマ教に帰依する信仰深い穏やかな生活をおくっています。
日本人にも馴染めるチベット仏教(ラマ教)です。彼らの顔は日本人とそっくりでした。
そして何処でも聞こえる唄は「レッサンピリリー」の歌声でした。

神々のヒマラヤの荘厳な峰々の姿こそ想い出を飾る最高の記念になりました。

ヒマラヤとチベット世界に平和を祈ります。
人種、文化、宗教など多様性を大切に守るネパールに幸あれ・・・。

   下記の動画をクリック(「レッサンピリリー」の歌声)


https://youtu.be/LKnlE8s_W64


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 昔の紀行文    1990年代に訪ねた国々

 


パルミラの栄光   シリア回顧録      1993年3月

 

この紀行文は27年前の回顧録である。私は1993年3月に約一ヶ月に渡りシリアを訪れた。当時のシリアは今の内戦で破壊を繰り返す国とは全く違い、平和な輝かしい立派な国だった。

そこに生活するシリア人はみな心優しい人々だった。確かに独裁者ともいえるアサド大統領(父親)によって国内は強権的に支配されていたが、イスラム教を民族の熱狂的スローガンとして掲げることもなく、 ある程度の宗教の自由もあり女性の地位も保証された驚くべき先進的なアラブ人の国だった。街歩く女性も田舎の女性であってもスカーフで髪を隠すこともなく、顔にヴェールなど一切用いていなかった。魅惑的な青い瞳の美人も多く溌溂とした彼女たちの姿が印象的だった。そのシリアが現在のようにテロ、難民、イスラム国、虐殺など繰り返し、その素晴らしい国が崩壊したようである。もはや言葉 にならない悲劇の国に変わってしまった。シリアやレバノンを愛する私は実に悲しい。どうしてこのような惨めなシリアになったのだろう。パルミラの栄光や偉大なマリ文書の誇りはどこに消えたのか。続きは「紀行文pdf」をお読みください。(写真左) パルミラ遺跡

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「カメの旅」海外旅行の写真集(2000年〜2020年) YouTube(静止画)

    https://youtu.be/bVp-dFY8YLY

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